28.クレスト洞窟・第五層 巨躯の主 ―トロル
開戦 ― 巨躯の衝突 ―
湿った風が吹き抜け、土と鉄の匂いが鼻を刺す。
足元の小石がコロコロと転がり、緊張の音を立てた。
天井に生える光苔が淡い緑を放ち、闇の奥をぼんやりと照らしている。
――静寂。けれど、確実に“何か”が息づいている。
「……ここが最下層か。」
ゴルドの低い声が洞窟に響く。
重たい盾を構えるたび、革紐の軋む音が耳に残った。
湿気を帯びた空気の中、カイが杖を握り直す。
杖の先が微かに青く光り、周囲を照らす。
その光の奥で――暗闇が“膨らんだ”。
揺れる影、震える地面。
巨体が三つ、姿を現す。
岩のような皮膚、棍棒を握る腕、獣にも人にも見えぬ目。
トロル。
その咆哮が、洞窟全体を震わせた。
「……あれがボスか。」
「数は三。全員が相手だ。作戦通りいくぞ。」
カイが静かに言い、深く息を吸った。
「1体ずつ行くぞ!ゴルドは正面、ミナ右、俺が左。レンは援護に回れ。」
「了解。」
ゴルドの盾が地を打つ音が響く。
それが、戦闘開始の合図になった。
トロルが雄叫びを上げ、突進した。
重い地響きとともに、洞窟の天井から砂が降る。
まるで岩塊が動いているような迫力だった。
「ぬおおおっ!」
ゴルドが盾を突き出し、正面から受け止める。
金属と肉がぶつかる衝撃音。
火花が散り、石壁に光が跳ねた。
衝撃波が周囲を揺らし、レンの髪が舞う。
思わず足を踏ん張った。
「ゴルドが止めてる今だ!」
カイの声が響く。
ミナが地を蹴り、影のように駆ける。
短剣が閃き、トロルの脚を切り裂いた。
血が飛び散り、洞窟の床を濡らす。
「レン!」
「任せろ!」
レンは滑るように岩陰を抜け、低い姿勢から脇腹を斬り上げた。
刃は分厚い皮膚に浅く食い込み、肉の奥で止まる。
それでも、痛みに巨体がのけぞった。
「今だ、カイ!」
「《サンダーランス》!」
杖の先から放たれた雷光が洞窟を裂いた。
白い閃光が目を焼き、耳を裂く轟音が響く。
焼けた肉の匂い、焦げた血の香り――
その一撃で、一体目のトロルが崩れ落ちた。
「一体目、撃破!」
レンが叫び、ゴルドが頷く。
しかし、奥で残る二体が同時に咆哮した。
岩肌が震え、天井の苔が一斉に散った。
⸻
混戦 ― 崩れる均衡 ―
「来るぞ!」ゴルドの怒声が響く。
二体のトロルが同時に突進してきた。
その速さと重さは、さきほどの比ではない。
地面が波打ち、足元の砂が跳ねる。
ゴルドが正面で受け止める。
盾がきしみ、腕の筋が軋む。
衝突の反動で足がめり込み、岩が砕ける。
「っ……ぐぅおおおッ!」
盾を押し返し、トロルをわずかに後退させる。
その隙を狙い、ミナが右へ滑り込んだ。
鋭い呼吸とともに、短剣が閃く。
脚を斬り裂き、すぐに背後へ跳ぶ。
返り血が頬をかすめる。
「カイ、左の奴を頼む!」
「任せろ……《ウォーターブレード》!」
水の刃が走り、トロルの腕を切り裂いた。
だが、傷は浅い。逆に怒りを煽ったようだった。
トロルが棍棒を振り上げる。
それを見た瞬間、レンは反射的に動いた。
「やらせるか!」
ショートソードを構えて突き出す。
金属がぶつかり、火花が弾けた。
――重い。
腕がしびれ、骨が軋む。
棍棒の重さに押され、膝が沈む。
次の瞬間、衝撃。
剣が弾かれ、手の中から滑り落ちた。
カラン、と乾いた音が響く。
「くそ……!」
横合いから、三体目のトロルが突進してくる。
巨大な棍棒が影を落とした。
「レンッ!」
ゴルドが盾を掲げて割り込む。
瞬間、轟音と衝撃が炸裂。
火花とともに、ゴルドの体が後方へ弾き飛ばされる。
壁に叩きつけられ、金属が悲鳴を上げた。
「ゴルドさん!」
叫んだ声が洞窟に響く。
カイは魔力切れ寸前で、額に汗を浮かべていた。
ミナは岩壁に手をつき、息を荒くして立っている。
仲間全員が限界に近い。
トロルたちは、ゆっくりと歩を進めてくる。
その影が三人を覆い尽くした。
心臓が跳ねる。足が震える。
それでもレンは、前に出た。
剣はない。
手の中には何もない。
それでも――目だけは、逸らさなかった。
呼吸を整え、足場を確かめる。
背中に、冷たい風が流れた。
そのとき、視界の端で何かが光った。
――ミナの短剣が、岩の陰に転がっている。
レンの手が、ゆっくりとその柄に伸びた。
戦いは、まだ終わっていない。




