26.クレスト洞窟・第四層 熱気の森
レンは、どこかで鳥のさえずりを聞いた気がした。
意識の底に残るのは、焚き火の音と、少し焦げた香ばしい匂い。
ゆっくりとまぶたを開けると、光苔の青が消え、代わりに洞窟の天井が淡く光っていた。
「……朝、か?」
ぼんやりと体を起こすと、隣ではカイが杖を立てながら魔力を練っている。
「やっと起きたか。」
焚き火の残り火を足で崩しながら、ゴルドが笑う。
「もう随分時間が経った。外も明るくなってる“だろう”な。」
洞窟の奥から吹き込む風は、湿っていて重い。
冷たい夜の名残はなく、じっとりとした熱が肌にまとわりつく。
「……一晩、経ったんですね。」
「正確には、眠ってから半日だ。層ごとに時間の流れが違うのかもな。」
カイが探知を終え、肩をすくめる。
レンは荷を確認し、包みを取り出した。
「朝飯、作りますね。簡単なもので。」
「助かる。」
ゴルドが腰を下ろすと、金属鎧がかすかに軋んだ。
レンは薄く切ったパンを炙り、ハムと野菜を挟んでいく。
昨夜の残りのスープを少し温め、香りづけにワインを数滴落とした。
湯気と共に漂う香ばしい匂いが、狭い空間を包む。
「……うまそうだな。」
ミナが目をこすりながら笑う。
「もうそんな時間?」
「寝坊助はお前だよ。」カイがからかうように笑い、パンを受け取った。
「戦闘前だし、軽めにしておこう。」
レンもサンドイッチを手に取り、一口かじる。
温かく、塩気の効いた味が胃に染み渡った。
光苔が薄れ、かわりに奥の通路の先から強い光が差し込む。
⸻
次の階層へと続く通路を抜けると、まるで別の世界だった。
そこは森だった。
湿った土の匂い、ねっとりとした空気、そして遠くで鳴く虫の声。
まるで熱帯の林にいるような息苦しさがある。
「……重い空気だな。」
ゴルドが小声で呟き、盾の留め具を締め直す。
汗が額を伝い、地面の水気を照らして揺らめいた。
「カイ、ここの情報は?」
「ああ、第四層は“熱気の森”。日中のような環境が続くらしい。」
「昼夜の切り替えもここから不明瞭になるそうです。」とレンが続ける。
少し歩くと、木々の隙間からかすかな水音が聞こえた。
「……水場か?」
「たぶん、あっちです。」ミナが指差す方向には、淡い光が揺れていた。
一行が音を頼りに進むと、小さな池のような水辺にたどり着いた。
その向こうで――何かが動く。
水面に映る影。緑色の肌、厚い腕、革鎧。
数体のオークが、魚を捕っては焼いていた。
まるで人間のように笑い、喋り、油断しきった様子だった。
「……オークだ。」ゴルドが低く呟く。
「戦うか?」ミナが問う。
「数は四。動きは鈍い。油断してる今が好機だ。」カイが答える。
「行こう。」
レンが頷き、息を整えた。
四人は草の影から同時に飛び出した。
最初の一撃はレン。
水面を蹴り上げ、勢いよくショートソードを振り抜く。
刃が光を弾き、オークの腕を斬り裂いた。
驚愕の声と共に、他のオークたちが立ち上がる。
棍棒を構え、唸り声を上げながら突進してきた。
「右、頼む!」カイが叫び、杖を振る。
「《ウォーターブレード》!」
放たれた水の刃が、空気を裂いて一直線に走る。
一体の胸を切り裂き、血が水辺に飛び散った。
「左は任せろ!」
ゴルドが突進してくるオークの棍棒を盾で受け止め、そのまま弾き返す。
盾が火花を散らし、鈍い音が響いた。
ミナは背後から駆け抜け、短剣で脚を狙う。
「これで終わり!」
鋭い一閃。オークが膝をついた瞬間、レンがとどめを刺した。
最後の一体が逃げ出そうとしたが、カイが魔法を重ねる。
「逃がすか――《ライトスパーク》!」
閃光が走り、目を焼かれたオークがふらつく。
その隙を逃さず、レンが背後から剣を突き立てた。
森の中に再び静寂が戻る。
湿った風が通り抜け、どこか甘い草の匂いが漂った。
「……まるで人間みたいだったな。」
ミナの呟きに、レンも静かに頷いた。
「油断していたのに、反応は早かった。知能がある……。」
カイが低く言う。
「これが、“知恵のある敵”ってやつか。」
太陽のような光が、木の隙間から降り注ぐ。
汗が肌を伝い、剣先から落ちた血が地面に染みた。
「……ここからが本番だ。」
レンは剣を拭い、遠くの茂みを見据えた。
その先に、何か沢山の魔物の気配を感じた――。




