19.出発の朝、初めての旅路
朝靄が街を包み、リステアの屋根瓦が淡く光を反射していた。
ねこのしっぽ亭の前には、旅支度を終えたレンの姿。
背中の荷には弁当とスープ、そして女将からもらった干し肉。
腰にはいつものショートソード、鞘の横には――大切な包丁が収められている。
扉の音がして、リーナが顔を出す。
「レンさん、もう行っちゃうんですね……」
「はい。今日が初めてのダンジョンです。」
リーナは小さくうなずき、手に持っていた小さな包みを差し出した。
「これは、お守り代わりです。」
中には、小さな糸で編まれた猫のしっぽ型の紐飾り。
「宿の印なんです。無事に帰ってきたら、それ見せてくださいね。」
レンは微笑んで受け取った。
「ありがとうございます。必ず戻ります。」
店主と女将も出てきて、見送りに立つ。
「気をつけてな。」
「帰ってきたらまたオムライス頼むよ。」
レンは一礼し、振り返らずに歩き出した。
朝日が昇り、石畳が黄金に染まる。
その光の中へ、一歩一歩、静かに足を進めた。
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街の門の前には、すでに三人の仲間が集まっていた。
杖を背負ったカイが腕を組み、待ちくたびれたようにため息をつく。
「おーい、遅いぞ料理人。パンでも焼いてたのか?」
「弁当とスープを作ってたんです。みんなの分もありますよ。」
「ははっ、そこは抜かりないな。さすがだ。」
ミナは笑いながら手を振る。
「リーナちゃん、見送りしてくれたんでしょ?」
「うん。……ちょっと名残惜しそうだったけど。」
「そりゃあね。看板料理人がいなくなったんだから。」
ゴルドは無言のまま、背中の盾を軽く叩いた。
「話は後だ。――出るぞ、リーダー。」
「おう。」
カイが頷き、門番にギルド証を見せる。
扉がゆっくりと開く。
外の空気は少し冷たく、森の匂いが混じっていた。
四人は振り返らず、街を後にする。
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◆風の匂い、森の入り口
街道を外れた風はまだ冷たく、木々の間を抜けて頬を撫でていく。
レンたちはリステアを出て半日ほど歩いた。
土の匂いと湿った草の香り、鳥のさえずり。どれも街では感じられなかったものだ。
「ふぅ……ようやく森が見えてきたな。」
カイが杖を肩に担ぎ、息を吐いた。
視線の先、緑の海のような森の入り口が広がっている。
「この先を抜けて丘を越えたところに、例の洞窟があるらしい。」
「もうすぐですね。」
レンが頷き、荷を少し背負い直す。
森の入り口で一度足を止めた。
ゴルドが前を歩き、木々の隙間を確認しながら低く言う。
「気を抜くな。魔物が出るのは昼でもおかしくねぇ。」
「了解。……ミナ、索敵お願い。」
「うん。」
ミナが短剣を抜き、軽やかに森の中を見渡す。
それを見ながら、レンは包みに手を伸ばした。
布の中には弁当とスープの容器。
まだ温もりが少しだけ残っている。
「お昼、そろそろどうします?」
レンが言うと、カイが空を仰いでうなずいた。
「そうだな。腹が減ってたら戦いにならん。木陰で食おう。」
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四人は木の根元に腰を下ろした。
レンが布を広げると、ふわりと香ばしい香りが漂う。
弁当箱の中には炒め飯と細かく刻まれた野菜。
パンの脇にはスープの瓶があり、淡い湯気が立っている。
「おお……これ、まさか朝に作ってたやつ?」
「はい。冷めても味が落ちにくいようにしてあります。」
カイは箸を手に取り、口に運んだ。
「……うまいな。冷めてても味がしっかりしてる。」
ミナも笑う。
「このスープ、やさしい味。レンらしいね。」
ゴルドは無言のままスープを飲み干し、短く言った。
「戦場の食事とは思えん。……悪くない。」
それは、彼にしては最大の賛辞だった。
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昼食を終えると、風が一段と強くなった。
木々がざわめき、葉が舞う。
森の奥からは、かすかな獣の声が聞こえる。
レンは腰の包丁に手を触れ、深呼吸をした。
初めての本格的な討伐、初めての長い旅。
緊張と、それを上回る高揚が胸を満たしていく。
「……行こう。」
その一言に、三人が頷く。
四人の影が森の奥へと伸び、やがて深い緑の中へと消えていった。




