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17.灯る厨房、明日への想い

 夕暮れが街を包み、ねこのしっぽ亭の窓から柔らかな灯りが漏れていた。

 食堂にはすでに客たちの声と笑いが満ち、奥の厨房では、鉄鍋が小さく鳴っている。


「リーナ、もう開けていいぞ。」

「はい!」


 リーナが笑顔でカウンターを飛び出し、注文を取りに回る。

「いらっしゃいませ! 今日のおすすめはトムトソースのオムライスです!」

 その声に、常連客がすぐに反応した。


「じゃあ俺、それ!」

「俺も!」

「おいおい、俺も忘れんな!」


 立て続けに声が上がり、あっという間に三人分の注文が入る。

 厨房の奥で、店主が目配せした。

「レン、いくぞ!」

「了解!」


 鉄鍋が火にかけられる。油を落とすと、じゅわっと音が弾けた。

 香ばしい香りの中、レンの動きが一気に鋭くなる。

 鶏肉を投げ入れ、手早く炒める。焼き色がつくと、みじん切りのタマネが加わり、

 透明になった瞬間、炊いた米を投入した。


 カラン、カラン――。

 木べらが鍋底を打つ音が、鼓動のように響く。

 トムトソースを流し入れた瞬間、赤が弾け、湯気と共に甘酸っぱい香りが立ち上がる。

 バターをひとかけ、塩胡椒を振り、リズミカルに混ぜ合わせる。

 焦げる寸前の香りが、食欲を刺激した。


 レンの視線は火加減と食材に釘付けだった。

 何も考えない。ただ、次の手だけを追う。

 ――目の前の一皿を完璧に仕上げる。それだけ。


「ベース、仕上がり!」

 店主が頷く。

「次、卵だ!」


 別のフライパンにバターを落とし、溶き卵を流し込む。

 黄金の波が広がり、レンの手が流れるように動く。

 フライパンを傾け、卵の端を寄せて中央へ。

 柔らかな膜が揺れながらまとまり、まるで絹のように光る。


 チキンライスの上にそれをそっと載せ、

 ナイフの背でひと筋、ふわりと切れ目を入れた。

 内側からとろけるような黄が、光を反射してゆらめく。


「一皿目、完成!」

 リーナがすぐに皿を受け取り、食堂へと走る。


 次の注文が飛び込んでくる。

「追加! オムライス二つ!」

「了解!」


 鉄鍋の音、油の弾ける音、店主の指示、客の笑い声――

 すべてが混ざり合い、ひとつの旋律のように響く。

 レンはもう、言葉を交わす余裕もなかった。

 ただ無心に、ひたすらにフライパンを振り続けた。


 ――どれだけ作っても、次の注文が飛び込む。

 生姜焼き、トムトスープ、オムライス追加三皿。

 厨房の熱気は一度も冷めることがなかった。


 バターが焦げる音、米の跳ねる音、卵を割る音。

 そのすべてが夜のリステアを照らす灯のようだった。


「……ラスト、完成。」

 レンが息を吐きながら皿を出す。

 店主がそれを受け取り、笑みを浮かべた。

「いい仕事だ。明日も、その手で戦え。」


 レンは静かに頷き、包丁を洗った。

 ――剣を振るう時よりも、確かに感じた。

 “生きる”という実感を。


 そして、夜はさらに深まっていく。

 注文の声が絶えぬまま、厨房の灯は揺らめき続けた。

 鉄鍋が叩くリズムが、遠くへ遠くへと響いていった。



 夜も更け、客たちが帰ったあと。

 厨房の片隅で、店主が一枚の紙を広げていた。

 そこには、慣れない字で書かれたメモが並んでいる。


 ――油ひとたらし、火強すぎるとタマネ焦げる。

 ――卵は迷わず一気に。返すタイミングは心で。


 リーナがのぞき込み、そっと微笑んだ。

「お父さん、それ……」

「忘れねぇように書いてんだ。あいつの手際、見てるだけじゃ追いつかねぇ。」

「ふふ、レンさん見たらきっと喜びます。」


 店主は照れくさそうに笑い、

「ま、少しくらいは真似しても怒られねぇだろ。」

と鍋を火にかける。


 トムトソースの香りが再び立ちのぼる。

 けれど――どこかほんの少しだけ違う。

 それでも、ねこのしっぽ亭の厨房には確かな温もりが灯っていた。

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