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122.ダンジョン箱100F前編

 百層目の扉は、他の階のものよりも一回り大きかった。


 手をかけると、ひんやりとした石の感触が指先にまとわりつく。

 押し開けた瞬間、熱と風が、どっと顔にぶつかってきた。


 広間は、これまでよりもはるかに広かった。

 床は黒い岩盤。

 ところどころ、赤く光るひび割れから、熱を帯びた風がゆっくり吹き上がっている。


 奥に――それはいた。


 全身を黒鉄色の鱗で覆われた巨大な竜。

 横たわっているだけで、小屋どころか小さな家くらいなら平気で押し潰せそうな体躯。

 黄金色の瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。


 熱と圧と、古い魔力の匂い。

 息を吸うだけで、胸の内側がじりじりと焼けるようだった。


 竜の喉から、低い声が溢れた。


「……人の子か」


 思っていたより、ずっと静かな声だった。

 怒号でも、咆哮でもない。ただ、深い井戸の底から響いてくるような響き。


「言葉、分かるか、小さき者よ」


「……まぁ」


 喉が少しからからだ。

 それでも、なんとか返事をする。


「挑戦者か?」


「そんなたいしたものじゃないけど……

 ここを抜けないと、帰れないらしいから」


 竜の目が、ほんの少し細められた。

 俺の腰の短剣を、一瞬だけ見て、すぐに顔へ視線を戻す。


「いつから、こうしているのか……もう覚えておらぬ」


 ぽつりと、竜は呟いた。


「気づけば、この岩の箱の底にいた。

 空も、風も、森も、海もない。

 ただ、石と、熱だけだ」


 声だけ聞いていると、どこか寂しげでもある。


「……一度だけだ」


 竜の尾が、床を一度だけ軽く叩いた。

 それだけで、空気がびり、と震える。


「我に、真正面から届いた者は一人だけ。

 金の髪の、人間だったか、エルフだったか……

 細い刃と、やたらと速い足だけは覚えている」


(……あのエルフか)


 竜は、少しだけ笑ったような気配を見せた。


「そやつに、一度“殺された”。

 その後、目を覚ましたら、ここだった。

 いつからか、いつまでかも、もうどうでもよくなった」


 そこで、一拍おいて、黄金の瞳が俺を射抜く。


「小さき者よ。

 お前は、どこまで“届く”?」


 喉が、勝手に唾を飲み込む。


「行けるところまで」


 それだけ答える。


 竜の巨体から、わずかに熱が強まった。

 広間の空気が、じりじりと焼ける。


「それでよい」


 竜は、ゆっくりと立ち上がる。

 鱗と鱗が擦れ合う音だけで、胸に重い振動が伝わってきた。


「ならば――全力で抗え」


 その声は、どこか優しさを含んでいた。

 だが、瞳の奥で何かがきらりと揺れ、すぐに消える。


 餓影が、腰のあたりでかすかに震えた。


『……魔力の質が、桁違いだな』


(やれそうか?)


『お前次第だ。俺はいつも通りだよ』


 足を一歩、踏み出す。

 短剣を抜いた瞬間、広間の空気がきゅっと締まった。


◆◇◆◇◆


 最初の一撃は、前触れもなく来た。


 竜の胸が、わずかに膨らむ。

 次の瞬間、熱風が爆ぜた。


 炎ではない。

 ひたすらに熱い、圧縮された空気の奔流が、直線状に広間を薙ぎ払う。


 床のひび割れから炎が吹き上がり、

 熱と風と石の欠片が混ざった一撃が、まっすぐに迫ってきた。


 足の裏が一瞬だけ痺れる。

 それでも――体が先に動いた。


 右へ一歩。

 ギリギリで線を外し、風の縁を踏む。


 熱い。

 皮膚が焼けるような熱が頬をなでる。


 それでも、直撃は避けた。


 竜の首が、わずかに傾く。


「今のを避けるか」


 その声には、微かに愉快そうな色が混じっていた。


 だが、その奥のどこかで、別の何かが濁っている。

 古い命令のような、形にならない衝動のようなものが、じわりと膨らんでいく気配。


 竜の巨体が、ずるりと地を這った。

 次の瞬間には、さっきまでいた場所に、尾が叩きつけられている。


 空気が、爆ぜた。


 尾が床を叩いた衝撃だけで、岩盤が陥没し、石の破片が弾丸のように飛び散る。

 風が逆巻き、足元がぐらりと揺れた。


 その揺れに身を乗せる。

 崩れた岩を足場にして、竜の右側へと駆け抜ける。


 巨体の懐に飛び込み、前脚の付け根を狙って刃を滑らせた。


 ガキィン、と甲高い音。

 鱗に、白い線が一本刻まれる。


(硬っ……)


 それでも、「傷」はついた。


 竜が目を細める。


「……悪くない」


 熱がまた一段階、上がった。


◆◇◆◇◆


 そこからは、ひたすらに――避けて、斬るだけだった。


 竜の爪が床を裂く。

 衝撃で舞い上がる岩片を踏み、肩をかすめる風を利用して、一気に間合いを詰める。


 首筋、前脚の関節、腹の柔らかい部分。

 狙いを絞り、当たる瞬間だけ全力で踏み込む。


 当たれば、白い傷跡が一本増える。

 当たらなければ、そのまま死ぬ。


 竜の動きは、でかいくせに速かった。


 首振り一つで突風が生まれる。

 体をひねれば、尾と翼が同時に薙ぎ払ってくる。


 そのどれもが、まともに食らえば終わりだ。


 風の流れ、熱の偏り、鱗のきしむ音。

 一瞬でも気を抜けば、体が粉々になる。


 それでも、足は止まらない。


 餓影が、何度も震えた。


『右、三つ、くるぞ』


 爪の角度、尾の軌道、床の割れ方。

 全部を同時に目で追い、足で踏み替える。


 竜の前脚が振り下ろされる直前、

 床を突き上げる土の棘が生まれた。


 地面ごと持ち上げるような衝撃。

 足場が崩れる。


 その崩れを踏み台にして、逆に跳ぶ。


 掌をなめる熱風。

 耳元で鳴る風切り音。


 空中で体をひねり、竜の頬のあたりへ斬り込む。

 鱗が弾け、血が赤黒く飛び散った。


 竜が、初めてはっきりと顔をしかめる。


「……よく動く」


 声が、少しだけ低くなった。


 瞳の奥の濁りが、さっきより濃くなっている。

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