表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

121/123

121.最深部へ

 九十一層は、拍子抜けするくらい静かだった。


 通路は少し広めで、空気も落ち着いている。

 最初に現れたのは、銀灰色の毛並みをした狼の群れだった。


 普通のウルフより一回り大きく、肩口と胸だけを金属のような骨で覆われた魔物──アーマーウルフ。


 前足の運びは重いが、動きそのものは単純だ。

 突っ込んでくる前の、わずかなタメ。

 その瞬間さえ拾えれば怖くない。


 鼻先をずらして、足首を斬り、

 体勢を崩したところへ首筋を一閃。


 一匹、二匹、三匹。

 数はそこそこいるが、動きはもう読みきれている。


◆◇◆◇◆


 九十二層、九十三層も、流れは似たようなものだった。


 アーマーウルフに加えて、岩のような鱗を持つロックリザードが混ざり始める。

 時折、足元の石を弾き飛ばしたり、小さく隆起させてバランスを崩そうとしてくるが、

 動きが大きい分、見切りやすい。


 前にウルフ、横にリザード。

 どちらから倒すか、その場その場で順番を決める。


 ウルフが突っ込んでくれば、その軌道を半身で避けて前足を断ち、

 リザードが口を開いて魔力を溜める気配を感じたら、その前に喉元を斬る。


 敵の種類は増えているが、まだ「速さで押し切れる範囲」だ。


◆◇◆◇◆


 九十四層から、空気が少し変わった。


 通路が微妙に狭くなり、角が増える。

 敵の配置も、こちらの動きを妨害するような形になっていた。


 前方にアーマーウルフ。

 陰からロックリザード。

 そして、壁際には、全身を黒い鎧のような毛で覆ったシャドウハウンド。


 シャドウハウンドは、灯りの死角を選んで滑り込んでくる。

 気配だけを頼りに、その爪を紙一重で外へ流す。


 シャドウハウンドの首を落としつつ、振り向きざまにウルフの足を払い、

 リザードの顎が上がった瞬間に喉を突く。


 数も多く、動きの連携もいやらしい。

 それでも、頭はまだ冷えていた。


 汗は滲むが、息が上がるほどじゃない。

 傷も浅いかすり傷程度で済んでいる。


(ここまでは、まだ“ちゃんと戦えてる”)


 そう思えたのは、九十四層までだった。


◆◇◆◇◆


 九十五層に足を踏み入れた瞬間、空気の密度が跳ね上がった。


 重い。

 さっきまでとは、明らかに違う。


 最初に現れたのは、二足で立ち上がった巨体だった。


 灰色の毛。

 太い腕。

 頭には、ねじれた二本の角。


 ホーンゴリラ。


 その背後には、ロックリザードの上位種──ロックドラフが、静かに魔力を練っている。

 足元の石が、じわりと膨らんだ。


「……っと」


 ホーンゴリラの拳が振り下ろされる少し前に、足元の石が盛り上がる。

 タイミングを合わせて地面ごと叩き潰すつもりだ。


 拳の起動と、地面のうねりを同時に見て、

 わざと半歩だけ踏み込む。


 拳を肩ぎりぎりで躱し、盛り上がった石を踏み台にして跳ぶ。


 ゴリラの腕を駆け上がり、肩口から首筋へ短剣を深く差し込む。

 同時に、反対側の腕を使って体勢を立て直し、背後のロックドラフの喉へ王の刃を滑らせた。


 巨体二つが、ほぼ同時に崩れる。


 その瞬間、餓影がぶるっと震えた。


『ここからだな』


 倒れた魔物の体から、濃い魔力が吸い上げられる。

 それを廻影の“輪”へ乗せ、体中へ流す。


 肩に入っていた鈍い衝撃が、内側から少しだけほぐれる。

 さっき地面にかかった負荷で痺れていた足も、動かしやすくなった。


 それでも――。


 九十五層を抜ける頃には、腕や太もものあちこちに、浅くない傷が増えていた。


◆◇◆◇◆


 九十六層では、敵の構成がさらに悪質になった。


 先頭にはホーンゴリラ。

 その横を、素早いシャドウハウンドが走り回り、

 後方からは、甲羅全体に棘を生やしたストーンタートルが、ゆっくりと圧をかけてくる。


 ストーンタートルは速くない。

 ただ、通路をほとんど塞ぐほどの大きさで、一度位置を取られると横を抜けづらい。


 ゴリラの拳を躱しながら、シャドウハウンドの爪をギリギリで外へ流し、

 わざと一度通路の奥へ誘い込んでから、足場を変えて反転する。


 その途中で、シャドウハウンドの爪が脇腹を浅く裂いた。


 熱い線が走る。

 息が吸いづらくなる。


 すぐさま餓影が魔力を吸い上げ、廻影がそれを傷の周囲へ流す。


 血の勢いは少し落ちる。

 呼吸も、どうにか整えられる。


 だが、「痛くない」わけではない。

 ただ「動ける」に変わるだけだ。


(ありがたいけど、これ、やばいな)


 そんなことを考える余裕が、まだ少しだけ残っていた。


◆◇◆◇◆


 九十七、九十八、九十九層。


 数字が増えるたびに、敵の配置はどんどん密になった。


 ホーンゴリラが二体。

 その足元を、シャドウハウンドの群れが走り回り、

 曲がり角の向こうからは、ロックドラフが土槍を飛ばしてくる。


 どこか一つでも見落とせば、その瞬間に致命傷だ。


 肩を殴られ、肋をかすめられ、

 太腿に爪痕が刻まれる。


 傷の数が、確認しきれないほど増えていく。


 餓影は、倒した魔物から魔力を片っ端から吸い上げる。

 だが、すべてを回復に回せるわけじゃない。


『全部治そうとするな。今は“立つ方”を優先しろ』


(言われなくても……)


 息が荒い。

 喉が焼けるように痛い。


 それでも、足は止まらなかった。


 痛みの鋭さだけが、逆に意識を繋ぎ止めているような感覚すらあった。


 九十九層の通路は、やけに長く感じた。


 魔物自体は、九十八層の延長線上にいる連中ばかりだ。

 ただ、こちらの体力と集中力が、目に見えて削られている。


 一体倒すたびに、膝が笑い、

 踏み込みのたびに、視界の端がかすむ。


 餓影からも、重たい声が落ちてくる。


『……もうあまり詰め込めねぇな。お前の器が、今はこれ以上入らない』


「分かってる……」


 笑おうとして、うまく笑えなかった。


 最後のシャドウハウンドの喉を断ち切った時、

 通路の先に、小さな広間と石の階段が見えた。


 その場で、壁に背中を預けるようにして座り込む。


 胸が上下するたびに、肋のあたりがきしむ。

 腕を少し動かすだけで、あちこちの傷が引きつって痛みが走った。


 それでも、階段の方から吹いてくる風は、冷たく、少しだけ澄んでいる。


 その向こうに、百層目がある。

(ここまで来たんだ)


 戻る選択肢はない。

 そもそも、この箱から出るには、死ぬかクリアするしかない。


 ゆっくりと、壁を支えに立ち上がる。


 片足を、階段の一段目に乗せた。

 膝がぐらりと揺れるが、崩れはしない。


『行くか』


 餓影の声が、静かに問いかける。


「ああ」


 短く答え、もう一段、足を上げた。


 ボロボロの体を引きずりながら、

 俺は百層目への階段を登り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ