116.未解決事件
――また、あの闇だ。
目を開けた感覚はないのに、気づけば立っていた。
上下も距離も分からない真っ黒な空間。音も匂いもないのに、ここがどこかはもう分かる。
「来たな、レン・ヴァルド」
正面に、“それ”がいた。全身が刃の線でできた人影。
「……餓影」
名前を呼ぶと、刃の男は肩を揺らした。
いつも通りの調子だが、どこか楽しそうな目だ。
さっきまでの夢の続きなのか、現実なのか。
ここにいると、その境目がよく分からなくなる。
餓影は、顔もないくせに、じっとこちらを見据えている気配を放った。
「一連の出来事について、まとめて話してやるよ」
「頼む」
返事をすると、刃の輪郭がゆっくり近づいてくる。
「じゃあ、今日は少し長くなるぜ。今からだいたい三百五十年前だ。あのエルフ──いや、あいつだけじゃない。俺も、廻影も、他にも山ほど“異世界から”勇者召喚された」
「異世界……?」
餓影が、わざとゆっくり問いかけてくる。
「“勇者召喚”って聞いた時、その言い方に違和感、なかったか?」
「召喚……」
言われて初めて、そこに引っかかりを覚えた。
「召喚ってのは、本来“別の世界から別の世界へ”引きずり出す時に使う言葉だ。同じ世界の中で呼ぶのは、正確には召喚じゃねぇ」
「……つまり」
「昔の名残で、今も“勇者召喚”って呼んでるだけだ。本当は、“異世界勇者召喚”って言ってたんだよ」
言葉が、少し遅れて刺さる。
「その頃、この国は魔族と戦ってた。人間だけじゃ手が足りないってんで、別の世界から何十人も引っ張ってきた。勇者、聖女、魔法使い、剣士──形は色々だ」
餓影の声が、少しだけ低くなる。
「で、その中の一人が“俺”だ」
「……勇者の一人、ってことか?」
「そうとも言えるし、違うとも言えるな」
餓影は、どこか投げやりに笑った。
「召喚されたのは、人間だけだ。エルフも、獣人も、ドラゴンも、みんなこの世界の住人。別の世界から連れて来られたのは、全員“ただの人間”だ。そして俺も、その一人の人間だった」
喉がひゅっと鳴る。
「……じゃあ、その姿は」
「とある事件で、“剣にされた”」
あまりにもさらっと言われて、頭が一瞬ついていかない。
「とある事件?」
やっとのことで、そこだけ絞り出した。
「そうだ」
餓影は、闇の中に小さな光を一つ浮かべた。
光の中に、ぼんやりとした城の影が見える。塔、城壁、風にはためく旗。
「当時の魔王を倒した。血まみれになって、仲間も何人も失って、それでもどうにか勝った」
光の中に、輪郭だけの人影が何人も立ち並ぶ。
武器を掲げて笑っている者。へたり込んで泣いている者。肩を貸し合いながら歩いている者。
「その後、王都に凱旋した。パレード、宴、酒、音楽……英雄だの救い主だの、散々持ち上げられて、王城でパーティまで開かれた」
餓影の声には、ほんの少しだけ懐かしさが混じる。
「そこで、俺たちは油断した。戦いが終わったと、思っちまった」
光景が変わる。長いテーブル、並ぶ料理、酒杯、笑い声。
そして、ひとり、またひとりと椅子にもたれかかり、目を閉じていく影。
「王城で、いつの間にか眠ってた。気づいた時には、もう遅かった」
光が暗くなり、また別の形をとる。
今度は、床に散らばる武器や魔道具。壁に張り付いた巨大な鏡。床に捨てられた、人の服。
「みんな、バラバラに“別の形”に変えられていた。剣になったやつもいれば、本になったやつもいる。鎧にされたやつ、指輪にされたやつ、ペンダントにされたやつまでいた」
「……あのエルフも、もしかして?」
口が乾く。
餓影は、静かに頷いた。
「あいつも、巻き込まれた。でも、あいつだけはまだ“体のまま”残ってた。理由は知らねぇ。ただ、変えられかけたせいで、寿命と体の作りがちょっと変わっちまった」
さっき会った男の横顔が頭に浮かぶ。
「犯人を探った」
餓影の声が、少しだけ鋭くなる。
「王城の中。俺たちを集めた王家。召喚の儀式に関わった連中。俺らと──あのエルフは、“王家の中にいるんじゃないか”って疑ってた」
闇の中に、王冠の輪郭が一瞬だけ浮かび、すぐに消える。
「だからあいつは、王に仕えて、近衛として城に潜った。数十年単位で、観察して、探って、記録を残した」
それでも、と餓影は言葉を続ける。
「見つけられなかった。王も、王子たちも、王妃たちも、“犯人じゃない”としか分からなかった」
「だから……やめたのか」
森の隠居、静かな屋敷の光景が浮かぶ。
「王家に仕えるのをやめて、森の方に引っ込んだ。別の可能性──別の国、別の種族、別の何かを探すためにな。あいつは今でも、諦めたわけじゃねぇよ」
餓影はそこで一度言葉を切り、俺を正面から見た。
胸の奥で、いくつもの断片が勝手につながりかけて、そこで止まる。
(魔王との戦いの後に、勇者たちが“道具にされた”。犯人はまだ見つかっていない。今も王都のどこかで、その事件の尻尾が動いているかもしれない)
息が、少しだけ詰まる。
「……なんで、そんなことを」
気づけばそう聞いていた。
しばしの沈黙。
「それはな」
餓影は、ゆっくりと首を振った。
「結局、まだ分からないらしい」
言いながら、ほんのわずかに肩を落とす。
「三百年だ。あのエルフも、俺も、手を伸ばせるところまでは全部探った。王家も、他国も、魔族側も、古い儀式の記録も……それでも、この記録の部分だけは、ぽっかり抜けたままだ」
闇の中に浮かんでいた光が、ひとつ、またひとつ消えていく。
「魔王を倒したご褒美だったのか。最初からそれが目的だったのか。誰が、どこまで知っていて、どこから知らなかったのか。全部、霧の向こうだ」
餓影の声に、ほんの少しだけ諦めが混じる。
「だからこそ、今もあのエルフは森でしつこく生きてる。」
沈黙が落ちる。目の前の闇が、さっきより少しだけ重く見えた。
それでも。
「……いずれでいい」
自分でも驚くくらい、落ち着いた声が出た。
「今すぐ全部どうにかできるなんて思ってない。けどさ、その“犯人探し”、手伝わせてくれないか」
餓影の輪郭が、ぴたりと止まる。
「お前が、か?」
「うん」
自分の胸に手を当てる。
「俺は、ただの学生で、剣もまだまだで……正直、今のままじゃ何の役にも立たないかもしれない。それでも、一生そのことに関わらないなんて事は無理だ」
言葉にしてみると、少しだけ胸のつかえが軽くなる。
「いつかでいい。俺が今よりちゃんと強くなって、王都のことも、この国のことも、魔族のことも、少しは分かるようになったら──その時、一緒に追わせてほしい」
闇の中で、餓影が黙り込む。やがて、かすかな笑い声が落ちた。
「……本当に、お前は変わってるな」
呆れとも、嬉しさともつかない声。
「全部は、まだ飲み込めない」
正直に言う。
「だから、今聞いた分だけで十分だよ」
餓影は、ふっと肩を揺らした。
「いいだろう」
わずかに、声に熱が乗る。
「いずれでいい。今すぐ答えを出せなんて、俺も思っちゃいない。お前が生き延びて、ちゃんと“ここで立っていられる”ようになった時──その時は、犯人探しを手伝ってもらう」
「約束だな」
思わずそう返すと、餓影も短く応じた。
「ああ、約束だ」
闇の端が、ゆっくりと薄れていく。輪郭がぼやけ、音が遠のき、足元の感覚がふっと軽くなる。
最後に、餓影の声が落ちてきた。
「レン・ヴァルド。とりあえず今は、生きて鍛えろ。昔の魔王も、三百年前の犯人も、竜も、教団も──全部まとめて相手できるぐらいになれ」
「無茶言うな……」
そう言いかけたところで、視界が白くはじける。
闇も、声も、ゆっくりとほどけていった。
年末休みに入りますので次の更新は1月5日ぐらいになるかと思います
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