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114/123

114.真の名

 数日たったある午後。


 軽い素振りを終えてタオルで汗を拭いていると、寮の前で声をかけられた。


 「レン」


 顔を上げると、そこに立っていたのはルデス――と、その後ろに、フードを深くかぶった細身の人影。

 「久しぶり」


 フードを外したのは、リゼだった。

 髪をひとつにまとめ、無表情に近い顔でこちらを見る。

 「時間、少しもらえる?」


 「……もしかして見つかった?」

 自分でも分かるくらい、声が少しだけ早くなる。


 リゼは小さく頷いた。

 「殿下から話す?」


 「いや、お願いする」

 ルデスが一歩下がる。


 リゼは、ごく短く要点だけを告げた。

 「三百年前に、王の刃を使っていたエルフ。

  それらしい人を見つけた」


 胸の奥が、きゅっと鳴る。


 「今は、王都からそう遠くない場所で隠居してる。

  身元は確認済み。昔、王城の近衛にいた記録も残ってた」


 「……本当に?」


 「本当に」

 リゼはそこで初めて、ほんの少しだけ表情をゆるめた。

 「行く?」


 「行く」

 迷う時間は、ほとんどなかった。


◆◇◆◇◆


 

 王都の外れ、小さな森を抜けた先に、それはあった。


 石垣に囲まれた、こぢんまりした屋敷。

 庭には、手入れされた古い木が一本だけ立っている。


 門をくぐり、リゼの案内で中庭を進む。


 「緊張してる?」

 横を歩くリーナが、小さな声で聞いてきた。


 「少しだけ」

 正直に答える。


 ルデスは何も言わないが、背筋をいつも以上に伸ばしていた。


 扉の前で、リゼがノックする。

 「お客さん、連れてきたよ」


 中から、落ち着いた声が返ってきた。

 「入りなさい」


 部屋に入ると、そこは質素な居間だった。


 壁際に本棚が一つ。

 窓際には小さな机と椅子。

 その椅子に、ひとりの男が座っていた。


 長い金髪を後ろで束ね、

 耳は人間より少し長く、尖っている。


 歳は……人間の見た目で言えば、四十代くらい。

 けれど、その瞳の奥にある時間の重さは、明らかにそれ以上だった。


 「よくいらっしゃいました、第2王子殿下」

 男はまず、ルデスに視線を向ける。


 「王城からの書簡は読ませてもらった、お時間をいただき感謝する」

 ルデスが丁寧に頭を下げた。


 「こちらが、例の短剣の使い手――レン・ヴァルドだ」

 紹介されて、一歩前に出る。

 男の視線が、俺の腰のあたりに落ちた。

 そこにあるのは、二本の短剣。


 (……)


 空気が、ひと瞬だけ張り詰める。

 男はゆっくり立ち上がった。

 「その黒銀の短剣を、少し見せてくれるかね」


 「……分かりました」

 鞘から、王の刃を引き抜く。


 闇を溶かしたような銀が、部屋の光を鈍く返した。

 男は、その刃を真正面から見つめる。

 瞳の奥に、懐かしさと、少しの痛みがほんのり混じる。


 「まだ、形を保っていたか」

 小さな独り言のような声。


 

 その時だった。


 (レン)

 頭の奥で、刃の声が響いた。

 (悪い。二人にしてくれ)


 (え)

 あまりに唐突で、思わず眉が動く。


 「どうした?」

 ルデスが小さく問いかけてくる。

 「……王子、少しだけ、この人と二人きりにさせてもらっていいですか」

 自分でも驚くくらい、すぐに言葉が出た。


 ルデスは一瞬だけ目を細め――それから、短く頷いた。

 「分かった。リーナ、リゼ、外で待とう」


 「え、ちょっと――」

 リーナが何か言いかける。


 リゼが、そっとその袖を引いた。

 「殿下の判断だし、レンが頼んでる」


 「……分かったわよ」

 リーナは不満げな顔をしながらも、部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 部屋の中には、俺と、エルフの男と、王の刃だけが残った。



 しばしの沈黙。



 先に口を開いたのは、男の方だった。

 「……そうか。もう目を覚ましているのか」


 その言葉の意味を、俺には掴みきれない。

 だが次の瞬間、黒い刃の気配が、ふっと変わった。


 言葉は聞こえるのに、

 その先に続くはずの「内容」が、うまく頭に入ってこなくなる。


 エルフの男が、低く何かを問いかける。


 刃が、何かを返す。


 声の調子だけは分かるのに、

 それが具体的な言葉に変換されない。


 まるで、水の中から会話を聞いているようだった。


 男の横顔。

 刃の光。

 時々、男の肩が、ほんの少しだけ震える。

 笑っているのか、怒っているのか、泣いているのか。

 どれも、はっきりとは分からない。


 時間の感覚が、薄くなる。


 


 やがて、ふっと空気が緩んだ。

 男が、王の刃にそっと触れる。


 「……ああ」

 その一言だけは、はっきり聞こえた。


 何を肯定したのかは、分からない。

 ただ、その声には長い時間の重さと、少しの安堵が混じっていた。


 (レン)

 頭の奥で、再び刃の声が戻ってくる。

 (悪い、待たせたな)


 俺の手が、自然と伸びる。

 男は、柄をこちらへ向けて差し出してきた。

 「預けていたものを、返そう」


 「……ありがとうございます」

 受け取った瞬間、

 刃の重さが、少しだけ変わったような気がした。


 重くなった、というより、

 “落ち着いた”ような、そんな感触。


 

 扉の外で、足音が近づく。

 「入っていいか?」

 ルデスの声だ。


 「どうぞ」

 答えると、扉が開く。


 リーナとリゼも、一緒に戻ってきた。

 「話は終わったの?」

 リーナが首をかしげる。


 「うん。まあ、だいたい」

 うまく説明できる自信はないので、それだけに留めた。


 エルフの男は、三人を見渡す。

 「殿下。書簡にあった件については、私から王城宛に正式に返答を出しておこう」


 「助かる」

 ルデスが軽く頭を下げる。


 「あなたの名は――」


 「今はただの隠居だよ」

 男は、静かに笑った。

 「昔の名は、もう必要ない」


 その言い方が、妙にすっきりしていた。



 帰り際。

 部屋を出ようとしたとき、男が小さく俺を呼び止めた。


 「レン・ヴァルド」

 振り向く。

 「その刃のことを、一つだけ言っておこう」

 男の視線が、俺の腰の短剣に落ちる。

 黒銀の刃と、もう一本の短剣、その両方を見ていた。

 「本来、その短剣には名がある」


 ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。

 「吸収を担う一本──《餓影》

  循環を担う一本──《廻影》」

 胸の奥が、かすかに鳴った。


 「……餓影、廻影」

 思わず、繰り返していた。


 「どちらも、一本だけでも十分に力を発揮する。

  だが、二本そろった時にこそ相乗効果が生まれる。

  片方が喰い、片方が巡らせる。そう作られている」

 男の視線が、ちらりとリゼの方へ流れる。

 「元々は、対になる一対として鍛えられたものだ」



 男は、わずかに口元をゆるめた。

 「覚えておくといい。

  片方だけだと危うい刃だが、二本同時に振るえばどうにか使えるかもしれない、もしくはこいつが言うことを聞いてくれれば、な」

 その声に、脅しの色はなかった。


 ただ、よく知っている者の忠告の響きがあった。


 「その刃は、扱いを間違えれば世界ごと巻き込む。

  だが、正しく振るう者の手にあるなら──

  きっと、その逆もできる」


 意味を全部は掴みきれない。

 ただ、その視線がまっすぐで、冗談ではないことだけは分かった。

 「……がんばります」

 それしか言えなかった。


 男は、満足そうに目を細める。

 「そうか」

 それきり、もう何も言わなかった。


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