113.心晴れず
部屋に帰ると靴も脱がずに、そのまま天井を見上げる。
目を閉じると、すぐにさっきの光景が浮かぶ。
リーナの背中。
ルデスの横顔。
光の粒になって、指の間から零れ落ちていく感触。
息を吐いて、横を向いた。
枕元にはいつもの鞄。
その奥で、2本の短剣の鞘が小さく光を拾っている。
伸ばしかけた手を、途中で止めた。
(今日はメンテナンスする元気はないな)
そう思い毛布を引き寄せる。
瞼は重いのに、眠りの手前で何度も浮き上がってしまう。
落ちるたびに、黒い空間と刃の輪郭と、会わせろという声が少し近づく。
それでも、いつの間にか意識は途切れていた。
◆◇◆◇◆
翌朝。
目を開けると、窓の外はもう明るい。
(ちゃんと朝だ)
妙な感想が最初に浮かぶ。
起き上がって顔を洗い、制服ではなく簡素な訓練着に着替える。
いつもの手順を一つずつこなしていくと、
頭の中のざわつきが、ほんの少しだけ薄れた。
食堂に行くと、2人はすでに来ていた。
ルデスはパンをちぎりながら書類を見ていて、
向かいでリーナがスープをぐるぐるかき混ぜている。
「おはよ」
声をかけると、リーナがぱっと顔を上げた。
「レン、おはよ。
ちゃんと寝れた?」
「うん。たぶん」
自分でもよく分からない返事になった。
リーナは、じっと俺の顔を見てから、ふっと笑う。
「目の下、ちょっと色悪いけど。
ほんとに生きてる?」
スープを一口飲みながら、さらっと言う。
手が一瞬だけ止まりかけた。
(今の、わざとなのか、素なのか)
ルデスは、わずかに眉を動かしただけで、何も言わない。
「休暇中の予定、整理した」
パンを飲み込み、ルデスが話を切り替える。
「今日と明日は、体を戻すための軽い鍛錬と、資料室で休み明けの情報集め。
箱のことは――」
「当分なし」
リーナが先に言った。
「あれ開ける前に、頭と体をちゃんと戻さないと。
精神がもたないよ」
どの瞬間を指しているか、誰も聞かなかった。
「レン」
ルデスが、少しだけ声を落とす。
「今は強くなることより、感覚を戻すことを優先しろ」
「……努力するよ」
そう答えると、リーナが横から口を挟む。
「努力する、じゃなくて、ちゃんと休む。
鍛錬するなら、私の目の前でやって」
「監視つきかよ」
「当たり前でしょ。
放っといたら、そのうちまたどこかで無茶するからね」
言葉だけなら、いつもの調子だ。
ただ、笑った時の目の奥が、
ほんの少しだけ焦点を外しているように見える瞬間があった。
その日からの数日は、どうしても元気が出なかった。
朝は、軽い剣の素振りと体幹の訓練。
ルデスがメニューを組み、リーナが横で時間を測る。
「ほら、あと二十回」
「さっき二十回やった」
そんな会話もしながら本当に軽く鍛錬をこなした。
日中は、資料室と図書館。
王都北側の地図。
山岳地帯の地形。
過去のベビーベア討伐の記録。
文字と数字と絵を追っている間だけ、
光の粒や冷たい床の感触を、少し遠くに押しやれる。
「ここ、崖多いね」
地図を覗き込みながらリーナが言う。
「足場悪い場所だね、気を付けないと」
「こんな所で落ちるやつ、レンぐらいだろ」
ルデスが小さく笑う。
「レン、お前は特に」
「俺限定かよ」
そう返しながらも、
頭のどこかで、落ちたら終わりという言葉に薄く反応している自分がいる。
夜になると、部屋に戻る。
灯りを落とす前に、
棚の奥にしまった木箱の影だけが、目に入る。
どうしても目を閉じる寸前に、あの黒い空間の端がちらついた。
三百年前のエルフ。
王城の記録。
王の刃の声。
考え始めると、どこまでも沈んでいきそうで、
わざとどうでもいいことを持ち出して、無理やり意識をそらす。
心は晴れずとも、それでもーー、日々は進む。




