表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

109/123

109.ダンジョン箱80F

 八十層の扉の前で、しばらく無言の時間が流れた。

 石の壁にもたれたまま、三人とも肩で息をしている。

 「……よし」


 先に立ち上がったのはルデスだった。

 「このまま長く休んでも、疲れはそう簡単には抜けない。

  ここまで来た以上、扉の向こうを見ずに引き返す方が、むしろ危険だ」


 「確かにね」

 リーナも、ゆっくりと壁から背を離し、額の汗を袖で拭ってから、苦笑した。


 「レン」

 ルデスが視線を向けてくる。


 「行けるか?」


 「行くしかないだろ」


 俺もゆっくり立ち上がり、握り締めた短剣に力を込めた。


 腕は重い。

 足もきしむ。

 でも――まだ、動ける。


 「リーナは俺たちが倒し終わるまで外にいる?魔法使えないならただ危ないだけだ思うけど」


 「ついて行くよ、2人が居なくなったあとどうすればいいか分かんないし」

 リーナが、いつもの調子に戻そうとするみたいに笑う。

 「八十層のボス、さっさと倒して、

  『なんだ、案外余裕だったね』って笑って帰ろ」


 「それ、フラグってやつだぞ」


 ルデスのツッコミに、三人で小さく笑い合う。


 それから、扉の前に並んだ。


 ルデスが真ん中。

 俺が右。

 リーナが左。


 石の扉に、ルデスの手がかかる。


 重い音を立てて、扉が開いていった。


◆◇◆◇◆


 八十層のボス部屋は、広かった。


 天井が高く、足音がよく響く硬い床。

 壁際には、折れた柱のような岩がいくつも立っている。


 奥の暗がりで、ずるり、と何かが動いた。


 姿を現したのは、二足で立つ巨大な狼だった。


 全身を黒い毛皮で覆い、

 肩から腰にかけて、分厚い骨の装甲のようなものが巻きついている。


 両腕には、鎧のような鉤爪。

 背中からは棘の生えた尾が伸びていた。


 「……何あれ」


 リーナが、思わず息を呑む。


 「狼型と、魔獣の混ざりもの、って感じだな」


 ルデスが短く言う。


 「近接主体にみえるな、あの尾と口元の魔力の揺れ方からすると、

  中距離の技も使ってきそうだ」


 黒い獣は、こちらをじっと見つめ――低く唸った。


 床が、わずかに震える。


 「行くぞ」


 ルデスが剣を構え、一歩前へ出る。

 俺も短剣を構え、リーナは後方で待機している。


 次の瞬間、黒い影が弾けた。

 圧倒的な速度だった。

 さっきまで立っていた場所を、鉤爪が抉り取っていく。


 「っ!」


 身を捻ってかわすと、すぐ横でルデスの剣が火花を散らした。


 重い衝撃音。

 鉤爪と武器がぶつかり合う。


 「レン、右!」


 ルデスの声と同時に、

 黒い尾が、横薙ぎに俺の方へ飛んできた。


 しゃがみ込む。

 頭上を棘がかすめ、石柱をまとめてへし折った。


 「硬さも、速さも、七十層までとは別物だな」


 ルデスが、押し込まれながら苦笑する。


 「けど――やることは変わらない」


 俺は獣の死角へ回り込み、短剣を下から突き上げた。


 骨の隙間を狙った一撃。

 浅いが、確かな手応えがある。


 黒い獣が、低く吠えた。

 その振動だけで、肺が揺れる。


 「リーナ!」


 「分かってる!」


 リーナの魔法が、獣の足元で爆ぜる。


 短い光と衝撃。

 ほんの一瞬だけ、動きが鈍った。


 ルデスの剣が肩口を斬り裂き、

 俺の短剣が、脇腹をえぐる。


 血が飛ぶ。


 ――だが。


 「……まだ、浅い」


 ルデスが歯を食いしばる。


 黒い獣は、傷をものともしていなかった。


 尾がうなり、鉤爪が振り下ろされる。

 岩の柱が次々と砕けていく。


 その合間を縫って、俺たちは走り続ける。


 何度も斬り、何度も避け、何度も体勢を立て直した。


 時間の感覚が、曖昧になっていく。


 どれだけ動いたのか分からない。


 腕は重い。

 脚は鉛みたいだ。


 ルデスの頬には血が流れ、


 「……回復、一回分くらいなら絞り出せる」

 リーナが、かすれた声で告げる。


 「次の致命傷まで取っておく」


 「それまでに、決めるしかないな」


 ルデスが短く返し、黒い獣の前へ出る。


 俺は、獣の側面へ滑り込みながら、肩口の傷を狙う。


 そこだけ、骨の装甲が薄い。


 何度も斬りつけ、少しずつ肉を削る。


 黒い獣の唸り声が、低く変わった。


 動きが荒くなる。

 鉤爪の軌道に、苛立ちが混ざった。


 「効いてきてる……!」


 リーナの声が聞こえた瞬間だった。


 黒い獣の尾が、地面を強く叩きつけた。


 床から、黒い衝撃波のようなものが走る。


 「――!」


 避ける間もなく、足元から体をすくい上げられた。


 視界がぐるりと回り、

 背中から床に叩きつけられる。


 肺から空気が抜けた。


 「っ、ごほっ……!」


 横を見ると、リーナも同じように吹き飛ばされている。


 ルデスは一瞬だけ膝をつき――すぐに立ち上がった。


 黒い獣は、視線をリーナへ向けている。


 「――来る!」


 リーナの前に、黒い影が迫る。


 前足が振り上げられる。


 「リーナ!!」


 反射的に叫んだ。


 それより早く、ルデスが動いた。


 剣を捨て、全力の体当たりでリーナを突き飛ばす。


 振り下ろされた鉤爪が、

 ルデスの胸と肩口をまとめて抉り取った。


 血が、砂のように散る。


 次の瞬間――


 ルデスの体が、ふっと軽くほどけた。


 無数の光の粒になって、宙へ舞い上がる。


 「え……?」


 リーナの手から、ルデスの服の端がすり抜けた。


 掴もうとした指先からも、光の粒がこぼれていく。


 「ルデス――!」


 叫びも、掴もうと伸ばした手も、

 何一つ届かない。


 光の粒は、きらきらと瞬きながら、

 目の前でゆっくりと消えていった。


 「やだ……やだ、やだやだやだっ!」


 リーナの声が、崩れる。


 「待って、どこ行くの、ルデス……!

  まだ……まだ何も、終わってない……!」


 黒い獣の尾が、またうなる。


 今度の標的は、リーナだった。


 「リーナ!!」


 まだうまく息もできていない体を、無理やり動かす。


 走る。

 転びそうになりながら、前へ。


 尾が振り抜かれる。


 リーナの体が、宙に浮いた。


 「――っ!」


 間に合わない。


 そう思った瞬間――


 リーナの体も、光の粒になった。


 黒い尾が貫いたのは、もう“形を失いかけた”輪郭だけ。


 光が、一気に弾ける。


 夕焼けみたいな、淡い金色の粒。


 「……リーナ」


 声が、ひどく小さくなる。


 伸ばした手は、何も掴めないまま宙を切った。


 光は、指の間をすり抜けていく。


 広間には、俺と黒い獣だけが残った。


 耳が、変なふうに静かだ。


 心臓の音だけが、やけにうるさい。


 「……ふざけるなよ」


 声が、勝手に出た。


 「連れていきすぎなんだよ……!」


 足が、床を蹴る。


 もう体中が悲鳴を上げている。

 息も、ろくに入らない。


 それでも――止まらなかった。


 黒い獣が吠える。

 鉤爪が降り、尾が薙ぎ払われる。


 斬って、避けて、滑って、また斬る。


 視界の端で、自分の血が飛んでいるのが見える。


 腕が切れ、

 脇腹が裂け、

 足にも痛みが走った。


 体が勝手に傾き、

 踏み込みが浅くなる。


 それでも、短剣を握る手だけは放さなかった。


 黒い獣の動きも、明らかに鈍っていた。


 肩口からは、赤黒い血が流れ続け、

 片目はもう潰れている。


 息も荒い。

 背中の棘も、何本か折れていた。


 「あと、一歩」


 自分に言い聞かせる。


 「あと一歩だけ、前に出れば――」


 黒い獣が、最後の力をかき集めるみたいに吠えた。


 全身の筋肉が盛り上がり、

 鉤爪が、上から振り下ろされる。


 避ける余力は、もうない。


 なら――


 「…道連れにしてやるよ」

 自分でも驚くほど、声は静かだった。


 前に出る。


 真正面から。


 振り下ろされる鉤爪の内側に、自分から飛び込む。


 胸に、焼けるような痛み。


 同時に、短剣を両手で握り直し、

 黒い獣の喉元へ、渾身の力で突き上げた。


 骨の隙間を抜け、

 刃が肉と何か硬いものを貫く感触。


 黒い獣の体が大きく震えた。


 世界が、ゆっくりと傾く。


 自分の視界も、同じように揺れた。


 足元の感覚が消え、

 どこが床でどこが天井なのか分からなくなる。


 黒い獣が、崩れ落ちる。


 同時に、自分の体も力を失って倒れていった。

 (ああ――)

 どこかで、冷静な自分がいた。

 (これは、落ちていく感覚だ)

 視界の端から、自分の体がほどけていく。


 指先。

 腕。

 胸。


 輪郭が崩れ、光になっていく。

 ルデスと、リーナと、同じように。


 「……やっと終われるのか」


 安堵と痛みから解放されていく感覚の中、そんな言葉が浮かぶ。


 それから――


 全部が、暗くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ