105.今後の予定
夕方、寮に戻った俺は、その足でルデスの部屋をノックした。
「入っていいぞ」
中から声がして、扉を開ける。
部屋の中には、ルデスとリーナがいた。
テーブルの上には、北側の地図が広げられている。
「レン、ちょうどいいところに来たわね」
リーナが顔を上げる。
「これからの休み明けの話をしていたところだ」
ルデスが指で地図の一角を叩いた。
「学園の行事で、毎年この時期――
休み明けに“北側の山岳地帯での実地演習”がある」
山の線が何本も重なっている部分に、丸印がついている。
「目的は、そこに季節的に現れる“ベビーベア”の群れの討伐だ。
大きさは成獣の半分ほどだが、数が多くて、群れで突っ込んでくる」
「……聞いたことはあるな」
俺は地図を覗き込みながら頷いた。
「上級生たちの“恒例行事”ってやつだろ?」
「ああ。実際には、上級生だけでなく選抜された下級生も連れて行く。
今回は、レンとリーナも連れて行くつもりだ」
ルデスは、当たり前のような口調で言う。
「もちろん、本人たちが嫌でなければ、だが」
「嫌なわけないでしょ」
リーナが真っ先に返す。
「王都の北側なんて、普通の学生はそうそう行けないんだからね。
それに、ベビーベアはちゃんと対処すれば、実戦経験としては悪くない相手だと思うし」
「レンは?」
「……行くよ」
少しだけ考えてから、答える。
「どうせなら、休みのうちにやれることやっときたいし」
そう言って――
俺は肩にかけていた布袋を、テーブルの上にそっと置いた。
「それで、その“やれること”なんだけどさ」
「ん?」
ルデスとリーナの視線が、袋に集まる。
俺は口を開けて、中から木の箱を取り出した。
手のひらに乗るくらいの大きさ。
表面には、細かい魔法陣の模様が彫り込まれている。
「……何、それ」
リーナが眉をひそめる。
「ちょっと、怪しい匂いがするやつじゃない?」
「怪しいのは否定しないけど、
たぶん、中身は本物だと思う」
俺は、今日あったことをざっと話した。
街外れの路地で気になった匂いに釣られて迷い込んだこと。
甘い匂いに、微妙に薬品っぽい刺激が混ざっていたこと。
そこで出会った魔道具屋と、その店主のこと。
そして――この箱の説明。
「こいつ、“ダンジョン箱”って呼ばれてた」
机の上に置いた箱の縁を、指で軽くなぞる。
「箱を開けば、中にダンジョンが一つ。
全百層あって、上に行くほど難しくなる」
リーナが、目をぱちぱちさせる。
「ちょっと待って。
それ、サラッと言う内容じゃないでしょ」
「まだ続きがある」
自分で言ってて、ちょっと現実味が薄くなるが――説明はこうだ。
「箱の中に入っている間は、
今ある怪我や疲労は全て感じなくなる」
ルデスが、そこで眉をひそめる。
「――危険な匂いしかしないな」
俺は苦笑しながら続けた。
「中で死んでも、本当に死ぬわけじゃない。
箱の外に“放り出される”だけ。
ただし、痛みはちゃんとあるらしい」
「性質が悪いな」
ルデスのツッコミは、もっともだ。
「で、外に戻ったとき――
怪我や疲労は、“箱に入る前”の状態に戻る。
外の時間も、まったく進まない」
「……つまり」
リーナが、ゆっくりとまとめる。
「箱の中で何日戦っても、
現実世界では一瞬も経ってないってこと?」
「説明通りなら、そういうことになる」
ルデスは腕を組み、しばらく黙り込んだ。
「経験値は、どうなると言っていた?」
「戦った分だけ、そのまま残る。
体の動きも、魔力の扱いの慣れも。」
言いながら、自分の肩を軽く叩く。
「中では怪我をしていない状態で動ける、らしい」
「……なるほどな」
ルデスは、ようやく小さく息を吐いた。
「理屈の上では、“時間を使わずに実戦経験と経験値だけを増やせる”わけだ」
「そんな都合のいいもの、ある?」
リーナが、露骨に疑わしげな目を向ける。
「絶対裏があるやつでしょ」
「裏はある」
正直に言う。
「店主曰く、
『もし本当に竜の血とか素材を手に入れることがあったら、
うちに優先的に持ってこい』ってさ」
リーナが、ぴたりと黙る。
ルデスも、わずかに目を細めた。
「……なるほど」
ルデスが、少しだけ笑う。
「動機としては、分かりやすい。
竜の素材が手に入れば、魔道具屋としては破格の儲けだろう」
「その代わり、
『この箱は今、買っても使える客がほとんどいない。
まともに使える腕と度胸があるなら持っていけ』って」
自分で口にしながら、
なぜ俺に渡したのか、いまいち腑に落ちない部分は残っていた。
(……あの目つき、ちょっとただの店主じゃなかったよな)
「レン」
ルデスが、箱をまじまじと見つめる。
「その魔道具。
壊れた時にどうなるか、説明はあったか?」
「そこまでは聞いてない」
「なら、最初は浅い層で様子を見るべきだな。そもそも途中で抜けれるのかも謎だけど。
一度入って、中がどの程度の難易度なのかも確かめる必要がある」
「賛成」
リーナが即答する。
「いきなり百層踏破とか言い出したら、さすがに止めるからね」
「言わないよ」
苦笑しながら、箱に視線を落とす。
「……使うかどうかは、二人にも決めてほしかったんだ」
肩の傷に、無意識に指が触れる。
「正直、このままじゃ“上”は目指せない。
でも、変な魔道具に頼ってまでわざわざ強くなる必要があるのかな…」
ルデスはそこで首を振った。
「レン。
何もせずに足踏みする方が、よほどリスクが高い」
「……王子」
色々なことが頭をよぎり言葉につまる
「王都も、これからもっと厄介になる。
このまま弱いままの方が圧倒的にリスクだ、強くなるには圧倒的に時間が足りない」
ルデスはふっと笑って、続ける。
「このアイテムは、確かに怪しい。
だが、短時間で強くなれるアイテムなら使わない手はない」
「確かに今の王都でやっていくにしても、
そのうち竜と戦うにしても、
何にしても短時間で強くなる必要があるよな…」
「ただこれを使うのは条件がある。俺とリーナが一緒に入る。
魔力や結界の挙動を見て、危険だと判断したら即撤退、それでいいよな?」
ルデスは真剣な顔でこちらを見つめる。
「とりあえず、これが使える物だったら休暇の前半はこの箱で“基礎の底上げ”。
後半は、実際に北側の山に入るための準備と情報集め。
――そういう形にするのはどうだ?」
そう言って、こちらを見る。
「レン。お前は?」
「反対する理由、あんまないかな」
正直なところ、怖さも不安もある。
でも、それ以上に――
(届きたい場所がある)
「明日は一度、三人で箱の中に入ってみよう。
低い階層から、順番に様子を見る。
……それから先のことは、それを確かめてからだ」
ルデスはそういい窓の外を眺めた。
窓の外には、休暇初日の夕焼けがまだ薄く残っている。
テーブルの上の小さな箱が、
その光を受けて、静かに影を落としていた。




