103.魔道具店
ギィ、と軋む音と一緒に、
さっきより濃い甘い匂いが鼻をくすぐる。
チリン、と変な音の鈴が鳴った。
「……いらっしゃい」
カウンターの奥から顔を出したのは、
派手な模様の上着を着た男だった。
年齢は読みづらい。20代前半な気もするし、40代後半な気もする。
細い目をしてこちらをじっと観察している。
「珍しいなぁ。
こんな路地まで、学園の坊っちゃんが迷い込むとは」
「……匂い辿ってきたらここにたどり着きました」
正直に言うと、男はふっと笑い、すぐ細い目に戻った。
「で? 学園の坊っちゃんが、こんなとこまで来て――
何か探しもんか?」
「強いて言えば……」
言葉が、そこで一度止まった。
(肩は、まだ完全じゃない。
このままだと、あのイオンには絶対届かない)
「竜のことを、何か知りませんか」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「それと――もっと強くなる方法があるなら、知りたいです」
男の目が、ほんの少しだけ細くなる。
「えらい欲張りやな。
まあ、嫌いちゃうけど」
カウンターに肘をつきながら、続けた。
「こんな話したとて、意味ないから普段はしないんやけど…その強欲さ気に入ったで、まず竜の話から先にしよか」
男は、棚の奥から古びた瓶を一本取り出し、蓋を開けて匂いだけ嗅ぐ。
中身は見せないまま、すぐに戻した。
「昔話の中にはな、“何でも治す薬”ちゅうもんが出てくる」
「……エリクサー、みたいな」
「せや。それは知っとるんな。
勤勉なこっちゃ、呼び方はいろいろあるけどな」
男は軽く頷く。
「そいつの材料の一つが、竜の血とか、海底の化け物の血とか、そういう類のもんや。
最後に竜の記録残っとるのは――ざっと百七十年前」
「それ以来、見つかってない」
「…それなんやけど、北の方で仕事してた友達がな、『最近
山の向こうの空、黒い影が横切っていった』なんて言っとったで、多分やけどほぼほぼ竜やろうな」
「本当ですか!?」
「まあでも今の世の中で確実にいるとは言えん。
ただ――もし竜の素材が手に入るとなると、こっちとしては、話はがらっと変わる」
「がらっと?」
「血でも鱗でも、骨でもええ。
そんなモンが手に入れば、魔道具屋としては笑いが止まらん」
口調は軽いが、目だけは真剣だった。
「そんな素材で作った薬は、貴族も王宮も喉から手ぇ出して欲しがる。
“どんな傷も治るかもしれん”って希望には、いくらでも金が集まるからな」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
男は、そこでふっと口元をゆるめた。
「ええ顔しとるやん」
「顔、ですか」
「"そいつは是非手に入れたい"って顔しとる」
そう言って、カウンターの下に手を突っ込む。
しばらくごそごそやってから、
掌サイズの木の箱を一つ、どん、と目の前に置いた。
「……箱?」
「竜の話と、“強くなる方法”……奮発したるわ」
男は、箱の天面を軽く叩く。
「ダンジョン箱や。
中に“迷宮”を閉じ込めた代物やな」
「中に……迷宮」
さっきより、少しだけ声が低くなる。
「蓋を開けて入ると、中にダンジョンがある。
全百層。上に行くほど敵も罠もえげつなくなる」
「そんなもの、売ってくれるんですか」
「普通には売らん」
即答だった。
「普通の冒険者に渡したら、まず心が折れる。廃人になるやつもおる。
死んでも戻ってこれるとはいえ、遊び半分で潜る場所やない」
「死んでも戻って?」
「箱の中で死んだら、外に放り出されるだけや」
男は指を一本立てる。
「入った瞬間、今の身体で出せる万全な状態になる。
中でどんだけ傷負おうが、死のうが――
出てきたときには『入る前の状態』に戻る」
つまり。
「入る前の状態に戻るなら、実際の経験以外のものは手に入らないですよね」
「そうやと思うやろ?」
頷き、もう一本指を立てる。
「実はな実際の経験以外にもちゃんと経験値が入っていくねん」
さらに、もう一本。
「それと、外の時間は一切進まん。
中で一日おろうが十日おろうが、戻った瞬間は入った時刻のままや」
頭の中で、条件を並べる。
箱に入っている間は、肩の怪我を気にせず動ける。
死んでも外では死なない。
外の時間も減らない。
でも、経験値と技だけは積み上がる。
「……レベル上げには、最高ってことですね」
自然と、そう言葉が出た。
「気づくの早くて助かるわ」
男は、満足そうに笑う。
「こいつがあれば、どんなに弱かろうが関係あらへん。
竜に挑めるだけ強くなれるかもしれし、なれんかもしれん。
なれるかどうかは、お前次第や」
その言い方は、妙にまっすぐだった。
「竜の素材の話と、ダンジョン箱をわざわざ出したのはもし倒した暁には素材をちいとばかり融通して欲しいからや」
「もちろんそれはいいですけど」
肩に触れて、息を吐く。
(こんな凄いもの一体いくらするんだ…)
「このまま何も出来ないで終わるのは、さすがに嫌なんで」
「せやろな」
男は、値段を短く告げる。
安くはない。
けれど、昔の王都に来たばっかりの俺ではない、今は護衛の給料でお金はある。
「……買います」
迷う時間は、意外と短かった。
金貨をカウンターに並べる。
男は手早く数え、箱をこちらへ押し出す。
「ほな、簡単におさらいや」
指を折りながら、要点だけ繰り返す。
「中に百層、上に行くほど難しい。
入った瞬間、今ある怪我はいったん消える。
中で死んだら、箱の外に放り出されるだけ。
外の時間は一切進まん。
経験値と“体の慣れ”だけは、そのまんま残る」
「覚えました」
「最後に一個だけ」
男の声が、少しだけ落ち着いた調子になる。
「ここは“安全な練習場”やない。
痛みも怖さも、本物の迷宮と変わらん。
“死なんから平気やろ”って気持ちで潜った奴から、順番に折れていく」
「……ちゃんと、心してやります」
そう返すと、男はようやく満足したように頷いた。
「ええやろ」
ふっと笑い、片手をひらひら振る。
「ほな――ええ迷子になりや、坊っちゃん」
意味ありげな言葉を背中で受けながら、
俺はダンジョン箱をしっかり抱え、店を後にした。




