101.1席の失望
その夜。
窓から差し込む月明かりだけが、寮の部屋を薄く照らしていた。
ベッドに横になっても、そう簡単には眠れない。
(……イオン・グラント)
目を閉じると、さっき見た試合が何度も頭の中で再生される。
最小限の動きで避けて、
必要な瞬間だけ、重さを乗せてくる剣。
勇者とのエキシビションも、
途中までは明らかにイオンが優勢だった。
それなのに、
勝ちを取りに行く前に、ふっと興味を切るように棄権した。
「所詮こんなもんか」
声に出してはいなかったけれど、
背中がそう言っているように見えた。
「……まだ、こんなもんか」
自分に向かって、そう呟いてみる。
肩にそっと手を当てる。
傷跡のあたりが、じんわり熱い。
(王の刃)
心の中で、あの闇の中の声に呼びかける。
返事はない。
だけど、短剣を握ったときに感じる“重さ”だけは、
前よりもはっきり分かるようになっていた。
「ちゃんと使うよ。
でも、持ってかれないように――ちゃんと俺のままでいる」
誰にも聞こえない声で、そっとそう約束する。
闇の向こうで、あの刃が笑ったような気がした。
それが本当かどうかは分からない。
分からなくてもいい。
心のどこかで、そう呟く。
悔しいけれど、不思議と嫌な感じはしない。
“届きたい場所”が、前よりもはっきり見えただけだ。
やがて、疲れが一気に押し寄せてきた。
瞼が重くなり、意識がゆっくりと沈んでいった
◆◇◆◇◆
石の階段を降りてきた足音が一つ。
第一席――イオン・グラントが、フードを雑に外して椅子へ腰を落とした。
「……疲れた」
そう言うわりに、息はほとんど乱れていない。
「おかえりなさい、一席」
第七席、“夢を縫う者”が足を組んで微笑む。
「剣のお祭りはどうだった?
勇者とやらは、楽しませてくれた?」
「期待外れ」
イオンは、あっさり切り捨てた。
「光ってるだけ。
もう少しレベルが高ければ、もっと面白かったかもしれないけどな」
「まぁ、勇者様にそこまで求めるのも酷でしょ」
黒い胡琴を抱えた第二席が、爪弾くように弦をなでる。
低い音が、広間の空気を揺らした。
「で? 他には?」
「短剣の子はどうじゃった?」
膝に二つの人形を並べていた第三席の幼い魔女が、目だけこちらを見る。
「レン・ヴァルド、だったかの」
「……あいつは、そうだな…多少は見所があった」
イオンは、少しだけ間を置く。
「速さは本物だ。
第七が言っていた通り、“中身”も悪くない。
あの速さ、そこそこ退屈しない」
「そこそこ、ね」
第三席が、くすっと笑う。
イオンは、指先で自分の肩を軽く叩いた。
「ただ――今のままじゃ話にならない」
視線が、第七へ向く。
「お前、あの肩の細工消せ」
夢を縫う女が、わざとらしく肩をすくめる。
「なんでわざわざ」
「遊びの“道”を作ったのは分かる」
イオンの声が、ほんの少しだけ冷たくなる。
「だが、あのままじゃ弱すぎる。
糸を抜け。折れたままの駒じゃ、盤に上げる価値がない」
空気が、わずかに重くなった。
「……命令、ってことでいいのかしら?」
第七が、細い目をさらに細める。
「肩の糸、あれは私にとっても大事な“手”なんだけど」
イオンは立ち上がりもしないまま、淡々と言う。
「今の細工そのままで、弱いまま俺を退屈させるのか。
もしかしたら、アイツはコマとして使えるかもしれない、それに…」
少しだけ間を置き、続ける。
「俺がやりたいことは“壊れた玩具”で遊ぶことじゃない。強いやつとやり合うこと、やっぱり弱いやつばっかりだと面白くないだろ」
その言い方は穏やかだが、拒否する余地はほとんどなかった。
「……ほんと、第一席って面倒」
第七は、ため息をつきながら指先をひねる。
空中に、ごく細い赤黒い糸が一本だけ浮かび、ふっと霧のようにほどけた。
「これで、レンの肩の“道”は消えたわ。
体は少し楽になるはずよ」
「ふんっ」
イオンは、それ以上何も言わない。
部屋の隅で、2本の剣を立てかけていた、第五席がようやく口を開いた。
「そこまで育てたいんだったら、いい情報がある」
静かな調子で、話を続ける。
「この前、北の方で仕事してた時だ。
山の向こうの空、黒い影が横切っていった。
翼、でかさ、魔力の匂い……どう見ても竜だろう」
「竜?」
第三席の幼女魔女が、人形をぴくりと動かす。
「まだ生きてたとはのう」
「遠目やから詳しくは分からないけどな。
あのサイズやと、人間何人束ねても足りないだろう」
第五席は、ふっと笑う。
「だからこそ、ちょうどいい“壁”になるだろう。
勇者も、王子も、短剣坊主も、まとめてぶつけられる」
「竜、ねぇ」
第四席の男が、椅子の背にもたれてぼんやり天井を見た。
派手な模様の上着に、どこか町の商人じみた雰囲気。
「ほな、街の店の方で、それとなく噂流したろか」
「……そんな上手くいくの?」
第七が、半眼で見る。
「簡単やろ、わいは商人やからなぁ」
第四席は、口元だけ笑った。
「“北の山に竜の影を見た旅人がいるらしい”とか、
例えば“竜の血から作れる薬を貴族が欲しがっている、みたい指名依頼をかける”とか。」
誰の顔も見ていないが、ああいう相手は分かりやすい。
レン。ルデス。リアム。
あのあたりが、きっと一番に反応する。
「お前、そのまま連中と一緒に行くの?」
第二席が、胡琴の糸をいじりながら尋ねる。
「ん〜、どないようかなぁ〜」
第四席は、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「竜相手やと、あいつらだけやとまだ足りへんやろ。
途中で誰か一人くらい、案内役が要るやろし?」
「案内役(たすけてくれるとは言っていない)、ね」
第三席が、人形の口を動かしてぼそりと呟く。
イオンは、それを聞きながら目を閉じた。
「好きにしろ」
短くそう言う。
「竜でも何でもいい。
あいつらが俺に届くところが見られるなら、それで十分だ」
「一席は行かないの?」
夢を縫う女が訊ねる。
「さっきも勇者のこと、『期待外れ』って言ってたけど」
「…気分が乗ったらな」
イオンは、立ち上がりながらあくびをひとつ。
「竜ならすこしは暇つぶしになりそうだしなぁ」
第二席は胡琴の弦を軽くはじき、
第三席は人形の髪を撫で、
第四席は店の帳簿のことを、
第五席はどんな剣士が竜に向かっていくかを、
第七席は、新しく張り直す糸の図を――
それぞれ、別々のことを考えながら笑っていた。




