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六人の竜  作者: 春道
第一章 六竜集傑編
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9.襲撃の夜

雨が降っていた。

遠雷が山々の向こうで鳴っている。


ゼクスとオスカーが泊まっていた宿は、街道沿いの小さな集落にある「三月亭」という木造の宿屋だった。年季の入った梁と柱、低くきしむ階段、どこか懐かしさを感じる暖炉の香り。旅の中継地点としては悪くない。


「ま、雨の夜にゃ、こういう宿の方が落ち着くってもんだろ」


湯気の立つグラスを傾け、オスカーはにやりと笑った。

酒だ。夕食後に宿の主がふるまった地酒で、色は淡い琥珀。彼は三杯目に入っている。


「飲みすぎだろ、それ……」


「ふふん、俺はな、戦場でも飲める男なのさ。これぐらいで酔っちゃあ務まらんよ」


オスカーは片肘をつきながら、炉の火を見ていた。

ゼクスはテーブルの端に腰掛けて、黙って剣の手入れをしている。


「それ、さっきからずっとやってるな。念入りじゃないか」


「村長に教えられたんだ。“剣は鍛えた分だけ応えてくれる”ってな」


「ふぅん。……案外、真面目なんだな、お前」


「そっちが不真面目すぎるんだよ」


そう言うと、オスカーは声を上げて笑った。

外は風が強まり、窓が小さく軋む。


宿の中は静かだった。

他の宿泊客は少なく、年配の行商人が一人と、無口な旅僧が一人だけ。店主はすでに奥に引っ込み、夜番の娘が帳場でうたた寝をしている。


「妙に静かすぎるな……」


ゼクスがふとつぶやく。


「そりゃあ、雨の夜だ。皆ベッドの中さ。……ただし」


「ただし?」


「何も起きなければ、の話だがな」


オスカーの目が、静かに鋭くなった。


そのときだった。

遠く、軋む音がした。馬車の車輪だろうか。それとも、足音。


ゼクスとオスカーは同時に立ち上がった。


「感じるな。殺気が」


「……ああ。何か来る」


ゼクスは剣の鞘を軽く叩き、腰に下げ直した。


雨音に混じって、戸口を引く音がかすかに聞こえる。

宿の外。門が静かに開かれ、複数の足音が泥に沈んでいる。


「まさか……野盗か?」


「この辺じゃ珍しくないらしいぜ。旅人狙いの盗賊団が出るって、さっき宿の親父が言ってた」


「聞いてないぞ!見張り奴らはどうしたんだ!」


「言ってたよ。俺が一杯目の酒を飲んでた時にな。確かに見張りがいないのはおかしいな、酒の飲み過ぎで潰れてるか、はたまた何かの罠か」


ゼクスが舌打ちした瞬間――


「全員動くなッ!」


怒声が、宿の扉を破って響いた。

同時に三人の男が乱暴に押し入り、手にはナタや斧を持っている。後ろにはさらに数人、顔を布で隠し、目だけをギラつかせた盗賊たちが続いていた。


「へへ、今日の宿は豊作だな……男が二人、行商が一人に……へぇ、坊主もいやがる。荷物と財布を置いてくれりゃ、命は取らねぇが?」


ゼクスとオスカーは既に構えていた。


「……さて。野盗とはまた、古風だな」


オスカーが口元を歪めた。


「オスカー、戦うのか?」


「もちろんさ。俺は戦場でも酒が飲める男だからな。……その前に片付けとこうか」


「調子に乗ってないか?」


「乗ってるさ。乗らなきゃやってられねえだろ、こんな時代」


盗賊の一人が「何をごちゃごちゃと」と叫び、斧を振り上げて突進してきた。


瞬間――


オスカーの姿が消えた。


いや、正確には“消えたように見えた”。


「――ッ!」


ゼクスの視界の隅で、雷が走ったような残光。

オスカーは次の瞬間、盗賊の背後にいた。レイピアを一閃。斧を握った腕ごと、男の武器が宙に飛ぶ。


「一人目。……さて、次」


「な、なんだこいつ!?」


「動きが……見えねぇ!」


「あいつ、あいつはまさか――ッ!」


盗賊たちの間に動揺が走る。


「こりゃバレちまったか。まあ、いいか。ゼクス、お前はそっちを」


「了解」


ゼクスは剣を抜いた。オスカーほどの速さはないが、村長仕込みの実戦剣術が体に染みついている。


敵が二人、同時に斬りかかってくる。


(……見える)


わずかに先の動きが脳裏に浮かぶ。


左の男が先に踏み込み、右はその後。間合いが甘い――

ゼクスは一歩下がり、逆に間を詰める。相手の懐に入り込むようにして斬り下ろす。


鋼が空気を裂き、男の肩口を裂いた。


「う、ぐあああッ!」


「次ッ!」


クルリと身体を回転させ、二人目の男の剣を受け流すと同時に足を払う。


「な、なんだこいつら……ただの旅人じゃ……」


「馬鹿が、だから言ったんだよ……あの銀髪の奴、ただ者じゃねぇって……!」


「銀髪じゃねぇ。金髪だ」


オスカーが割り込む。

その動きもまた雷のよう。足元を踏み鳴らした瞬間、地面が弾け、三人の盗賊が吹き飛ばされた。


「雷穿竜の器、オスカー・シュレン。……覚えておいてくれよ。あんたらが今夜、間違った相手に喧嘩を売ったってことをな」


ゼクスが並び立つ。雨が止みかけ、宿の天井を打つ音が静まる。


「もう片付いたか?」


「いや、まだ。外に……二、三人、残ってる」


ゼクスが言った瞬間、窓ガラスが砕け、煙玉が転がり込んだ。


「っ……!」


視界が真っ白になった。だが――


「遅いな」


風が巻いた。


オスカーが踏み込んでいた。煙の中に鋭いレイピアの一閃。

叫び声。崩れ落ちる影。


煙が晴れたとき、盗賊たちはすべて倒れていた。


沈黙。

宿の中は再び静けさを取り戻していた。


「……ふぅ、夜の運動にしちゃ、ちと激しかったな」


「オスカー……お前、本当に強いんだな」


「だろ? まあ、昔は“最強の軍人”なんて言われたこともある。今じゃただの流れ者だがな」


ゼクスは剣を拭き、鞘に納める。


「……助かったよ」


「礼なら酒で返してくれ」


「……またそれか」


二人の笑いが、ようやく宿に戻った安堵の空気の中に溶けていく。

遠くで、雷が最後の一声を残して去っていった。


宿屋「三月亭」の室内は、静寂と焦げた匂い、そして泥と血の混じった重たい空気に包まれていた。野盗たちのうめき声だけが床に残る。


ゼクスは小さく息を吐き、剣を鞘に納める。手には汗が滲み、指がかすかに震えていた。けれど、その目は確かに、数時間前よりも鋭さを増していた。


「……本当に、助かったよ」


「言ったろ? 俺は酒の肴に困らない方が好きなんだよ」


オスカーは床に座り込むと、そばに転がっていた盗賊の瓶を拾い、蓋を抜いた。匂いを嗅ぐとしかめ面になりながらも一口だけ飲み、残りは窓の外に捨てた。


「不味いな。盗賊の酒は、やっぱり口に合わん」


ゼクスは思わず吹き出しそうになるが、すぐに真面目な顔に戻った。


「……なんで、旅をしてるんだ。オスカー」


「……ふぅん」


レイピアを壁に立てかけながら、オスカーはしばらく黙っていた。

それから静かに口を開いた。


「昔、戦場にいた。軍にいて、名前もそこそこ知られてた」


「最強の軍人、ってやつ?」


「まあ、そう言う奴もいたな。だが、もう辞めた。今はどこにも属してない、ただの“流れ者”さ」


「……理由は?」


「簡単な話だ。俺は、自分の信じてた正義が……間違ってたって思っただけさ」


オスカーの声は笑っていたが、その奥には何か沈んだものがあった。

それ以上は聞けなかった。


「……でも、こうしてお前と会った。雷穿竜の器としてな」


「皮肉なもんだな。運命ってやつは、時にとんでもねぇカードを切ってくる」


ゼクスは火の揺らぎを見つめながらつぶやいた。


「……俺は、この力が怖い」


「怖い、か」


「見えるんだ。少しだけ未来が。でも、それが誰かを救うのか、それとも失わせるのか……まだ分からない」


オスカーはグラスを回しながら、ゼクスの目をじっと見た。


「安心しな。お前の目は腐っちゃいない。力は、選んだ道を照らすだけさ。歩くのは……お前自身だ」


ゼクスは黙ってうなずいた。


その時、階段の方から足音が聞こえた。宿の主人と、旅僧と行商人が、おそるおそる部屋を覗き込んでくる。


「お、おふたり……もう、大丈夫、なのですか?」


「安心していい。こいつらはもう二度と暴れねぇよ」


オスカーが肩をすくめながら応じた。


宿の主人は深く頭を下げた。


「命の恩人です……宿の者一同、決して忘れません」


「代わりに明日の朝飯をうまいの頼むぜ」


オスカーが笑うと、場に少しだけ安堵が戻った。

けれどゼクスは、その場に倒れている野盗の一人を見つめていた。

その瞳の奥で、何かが冷たく、静かに蠢いている。


(これから、もっと……こういう戦いがあるんだろうな)


それは予感に近い。

だが確かに、ゼクスの中で、旅と運命の重さが形になり始めていた。


その夜、二人は再び部屋に戻り、交代で眠った。

遠雷はすでに去り、夜はしんしんと更けていく。


宿の一部屋で観察官がワインをくるくると回している。隣には見張りの兵士を取りまとめる兵士長が佇んでいた。


「何のために野盗を誘き出したのですか。しかも護衛をする必要は無いなどと」


兵士長が不服そうに尋ねた。


「お前もオスカーの名前くらいは聞いたことあるだろ?」


「はい。雷の国グライデンでの内戦において多大な功績を残した伝説の兵士でしょう」


「そうだ。そんな男に護衛がいると思うか」


観察官がワインのグラスを傾け、窓から入り込む夜風に移ろいながら話す。


「まあ誘き出したのはゼクスのためだがな、彼には早急に力に目覚めてもらう必要がある。片鱗は出てきているようだがまだまだだ。もっと戦いの経験を積んで成長してもらわないと予定が崩れるのだよ」


生真面目な兵士長は護衛対象を守るという自分の仕事を全う出来ないことを不服に感じながらも上官へと歯向かうのは無礼であるので渋々観察官の陰湿な策略を受け入れるしかなかった。

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