6.旅立ち
「……お願いがあるんだ」
ゼクスの声は、静かだった。
観察官――黒衣の仮面の男が振り返る。彼の背後には魔導兵たち、そして縛られたままのアズマとクレアがいた。空は白み始めていた。夜が明ける。だが、その光は何も救ってはくれなかった。
「最後に……村長と、母さんの墓に、別れを言わせてくれないか」
観察官は一瞬だけ沈黙した。ゼクスの表情には、戦いの最中に見せた気迫も怒りもない。ただ、何かを心の奥で押し殺すような、ひたむきな静けさがあった。
「……その程度の時間なら、許可しよう。ただし、無駄な真似はするな」
「……ありがとう」
ゼクスは軽く頭を下げると、ゆっくりと歩き出した。
クレアとアズマは、まるで何かを悟ったように彼を見つめていた。
夜が明けつつある村の広場に、黒塗りのゴンドラ馬車がひっそりと待っていた。
金属の装甲で覆われた重厚なその馬車は、王都リオニス・セントラルへ向かうためだけに存在する特別なものだった。
───
ゼクスは観察官たちの監視のもと、村の人々と最後の別れを交わすために時間をもらっていた。
「……ゼクス、準備はいいか?」
後ろから、低くて優しい声がかけられる。
振り返れば、村長――トム・バルトが立っていた。
「ん、まぁな……。でも、その前に……頼みがある」
「……ああ、母ちゃんの墓参り、だろ?」
トムが先んじて言った。ゼクスは少し驚き、照れたように笑った。
「やっぱバレてるか」
「当たり前だ。お前のことは誰よりも長く見てるからな」
村長は肩をすくめ、軽くゼクスの背を押した。
「行ってこい。馬車は逃げやしないさ」
「ありがと」
───
母の墓の前には、昨夜摘んでおいた野花が手向けられていた。
ゼクスはしゃがみこみ、そっと手を合わせる。
「母さん。俺、行ってくるよ。……なんかさ、夢みたいだよな」
独り言のように、ぽつりぽつりと語りかける。
「子どもの頃に言ってたこと、覚えてる? “俺、竜の器になる!”ってさ。母さん、笑ってたよな。バカだねぇって」
風が吹き、草が揺れる。
その静寂の中で、ゼクスの目元が少しだけ赤くなった。
「ほんとは……怖いよ。でも……母さんの言ってた、“自分のためじゃなくて、誰かのために選ばれる生き方”ってやつ、今なら……少しだけ分かる気がする」
そう言って立ち上がると、墓の前で深く一礼した。
「次会う時は物語に出てくるような英雄になってたとしても驚くなよ」
自分のなかの不安をかき消すように母の墓跡の前で冗談ぽく気丈に振る舞う。
「じゃあまたね。母さん」
───
馬車へと戻る道中、トムがぽつりと呟いた。
「泣き虫でビビりののお前が剣を続けてくれた時……正直、驚いたよ。」
「うるせぇな」
ゼクスが苦笑する。
「でも、剣を教えてくれてありがとな。あんたがいなかったら、俺……ここまで来れなかったと思う」
トムはふっと目を細めた。
「礼なんかいらんさ。……俺にとっちゃ、お前は自慢の息子だよ」
ゼクスは、少し俯きながら「……ああ」とだけ返した。
───
観察官たちが待つ馬車の元へと戻ると、既に馬が繋がれ、扉が開いていた。
ゴンドラ部分は魔導装置で安定化されており、通常の馬車とは比べものにならない滑らかさを備えている。
「準備は整っている。乗ってくれ、“時の器”」
ゼクスは振り返り、村の景色を目に焼きつけた。
山並み。雪をかぶった木々。小さな家々の屋根から立ち昇る煙。
「……じゃあな、トムさん」
「ああ。また顔見せに来いよ。王都で偉くなっても、俺のこと忘れるなよ」
「忘れるわけねぇだろ」
(……これが、俺の“帰る場所”だった)
「……行こう」
ゼクスは馬車のステップに足をかけ、ゴンドラの座席に身を沈めた。
扉が閉まる。
魔導機関が微かに唸り、馬車はゆっくりと動き出す。
アルバ村の景色が、次第に遠ざかっていった。