4.観察官
「ようこそ、“時の器”」
川の向こう岸に立つ男は、月明かりを背にしていた。黒の外套に身を包み、その顔の下半分を仮面で隠している。だが仮面の奥、細められた瞳だけが異様な輝きを放っていた。
「お前は……誰だ」
ゼクスが低く問う。アズマもすでに剣を抜き、クレアは矢を一本構えている。
「名乗るほどの者ではないが……あえて言うなら、王国魔導情報局所属、観察官というところだ」
「観察官……?」
「うむ。“時の器”の挙動は、極めて興味深い研究対象だからな。こうして“非公式”に見に来たわけだ」
その声は奇妙に丁寧で、まるで舞台上の役者が観客に語りかけるようだった。
「だが残念だ。王国への同行命令を拒否した時点で、お前たちは反逆者として扱われることになる」
「それで……俺たちを殺しに来たのか?」
ゼクスが睨むと、男は肩をすくめた。
「いや、観察対象を殺す趣味はない。ただ、多少“手荒”な手段を使うかもしれないがね――」
「ふざけるな……!」
アズマが叫ぶ。
「ゼクスを連れて行くなら、私たちを倒してからにして!」
観察官はため息を一つついた。
「では、形式上……戦うとしよう」
「ゼクス、来るぞ」
アズマの声にゼクスは頷き、剣を静かに抜いた。
「ああ――やるしかないな」
クレアも弓を握りしめ、素早く矢を番える。
三人は何も言わずとも、自然に陣形をとる。
森で育った三人の連携は、言葉すら不要だった。
「あんたたち、左は任せたわ」
「了解」
ゼクスは一歩前に出ると、剣を低く構える。
それは村長から叩き込まれた“実戦の型”。
体に馴染んだ動きが、自然と全身に走る。
その瞬間、六つの光の陣が空間に浮かび上がった。
青白い魔法陣が、周囲を照らす。
「散れ!」
彼女は幼い頃から森に入って狩りをしていた。
音のない動き、風の変化、匂い――そういった微細な気配から、敵の位置や動きを読み取るのが得意だった。
クレアの指示と同時に三人は各方向に飛び散った。
直後、観察官の魔法が爆ぜ、足元の岩が砕ける。
「アズマ、右から!」
「了解!」
クレアの矢が風を裂いて放たれる。観察官はその軌道を魔力障壁で弾いた。
「正確な射線だな……ただの田舎娘ではないらしい」
「舐めないで。私、狩りじゃ一度も獲物を逃したことがないの」
クレアが冷静に次の矢を番えながら言う。
一方、ゼクスは観察官の懐に飛び込もうとしていた。
しかし、次の瞬間――
(来る……!)
意識の奥に、何かが“視えた”。
観察官が放つ魔法の軌道――
右斜め上から、鋭角に襲いかかる紫の雷撃。
本能的に身を引き、跳ねるように避けた。
バヂンッ!!
雷撃が彼のいた場所を貫き、地面が焼け焦げた。
「なっ……!?」
アズマとクレアが驚く中、ゼクスは自身も混乱していた。
(今のは……未来? いや、違う。でも……“来る”って分かった)
「“時の器”の能力か……面白い兆しだ」
観察官が不気味に口元を歪めた。
「君の中の“時”が目覚め始めているようだな」
「くそっ、今のうちにっ!」
アズマが一気に斬り込むが、観察官は魔力の波で剣を逸らし、逆に押し返す。
「甘い」
その瞬間、観察官の背後から二人、三人と黒衣の兵が現れた。
「囲まれた……!」
「王都の魔導兵……こんなに早く……!」
いつの間にか周囲を囲まれていた。崖上にも黒衣の影が……
完全に包囲された。
「ゼクス、逃げて!」
「駄目だ! 逃げられる状況じゃない……!」
観察官がゆっくりと手を上げる。
「このまま戦えば、君たちは全滅する。だが、ゼクス・アイゼンが従えば、他の二人は無事で済む」
「……っ」
ゼクスの手が震える。
「俺が行けば……二人は助かるのか」
「保証しよう。私は命令には忠実だ」
アズマが食ってかかる。
「やめろゼクス! そんな取引に乗るな!」
「クレアとアズマは、俺の……大切な……!」
言葉が詰まり、剣を握る手に力が入る。
観察官が一歩踏み出したその瞬間――
「来るぞ!」
アズマの声と同時に、崖上から爆裂魔法が放たれた。
地面が揺れ、視界が揺らぐ。
「っち……!」
ゼクスが目を見開く――また、何かが“視えた”。
迫り来る一撃、それを避ける最適の動き。
(……今だ!)
彼はアズマとクレアの腕を引いて、咄嗟に飛び退く。
爆発が三人の位置を吹き飛ばしたが、なんとか深手は避けた。
「ゼクス……」
「何が起きてるの……?」
「わからない。でも、分かるんだ。“来る”って」
観察官が不敵に微笑む。
「なるほど……成長の兆し。だがまだ未熟だ。次で終わりだな」
そして新たな魔方陣が空を覆い――