3.選択の森
夜の森は深く、冷たく、息を潜めていた。
木々の隙間から差し込む月明かりが、まるで逃げ道を指し示すように地面を照らす。
ゼクス、アズマ、クレアの三人は、息を切らしながらも慎重に歩を進めていた。
「この先、東に向かえば旧採掘場の廃道がある。そこまで行けば、しばらく見つからないはずだ」
アズマの言葉に、クレアが頷く。
「でも、途中に小さな川がある。足跡を消すには好都合だけど、追手もそこを通る可能性が高い」
「……じゃあ、急ごう。俺、前を行く」
ゼクスが口を開いた。声にはまだ迷いがあるが、その目は真っ直ぐ前を向いていた。
「ゼクス……本当に、大丈夫?」
「まだわかんねえよ。でも、今はただ……お前らが一緒にいてくれて、それだけで十分だ」
三人は言葉少なに、再び森を進み始めた。
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その頃、森の入り口では王国の追跡部隊が足跡を確認していた。
「間違いない、ここを通った痕跡がある。人数は三名。逃走方向は北東」
「時の器の身柄を確保せよ。生け捕りが第一。だが、抵抗するようなら……最小限の戦闘も許可する」
銀の鎧に身を包んだ騎士団が、無言のまま森へと踏み入る。
その中には、一人だけ黒衣を纏った異質な存在――情報局の観測魔導師も混じっていた。
「“時の器”か……面白い観察対象になりそうだな」
その目は、まるで獲物を楽しむように冷たく笑っていた。
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ゼクスたちは、苔むした倒木の影でひとまず足を止めた。
「ふぅ……ここで少し休もう」
「休めるうちに休んでおけ、ゼクス。顔が真っ青だぞ」
「なぁ、アズマ。あの騎士たち、王の命令って言ってたよな?」
「ああ。あいつらは国の命令で動いてる。つまり、ゼクスを逃がすってことは、国に逆らうってことだ」
「それってさ……お前ら、捕まったらどうなるかわかってるのか?」
「そんなの、考えてないよ」
クレアが即答した。
「私は……ゼクスが死ぬのだけは、絶対に見たくない。それだけ」
「俺もだ。王だろうが神だろうが関係ねぇ。ゼクスが死ぬなんて選択肢は、最初からない」
ゼクスは言葉を失った。
自分のためにここまで命を賭けてくれる二人がいる。
その重みと優しさに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「……ありがとう」
その言葉に、アズマは「なに気取ってんだよ」と笑い、クレアはそっと微笑んだ。
「でもな、ゼクス。もし俺らがこのまま逃げ続けて……それでも捕まって、殺されちまうなら――」
「そのときは、その時考えようぜ」
「……だな」
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そのとき――森の静けさを破るように、パキリ、と枝が踏みしめられる音が響いた。
「……!」
全員が一斉に身を屈める。
空気が変わった。風が止まり、木々のざわめきすら消えたように感じる。
「来たか……」
アズマが剣に手をかける。ゼクスも背に携えた短剣を握りしめた。
「三時方向、三人。距離、約三十メートル」
クレアが冷静に告げる。彼女の視力は村でも群を抜いていた。
「見つかったら囲まれる。今のうちに、川まで一気に走るしかない」
「よし、合図を出したら一気に動け」
ゼクスが頷く。
「せーのっ……今だ!!」
三人は飛び出した。夜の森に、再び足音が響き始める。
「時の器、確認!! 追え!!」
騎士たちの声が木霊し、数本の光る矢が闇を裂いた。
一本がゼクスの肩をかすめ、土に突き刺さる。
「くっ……!」
「ゼクス、しっかりしろ!」
アズマが支え、クレアが先導する。
その先に、小さな川が月光にきらめいて見えてきた。
「もう少し……!」
だが、そのとき。川の向こう岸に、黒衣の男が立っていた。
「ようこそ、“時の器”」
その声は冷たく、どこか滑稽なほど愉快げだった。
「逃げ道の先で待っているとは、用意がいいな」
ゼクスが身構える。男の瞳はまるで何かを“観察”するように、静かにこちらを射抜いていた。
「さて、始めようか。“観察”を」