2.逃走
空に浮かぶ光霊映像が、静かに告げる。
「時穿竜 ゼーレン・ヴァンデルの器。名は――ゼクス・アイゼン。年齢16。出身、アルバ村」
その瞬間、アルバ村の広場を静寂が包んだ。
風の音、光霊粒子のきらめき、遠くでまだ響いている祭囃子。それらが全て夢のように遠のいていく。
誰もが息を呑み、ゼクスという名を確かめるように目を向ける。
その名の主は、広場の噴水の前に立ち尽くしていた。
――自分の名前が、空に刻まれている。
それが意味することを、ゼクスは知っていた。
幼いころから聞いてきた「竜の器」の物語。百年に一度、選ばれた者は命を賭して封印を繋ぐ。
それは、英雄の称号であり、同時に“死者”としての宣告でもある。
「ゼクス……?」
クレアの震えた声が、ゼクスの耳元で現実を引き戻した。
「おい、マジかよ……ゼクス、お前……本当に、選ばれたのかよ」
アズマの顔には、怒りとも悲しみともつかぬ表情が張りついていた。
「わかんねえよ……俺にも」
ゼクスは、空を見上げたまま呟いた。
「ただ、あそこに……俺の名前があるってことは、もう“始まった”ってことなんだろうな」
「……そんなの、認められない」
クレアが力なく首を振った。
「竜の器って……死ぬんでしょ? 選ばれたら、死ぬしかないの?」
「選ばれたってだけで、未来が全部決まっちまうのかよ」
アズマが歯を食いしばりながら言う。
「だったら……そんな選ばれ方、俺は認めねぇ」
そのときだった。
「ゼクス・アイゼン殿!」
鋭い声が広場に響いた。数名の騎士が村の外れから現れた。銀の鎧に王都リオニス・セントラルの紋章――王国の騎士たちだ。
「我らは王都からの使者。竜石の啓示を受けしあなたを、王命により迎えに参上しました。これより王都への移送を行います」
「……は?」
クレアが騎士を睨みつけた。
「いまこの場で? 何の準備もなしに?」
「選ばれし者は即座に王都へ参上するのが慣例です。お引き取りの準備は整っています。荷物等は後日、使者が回収いたします」
「待てよ」
アズマが、騎士の前に立ちはだかる。
「“選ばれた”からって、全部あんたらの勝手にされてたまるか。ゼクスは、ここに住んでんだよ。こっちには、こっちの事情ってもんが――」
「退きなさい、民よ。これは国命だ。従わなければ反逆とみなします」
その言葉に、アズマの拳が震えた。
「ゼクス……逃げよう」
「は?」
「逃げんぞ、お前」
「いや、おい待――」
「ゼクス!!」
アズマがゼクスの腕を強引に引いた。同時にクレアもゼクスの反対の手を取る。
「村の裏手に抜け道がある! そこからなら森に出られる!」
「ちょ、クレア!? アズマ!? 何考えてんだよ!」
「あんたが一人で決められないって言うなら、私たちが決める! 行くの!!」
三人は広場を飛び出した。後ろから騎士たちの怒声が響き、すぐに追っ手の足音が迫ってくる。
「ゼクス、足動かせ! 迷ってるヒマねぇぞ!」
アズマの叫びが、ゼクスの背中を押した。
思い出す。
小さな頃、三人でかくれんぼをしたあの森。
クレアが転んで泣いて、ゼクスが手を引いた。
アズマが先回りして、追っかけっこに勝って笑った。
――あのころと何も変わっていない。
「くそっ……俺……」
ゼクスの足が、ようやく地を蹴った。
「行こう……!」
三人は、夜の村を駆け抜けた。
空では、光霊映像の名残が淡く光っていた。
⸻
その夜、王都リオニス・セントラルでは国王アーグノルド三世が厳命を下していた。
「時の器、ゼクス・アイゼンが逃走したとの報を受けた。至急、追手を送れ。器の移送は最重要任務である」
その声に、側近たちは深く頭を下げる。
⸻
一方、森の中。
三人は肩で息をしながら、木々の陰に身を潜めていた。
「追っ手は……まだ来てねえな」
「すごい……昔と同じ道、覚えてたのね」
「そりゃあ、あの頃、ゼクスがしょっちゅう隠れてたとこだしな」
ゼクスは黙っていた。自分のせいで、二人がこんなことをしている。それなのに、自分には何もできない。
「なあ、ゼクス」
アズマがぽつりと口を開いた。
「たしかに、選ばれるってのはすげえことかもしれねぇ。でも、それで全部終わりだなんて思うなよ。お前の人生、お前のもんだ。国のもんじゃねえ。神様のもんでもねえ」
「……アズマ……」
「俺は、ゼクスが納得するまで付き合う。クレアも、そうだろ?」
クレアは静かに頷いた。
「私も、ゼクスが死ぬために選ばれたなんて思いたくない。だから、まだ答えが出るまで……一緒に逃げるよ」
ゼクスは目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとう。お前ら、ほんとに……最高の友達だよ」
そして、三人は再び森の奥へと歩き出した。
その背後には、騎士団の気配が、少しずつ近づいていた――