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六人の竜  作者: 春道
第一章 六竜集傑編
16/16

16.檻の下、眠らない街

監察塔の取り調べ室は、夜の冷えをそのまま閉じ込めたように冷たかった。

 石の壁、低い天井、油のランプが一つ。机の向こうで衛兵長が羊皮紙をめくる。横に修復隊の年長魔導師が腕を組んで立っていた。爆ぜた塔の裂け目は、彼らの眉間の皺としてまだそこにある。


「――もう一度、経緯を」


「花火だよ」

 ハーデンベルギアはあくびを噛み殺し、椅子の背にもたれた。「王都には派手さが足りない。少し色を足しただけだ」


「《色》で塔を吹き飛ばす奴があるか」衛兵長が低く唸る。「刃を投げ、照準し、爆ぜさせた。そうだな?」


「そうだったかも」

 肩をすくめると、修復隊の魔導師が一歩踏み出した。


「塔は“時の水路”の真上だ。導管の節目に傷が入れば王都全体が軋む。運が良かっただけだ」


「運が良かった? 不運なことばかり考えるから顔が暗いんだ」

 ハーデンは笑ってみせる。「被害は最小。修復は最速。俺は王都の職人を信じてる」


「貴様……」


「やめろ」衛兵長が手で制した。「――記録にあるとおり、お前は炎の国〈焔都ファルドナイト〉出。炎穿竜の器。名簿と一致する。今夜は留置区で休め。夜明けに玉座へ連れて行く」


「休め、ね」

 ハーデンは立ち上がり、淡々と差し出された手錠を睨んでから、自ら手を差し出した。「じゃあ、寝台の柔らかい方を頼む」


 鉄が鳴る。彼の笑みは薄いまま、目だけがどこか退屈を測っていた。



 留置区は塔の下層にある。乾いた鉄の匂い、眠い看守、壁の向こうで誰かが咳き込み、また静かになる。

 鉄格子の向こう、廊下の突き当たりに証拠庫があるのをハーデンは一度の目線で拾う。没収されたククリ刀は、壁一枚、距離にして十五歩――に近い。指先が、退屈を数えた。


 そこへ、軽い靴音が一つ。

 白い外套、亜麻色の髪。王女シュティア・メルクルが現れた。背後には短く距離を置いて衛兵が二人。


「あなた……本当に馬鹿なの?」

 最初の言葉がそれだった。気丈な声の奥に、怒りと困惑が混じっている。


「やあ、姫様。面会歓迎」

 ハーデンは片手を振る。「王都の夜に暇を作ってくれるなんて光栄だ」


「誇り高き器である私達の一人が信じられない暴挙を犯したと聞いて私が直接咎めに来たのよ」


その瞳には憤怒の色が滲んでいた。


「どれだけの人を巻き込んだか分かってるの? “器”が牢に入るなんて、笑い話にもならないわ。全く問題児は一人で十分よ」


「笑ってるのは俺だけさ」

 飄々と笑ったまま、目が細められる。「真面目な姫は苦手じゃない。だが、正しさは時々視界を狭める」


「視界が狭いのはあなたよ。私たちは六年後に“封印の儀”を担う。その間、王都は鍛錬の場であり、守るべき街。あなたの道楽に付き合わせないで」


「道楽、ね。――訂正しよう。俺は退屈に耐えるのが下手なんだ。だから、退屈を手ずから壊しに行く。壊すと、中身が見える」


「中身?」


「この街の“心臓”とか、鼓動とか、匂いとか、嘘とか」

 ハーデンは鉄格子の陰で笑う。「姫は甘いものの匂いがする。城は冷たい石の匂い。王は――さて、何の匂いだったかな」


 シュティアの眉がぴくりと揺れた。「……あなた、何を知っているの」


「まだ何も。だから、夜は長い」


「もういいわ」

 彼女は踵を返しかけて、しかし振り返る。「私たちは仲間。あなたが“器”である限り、私はあなたを見捨てない。だけど――」


「だけど?」


「あなたの軽さが、いちばん危険」

 短い吐息とともに、言葉は刃のように落ちた。


 ハーデンは肩を竦める。「重いものは落ちる。軽いものは飛ぶ。――俺は飛ぶ方が好きだ」


 シュティアの背に、廊下の灯が揺れて遠ざかった。



 灯が三度巡り、留置区に夜が深まる。

 看守の欠伸が重なって、同じ鉄扉の前に二度目の警備が来るまでの間。ハーデンはひざを組み、暗がりで息を潜めた。


(証拠庫は十五歩。壁一枚。――届く)


 指が一度、軽く鳴る。

 鉄格子は鳴らない。音は壁の向こうで、ごく小さな「ツン」という嫌な音になって立ち消える。錠前の心臓に、火花が一つ。

 次の指鳴りで、証拠庫の鍵が内側から吐き出すように外れ、縄のような連結がほどけていく気配が確かにあった。


 看守が目を擦って首を伸ばす。「いま、音が」


「ネズミだろ」もう一人が肘でつつく。


 ハーデンは唇の片端だけで笑った。

 十五メートル――自分の不安定な限界は、いま夜の眠気のせいで十二メートルに縮んでいるかもしれない。だから、音は小さく、小刻みに。点火と不発を混ぜて錠のばねを疲れさせる。三度目、四度目、五度目。


 カシャン。

 暗がりが小さく開く音。証拠庫の扉が、ほんの数指ぶんだけ口を開いた。


(来い)


 喉奥で、口笛にもならない空気のさざ波を作る。

 金属が床石を擦る微細な気配。戻ってくる。刃は飼い犬のように、匂いの道を辿って主へと戻る。


 鉄格子の影で、ククリ刀は掌に吸い込まれた。

 ハーデンはそれをわざと背に隠し、鉄格子の錠を内側から眺める。


「……さて」

 刃の腹を軽くあて、火花を一粒だけ落とす。金属がくすぐったそうに震え、錠の舌がわずかに後ろへ下がった。


 カタン。

 扉は開いた。誰も気づかないほどの、眠気のような音で。



 王都は地上に二つの顔を持ち、地下に三つの喉を持つ。

 一つは下水路。二つ目は物資輸送の抜け道。三つ目――それが“魔力供給路”だ。王宮から大聖堂へ、学術塔へ、軍営へ、魔力の管が青白い血管のように這っている。

 ハーデンはこの街に来て三日で、薄っすらと地図を頭に描いていた。事件を起こしたのは、そこへ降りるための一番簡単な階段が“留置所”に付いているからで、だから今、彼は裸足のような足取りで石段を降りる。


 空気が湿る。石が汗をかく。

 青白い脈動が壁の中で低く鳴り、足元の水溜りに細い光の波紋が揺れた。


(ここからは匂いと脈で行ける)


 彼の歩みは迷いがない。

 ところどころに古い結界の瘢痕があり、修復の符が白い蛍のように点じては消える。幾つかの曲がり角で彼は立ち止まり、耳ではなく胸で“鼓動”を聴く。右へ、左へ。

 やがて、どこかで別の気配がふっと立つのを感じた。


「……こんなところで会うなんて」


 声は水の音と同じぐらい柔らかかった。

 白い灯がふっとともり、長い金髪が淡く光を含む。大聖堂のシスター服。ゆるく流れる裾。

 シュテルン・ヒンメルが、そこに立っていた。


「夜更けに祈りとは殊勝なことだな。だが場所を間違えてないか?」

 ハーデンは肩を竦めて言った。


「祈りに場所は関係ないわ。「大聖堂の“下”で、少し祈っていただけ。静かな地下の方が、神の声は届きやすいのよ」

 シュテルンは柔らかく答えた。


「……嘘だな」

 ハーデンは目を細める。「あんた、ただのシスターじゃないだろ」


 彼女はくすっと笑みを浮かべるだけだった。

「そう思うなら、それでいいわ。答えは急がなくても、そのうち分かるものよ」


「へえ……やっぱり食えねぇな」



 ハーデンの目が、無意識に彼女の指先、ランプを持つ手の静けさを見た。「俺に祈るか?」


「あなたには――」

 シュテルンは一歩だけ近づき、視線を上げた。「祈りより、眠りの方が似合う。眠る前の子供みたいに、夜に強がるから」


「夜は退屈が隠れる時間だ。強がりぐらい言わせろ」


「強がりは嫌いじゃないわ」

 彼女はくす、と笑って、首を傾げる。「どこへ行くの?」


「散歩」


「散歩の先に、《長老竜の間》があるのを知ってる?」


「さて」

 ハーデンは笑い、彼女の横を抜けようとして、ふと足を止めた。「――君は、何をしていた」


「祈り。……それから、風の匂いを嗅いでいたの。今日の王都は、煙と焦げの匂いが少し混ざっていた」


「次は甘い匂いにするよ」


「甘いものは太るわ」


 さっきシュティアに言った言葉を別の温度で返され、ハーデンの口元がわずかに緩む。

 彼は彼女の横を通り過ぎ、六歩ほど進んでから、振り返らずに訊いた。


「なあ、シスター」


「なに?」


「竜は、眠っているふりが上手いと思うか」


「ええ。――でも、呼吸は嘘をつけない」


ハーデンは視線を逸らし、歩みを進める。

 だが彼女の言葉が背中に落ちてきた


「この街には、隠された真実がある。……あなたも、もう気づいているのでしょう?」


 足を止めたハーデンは振り返らないまま、口の端を吊り上げた。

「さあな。ただ一つ言えるのは……退屈しのぎには十分だってことだ」


 その言葉が、地下の冷たい空気にゆっくりと溶けた。

 ハーデンの背を、彼女の視線が静かに追い続けていた。



さらに進むと、重厚な扉と六重もの結界に守られた空間が現れた。

 ここが《長老竜の間》――王都最大の聖域。王家と長老竜以外、決して入ることは許されない。


 近づいただけで肌がひりつき、呼吸が重くなる。

 ハーデンは結界を破るのは不可能だとすぐに理解した。


 床に片手を当て、魔力の流れを読む。

 確かに力はこの部屋へ注がれている。だが――


(……流れが途切れてる。いや、違う。消費が、ない)


 本来なら、そこに眠る存在が魔力を吸い上げ、脈動を返すはずだ。

 だが、感じるのは空虚な循環。まるでそこに“生きた器官”が存在しないかのような……。


 ハーデンはゆっくりと立ち上がった。

 唇に笑みを浮かべながらも、その瞳は鋭い。


「……やっぱり、そういうことか」


 それ以上は口にせず、踵を返した。

 扉の向こうに何があるのか、確かめる術はない。だが、彼にはもう確信があった。

 


 彼は何も触れず、何も持ち帰らず、ただ足跡だけを石に預けて、部屋を出た。



 戻り道は速い。来た時よりもさらに薄く、音も匂いも消して。

 大聖堂の地下を横切る手前で、ふと冷たい風が頬を撫でた。シュテルンの姿はない。ランプの残り香と、どこか甘い花の香りだけが漂っている。

 彼は一度だけ立ち止まり、胸の中で言葉を組み替えた。


(王――お前は、何を隠してる)


 それから、留置区へ。

 鉄扉の前で、彼はククリの背で錠前をやさしく撫で、留め金を元の位置へ落とした。証拠庫の扉も同じように。

 看守がいびきをかく。彼は格子を静かに閉じ、寝台に横たわる。眠るふりをする者は、呼吸を整えるのが上手い。ハーデンはわざと下手に整え、横向きに目を閉じた。


翌朝、使者が迎えに来るだろう。――理由は分かりきっている。爆破事件の件だ。


「さて……王様と、どんな顔合わせになるかね」


 瞳を閉じながらも、彼の口元には飄々とした笑みが浮かんでいた。

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