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失せ恋  作者: 桃巴
2/2

ⅠーⅡ

『待っていてくれ、必ず戻るから』


 記憶の一片が蘇った。

 だが、鮮明ではない。

 ひと欠片の記憶だったから。

 確かに自身が言った記憶だった。

 胸がグッと詰まる。

 大きく深呼吸し剣を振るう。

 傷口が突っ張る感じに少しだけに顔が歪んだようだ。


 笑ってみせた。

 傍らの女に。

 大丈夫だと伝わるように。




「……おい。何を呆けている? さっさと続けな」


 魔女のしゃがれた声に男がハッとする。


「その日を境に、徐々に記憶の欠片が蘇っていった。だが、欠片は欠片でしかない。繋ぎ合わさなければ形にはならない。私は……無理に繋ごうとは思わなかった」

「なぜだい?」

「割れたコップを繋ぎ合わせても、元のコップには戻らない。記憶の欠片を繋ぎ合わせてもヒビの入った痛々しい形になるだけ。だから、頭は激痛に襲われる。記憶喪失とはそういうものだと」

「なるほど、面白い考えだねえ」


 魔女がクツクツと笑った。


「記憶は形じゃないから、繋ぎ合わせる必要はない。私の記憶は自然に蘇っていった。いや、待て……はたして、私のそれは記憶喪失だったとは言い難い」

「じゃあ、何だと?」

「言うならば、起きがけのまどろみか……寝ぼけていたか……そう、たぶんボーッとしていただけだと。重症のせいで覚醒まで長くかかっただけのことだった。半年を過ぎた頃だっただろう、記憶が蘇り始めたのは」


 魔女がフンッと鼻を鳴らす。


「じゃあ、完全に目覚めたときは、清々しい朝だったかい?」


 男は首を横に振る。

 伏し目がちに小さくため息をついた。


「目覚めたくないと、まだまどろんでいたいと、起きることから逃げた。手にした温もりを離したくなくて。女は弱いのに強がり、拙いのに大人びて、泣き虫なのに笑み華開き、我が儘なのに優しく、……髪触れ梳かし、鼓動の心地よさに浸っていた」


 男の表情は懐かしむように柔らかい。


「だが、時折、目覚めてしまう。待っている者を思い、宙を眺めた。泣いてはいないか? 元気だろうか? 淋しいだろうな。辛いだろうな。だが、信じて待っているだろうな、と」


 男が両手を開き見つめる。


「この温もりを置いて戻るのか? この温もりを連れて行けるのか?」


 男がグッと両手を握り拳を作った。

 そのまま、顔を上げ虚空を眺める。


「約束した。必ず戻るから……と。待ってるよな、きっと待っている」


 男の頭が下る。

 拳を開き両手を重ね包み込む。二つの拳だった手が、一つの温もりになっている。


「連れてはいけない。じゃあ、置いて行くのか? 一人にすると?」


 男は目を瞑り唇を噛む。


 虚空は待ち人へ。

 両手は温(恩)人へ。


 男は二つの現実を行き来し、葛藤しているのだ。


「ダメだ、どっちもダメだ!」


 苦しげに男が言った。

 首を力なく横に振る。

 ゆっくり目を開き、また宙に視線を向けた。


「何度も遠い空を眺めたさ。答えなどないのに、探し求めうなされる。そうこうしている間に、数カ月が過ぎていた」


 男の両手が頭を抱える。


「そんな揺れる私さえ、慈しみ包んでくれていたんだ。ありふれた当たり前の日常に身を任せ、とことん甘えた。弱く拙いのは私だった」


 苦笑。

 男のそれはまさにそれだった。


「とても心地よく穏やかなのに、すごく脆く儚い日々だったと思う。このままではいけない。このままでは、壊れてしまうとね」

「どっちがだい?」

「え?」

「お前がか? 女がか?」


 魔女が男を見透かす。

 男はまた力なく首を横に振った。

 応えることを拒んだのだろう。


「そんな、駄々をこねたような私を、澄んだ声色が叱った。『そろそろお戻りになられたら?』と。思わず、宙を眺めた。なんの穢れもない真っ青な空だった。待ち人を隠す雲もなく、信じて待っている顔が鮮明に浮かんだ。『その剣を振るう元の場へ』。ストンと落ちた。『そうだな』と自然に紡いでいたんだ」

「なるほどねえ。このままではいけない、とお前さんも女も思っていた。このままでは壊れてしまう、とお前さんも女もわかっていた」


 男がフッと笑う。

 魔女もフンッと笑った。


「触れ合う距離に腰を下ろして、二人で空を眺めた。時間が止まったような空だったんだ。私たちだけの空だった。何かがせり上がってきてグッと堪えた。横を見たいのに、抱きしめたいのに、できなかった。意気地なしで卑怯だった。『やっぱり行かないで、ずっとここに居て』そんな言葉を望んでいた、……同時に言わないでくれとも。伝えたい言葉はたくさんある。たくさんの想いがあるのに、紡げたのはただのひと言だけ。

『忘れない』

『忘れないわ』

同じ言葉を同時に言った。……満ちた。心に一気に広がり満ちた。満ちてしまったから」


 満ちた故、何も告げずに去らざるを得なかった。満ちた先に進めば、堰から止めどなく溢れ出してしまう。壊れてしまうから。

 それを受け止める術なく、先には進めない。

 剣を振るう場に戻り、答えを見つけなければ前には進められないのだ。


「翌日、女はいつもの朝で私を迎えてくれた。ありふれた日常の朝……起きたくないと駄々をこねる女の頭を撫でる。いつものように梳いた、髪を。枕に顔を埋めたままだった。顔を見せてくれ、瞳を見せてくれ。そのままで見送るつもりなのか? 梳いても梳いても、女は顔を見せてくれない。梳いている私に応えてはくれなくて……

『待っていてく』

『ありがとう、起きました』

確約のないことを口にしようとした私を、女は止めたのだと思う」


 情景を紡いでいく男の両手が顔を覆う。


「あんな瞳を見たかったわけじゃない。あんな……あんな顔をさせたかったわけじゃないのに」

「同じ顔をしていただろうさ、お前さんも女も」


 顔を覆っていた手を男が下ろす。

 虚ろな瞳だった。

 涙目ではない。

 魔女の言葉通りだったのだろう。


「いつもの二人の朝を過ごす。白湯を渡した。『じゃあ、行ってくる』『ええ』会話はそれだけ。いつもの朝の鍛錬に行くときのように、軽く手を振られた。扉を開けて外に出る。後ろ手にパタンと扉が閉まり、一歩、二歩……三歩、空を見上げた。昨日、真っ青だった空は移ろっていて、四歩、五歩、足も移ろう。さあ、行け!」


 



『待っていてく(れ、必ず帰ってくるから)』


 好いている。

 この想いは変わらない。

 女の決心と私の決心が違った未来であっても、幸せを壊したりはしない。

 守ってみせる。

 例え、手を取ることができなくなったとしても。

 胸がグッと詰まる。

 大きく深呼吸しても疼きが残る。


 だが、笑った。

 大丈夫だと届くように。

 大丈夫だと自分を奮い立たせるように。



 ーー

 ーーーー

 ーーーーーー



 戻った私を、待ち人が抱き締める。

 私も力強く抱き締めた。

 涙が止めどなく溢れ出るその顔を何度も拭う。

 お帰りと言い待ち人が笑った。

 待たせてごめんと私は応えた。


 心が張り裂けそうで、顔が歪んだようだ。

 待ち人がソッと私の体に手をかざす。

 止めろ!!

 この傷は女以外に知られたくはない。

 知られてはいけない。

 奪われてしまう。


「おい、奪われる? どういうこったい」


 魔女の訝しむ声で、男はハッとした。


「それは……」

「全てをさらけ出さなきゃ、魔女の薬はやらないよ」


 男は何度か浅い呼吸をした後、言い淀んだ言葉を告げる。


「『聖女』だと知られたら奪われるから」

「……ほお」


 魔女がフッと口角を上げる。


「さあ、全て吐いちまいな」


 魔女と男の視線が重なる。


「いや、見せろ、傷跡を」


 視線の交わりが強くきつくなる。

 他言は許さぬと男が圧をかけ、魔女は口を人差し指でなぞり、他言せぬと示す。元より、魔女の掟で、見聞きしたことはどんな拷問を受けようとも他人には明かさない。

 男が頷き、胸元を開けた。


 心の臓を一刺しされた生々しい傷跡が現れる。

 だがそれだけではない。

 刺し傷は、串刺しの如く男の体躯にあった。


 一カ月の介抱で起き上がれるような傷ではない。

 それどころか、助かるなど不可能、そんな傷跡だった。


「聖の力だねえ」


 魔女が目を細めて男の傷跡を見つめた。

 男はサッと上着で傷跡を隠す。


「そりゃあ、女を連れては行けないか。お前さんが危惧した通り、聖女は王家が保護しちまう。いや、奪っちまうからねえ」


 男がグッと拳を作る。


「ああ、奪われた。私の片割れも聖女だから」

「何?」


 魔女が珍しく驚きの表情になる。


「待ち人も温(恩)人も聖女だと?」


 男が頷いた。


「だが、私の片割れは聖女としては力が弱かった。薬草に少しばかり詳しく、治癒力も少しばかり持っている程度。そんな者さえ、戦では重宝される。いつもなら、片田舎で育った平民など目もくれぬのに。……魔女狩りならぬ」

「聖女狩りだねえ」


 魔女の目が冷える。

 男は口を開かず魔女の言葉を待つ。


「どっちも正解だ。戦時中は聖女として前線で働かされ、勝利目前になると王都の神殿で祈っていただけの貴族令嬢が真の聖女だったとされる。貴族がよくやる手だ。それで、散々こき使わされた平民の聖女など、捨て駒どころか汚名を着せられちまう。聖女を騙った……魔女だとね。真の聖女の祈りが勝利に導いた。戦が長引いたのは魔女のせいだと民を煽り、自分たちに矛先が向かわぬように戦の不満をぶつける対象を作り上げる。昔も今も変わらない。あたしんときと同じだ」

「聖女様」


 男は真っ直ぐな瞳で魔女を見て言った。


「止めとくれ。あたしゃあ、もう魔女だ。聖女だなどと呼ぶな。反吐が出る」


 魔女がフンッと鼻白んだ。


「では、魔女様とお呼び致します。魔女様、どうか私の片割れを助け出し、想い人を守るためにお力添えください」


 魔女の眉間にシワが寄る。


「……どうもおかしいと思っていた。耳に引っかかっていたんだねえ。『片割れ』って言葉が」


 男がおもむろに傷跡に手を当てる。


「片割れだから、私が狙われたんだろう、味方に。私が死ねば、片割れに全ての力が移るとでも思ったのか」

「双子か」


 男が頷いた。


「私の片割れ、妹を王家に拐われた。保護するという名目の人質だ。私は聖騎士として妹の守護者になった。貴族令嬢の聖女は、戦火に駆り出されない。駆り出されたのは妹だ」

「懐かしいほどに、酷い話だねえ」


 男が大きく息を吐く。


「ある日、退路を断たれた一戦の最中、聖女を狙おうとする敵と応戦した。窮地だったのは間違いない。前方から敵に、背後から味方に刺された。……一縷の望みをかけた起死回生の一手だったのだろうさ。聖女の片割れの私が死すれば、聖女の力が増すと思っての」

「……で、どうなったんだ?」


「剣で幾刺しもされた私を目にし、聖女は……妹は、力が暴走したのだろう。いや、覚醒した。一瞬まばゆい光が走ったかと思うと、敵も味方も数十メートルは吹き飛ばされていた。もちろん、私も。敵の士気を削いだのは間違いない。だが、再度攻撃態勢に入って向かってくる。味方は味をしめた。崖間際まで飛ばされていた私を、蹴り落としたのだ。妹が駆けてきて落ちていく私に手を伸ばした。私は首を横に振って『待っていてくれ、必ず戻るから』と伝えた。妹は『待っている、信じて待っている!』と叫んだ。私は安堵していた。力を覚醒した妹を、王家は邪険にはできない。それどころか、自らの盾とすべく手元に置くことだろうと」


 薬草に少しばかり詳しく、治癒の力もあり、窮地の時には周囲を吹き飛ばす。これ以上ない盾になろう。


「私は笑った。妹に大丈夫だと伝わるように。妹の泣き笑いの顔を見て、私は意識を手放した」


 深い谷底へと落ちていく。

 谷底の川に落ちたのだろう。

 流され、辿り着いたのが女が水汲みで来た川岸だったのだ。


 そこは、続く戦の世で滅ぼされた亡国の辺境地。


「王家が滅ぼした小国の地、荒廃し見捨てられた谷底の奥地に流れ着いた」

「ああ、やっと腑に落ちた。お前さんの妹にまで王家の手が伸びたのに、瀕死のお前さんを救うほどの力の持ち主を、王家が見つけられなかった理由が」


 男が軽く目を閉じ応えた。


「王家は谷底の奥地に逃れた亡国の民を知らぬようだ」

「あそこは昔から忌み地だからねえ。腐海、腐った森だ。亡国が管理していた忌み地。人が住むのには相応の覚悟が要よう」

「王家に知られるわけにはいかない。かの地も聖女も」


 魔女は尖った爪でコツコツと机を突く。


「妹も王家から救い出したい。戦中は大事に扱われるだろうが、戦が終われば」

「あたしと同じか」

「ああ」


 聖女であった魔女だからこそ、男の妹の行く末は想像できよう。いや、経験済みだ。


「厄介だねえ。で、どんな薬を欲する?」

「『身替り薬』、『変身薬』とも言うのだろうか、私を一時でも聖女に見られるようにして、妹と入れ替わる。妹も薬で猫にでも変わり、聖女に変身した私が抱き抱え外に逃がす算段だ。どうか、魔女様に妹を託したい」


 ガタン


 台所から物音がした。

 ニャーゴと鳴き声がして、黒猫が現れる。

 魔女の黒猫は、金色に光った瞳で男を見つめてから、暖炉の前を陣取った。


「で、お前さんは、その後どうするんだい?」

「もちろん、逃げる」

「その後は?」

「帰るに決まっている。あの川岸で寝転んで待つだけ。今度こそ、ちゃんと目を見て告げるんだ、好いている、と」 


「逃げられなかったら?」


 男は答えない。それが答えだから。


「捕まっても、お前さんは口を割らないか」


 男は微笑む。

 かの地で待つ想い人のことも、魔女に託す妹のことも、決して口にすることはないだろう。二人を守り抜くために。

 自身をかけた大勝負を王家相手に挑むのだ。


「持ってきているのかい?」


 若干、口角を上げた魔女が問う。机をコツコツとまだ突いている。


「これが妹の、聖女の髪です。どうか、薬を作っていただきたい」


 男が魔女に封筒を差し出した。

 変身薬の調合には変身する相手の髪が必要だ。

 魔女が封筒を手にした。


「……いいだろう。だが、計画を少しばかり変更するぞ。お前さんの計画には、役者が揃っていないからねえ」


 愉しげな魔女の声に、男が眉をひそめる。


「聖女に成り変わるなら、お前さんより聖女の方が良いだろ? お誂え向きにお前さんの目の前に居るじゃないか、元聖女が」

「え?」


 魔女がクツクツと笑う。


「よくお聞き。お前さんは白猫に変身したあたしを連れて王城に行く。幸運な白猫だと言い、聖女への土産にすればいい。三人だけになったら、あたしが聖女の姿に変身するさ。お前さんは鼠に、聖女は白猫に変身させて、猫が鼠を追って王城から出て行くって算段でどうだ? こっちの方がスマートで確実じゃないか」

「魔女様はどうやって逃げるのですか!?」


 魔女が椅子にかけていた毛布を手に取る。

 頭から被ると……スッと消えた。

 男が目を見開く。


「聖の透明毛布さ。あたしがここまで生き長らえ、逃げ遂せたのはこれがあったからだ。頭をこれで隠すと姿が消える。頭さえ出していれば、ただの毛布だ。白猫になったあたしを顔だけ出し、これで包んで王城に運んでくれ」


 魔女が毛布を男に投げた。


「クックックッ、昔っから卑劣で卑怯な変わらぬ王家に、一泡吹かせてやろうじゃないか。お前さんだけにおいしい役はさせないよ」

「魔女様……感謝致します」



 ーー

 ーーーー

 ーーーーーー



 鼠と白猫は待っていた。

 魔女が戻ってくるのを。


 暖炉の前を陣取っていた黒猫がピクッと耳をそばだてた。


 ニャーゴと鳴く。


 ギィーと玄関が開く。

 黒猫が何かにすり寄った。

 ギィーと玄関が閉まる。


 パサリと毛布が椅子にかけられた。

 魔女が現れる。


「待たせたねえ。久々の王城だったから、ちょいと遊んできてやったのさ。魔女の悪戯ってやつだ」


 何やら魔女は、王城で悪さをしてきたようだ。


「あたしにした酷い仕打ちに比べりゃ、軽いもんだがね」


 魔女の溜飲が少しでも下がったのか。


 チュウチュウ

 ヌャーゴ


 鼠と白猫が鳴く。


「元にお戻り」


 魔女の尖った爪が鼠にツンと触れると、みるみるうちに男へと姿が戻った。


「魔女様……」


 男は溢れる安堵に声が震えていた。

 魔女はフッと笑って白猫を抱き上げる。


「この子は、もう少しばかり白猫でいた方が良いだろう。王家が血眼になって捜すからねえ」


 ヌャーゴ、ニャーゴと白猫も黒猫も鳴いた。


 コンコン


 男も魔女も身構える。


 コンコン


 また、扉がノックされた。

 まさか、もう追っ手が? 魔女が白猫を放つと、黒猫が台所へと誘導した。

 男も台所に身を隠すようにと、魔女が目配せする。


 コンコン

『もし、誰かいらっしゃいませんか?』


 男の足が止まった。

 聞き覚えのある声だった。


 コンコン


「待っとくれ」


 魔女が答える。

 男には早く台所に行けと目で訴える。

 男はグッと拳を握って魔女に頭を下げた。

 魔女はコクンと頷き、男を台所へと押し込んだ。


「今、開けるよ」


 魔女は小さく息を吐き出してから、玄関に向かう。


『夜分に申し訳ありません』

「いいさ。ここがどこだか分かっての訪問だろ?」


 魔女が玄関の扉を開けた。


「はい。こちらは『みかわしの魔女』様のお宅だと」


 女が軽く会釈した。


「ああ、その通りさ。魔女の家には夜に訪れるって相場が決まっているもんさ。さあ、お入り。望む未来を手助けしよう」



 ⅡーⅠ

 ーー

 ーーーー

 ーーーーーー



「命を宿しているね、その腹は」


 グッと堪えた、駆け寄りたい衝動を。

 溢れ出る涙は拭わない。

 寄りかかった棚から、生姜が落ちる。


 ガタン

 

 白猫が……妹が、横をすり抜けていく。

 ヌャーゴと鳴いて、魔女を台所に誘導させた。

 魔女が目だけで制する。

 尖った魔女の爪が、台に指文字を書く。


『耐えろ、待て』


 溢れ出そうになる嗚咽を両手で抑え込み、男が頷いた。





 二杯めの生姜湯を飲み終えた女を魔女が見送った。


「小瓶に入っているのは生姜湯だよ」


 魔女の呟きは女には聞こえない。

 聞こえているのは男だ。

 ヌャーゴと鳴いた白猫を魔女が抱き上げ、男に渡す。


「しばしの別れだ。王家を欺けるように修行させる。なあに、あたしがついているんだ、安心してくれ。お前さんらが、三人家族となる頃にでも皆で遊びに行くさ」


 ヌャーゴ、ヌャーゴと白猫が鳴く。

『待っていて、修行を終えて行くから』とでも言っているようだ。

 男は白猫の額に自身の額を重ねて、『待っている』と伝えた。


「ほれ、寄こしな。あたしの大事な弟子だしねえ」

「お願い致します」


 男は魔女に白猫を、妹を、託す。

 ニャーゴと黒猫が鳴き、男の足下にすり寄る。俺に任せろと言わんばかりに。

 男は『頼んだ』と黒猫にも言った。


「さあ、お行き。女の一人旅は危険だ。いや、待て」


 魔女が毛布を掴むと男に投げた。


「やる。かの地も聖女も見つけられぬように、消えてお行き」


 男は駆け出しながら毛布を被る。

 消えた姿を魔女と二匹が見送っている。


「幸せにおなりよ」


 魔女の呟きは女に聞こえない。

 女が遠く影になってからの言の葉だったから。


 その影も、フッと消えたのだった。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 切なかった・・・ 章タイトルにおや?と思ったのですが、ああこういうことかと納得。 きっと台所にいるなと思ったのが予想通りでしかもその上をいくハッピーエンドにつながったのも素敵でした。 [一…
[良い点] 昨日感想を投稿した者です。申し訳こざいません、折角心のこもったご返信頂いたのに感想を削除いたしました。プロの方の作品の感想に「尊敬を覚えた」とか、よく考えるとおかしくない?何様?と急に恥ず…
[良い点] ストーリー展開が最高! [一言] ワクワク、ドキドキ、涙、、そして最後にわぁ〜! たった2話でこれだけの驚きと切なさと喜び 素晴らしいです。 魔女が王城でどんな悪さして来たのか、読みたい!…
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