裕太郎 5
あのとき食事を初めて誘って以降、俺は涙に定期的にアプローチをかけ、今では気兼ねなく食事に誘える仲にまでなった。ほぼ面識のなかった状態から、ここまでの関係にするまで本当苦労させられたものだ。
さて、今夜の話に戻ろう。
今、夜景の見えるソファ席に俺は座っている。隣には白羽涙が座り、彼女は好きなビールをちびちび飲みながら笑顔で最近の社内のくだらない鬱憤を話している。彼女はお酒にはめっぽう強いようで、ビールを何杯飲んでも酔いつぶれたことはないのだとか。実際どのくらい飲めるのかは正直わからないが、俺より強いのは間違いないだろう。なので、酔い潰してお持ち帰りする作戦は通用しない。
彼女の身体は華奢だ。飯を食うたびに涙は「私は大食いだから」と豪語しているが、実際のところ、男の視点から見れば小食としか言いようがない。とはいえ、涙は華奢な体つきにしては似つかわしくない胸の膨らみといい、肉厚な臀部といい、本当に魅力的なルックスをしている。出会ったときから、彼女の方を見るたびに、その曲線美に欲望が支配されてしまう。横目で美味しそうに香ばしく焼き上げられたチキンを頬張るルイを見やる。服の上からでもわかる彼女の胸の大きさにゴクリと唾をのみ込むと、頭の中には良からぬ妄想が一気に広がってくるのを感じてしまう。落ち着け。まだ食事中じゃないか。彼女の裸体を存分に楽しむためにも失敗は禁物だ。欲望は捨てて真摯に誠実かつ慎重に彼女を口説き落とさねばならない。私は煩悩を振り切り、彼女との会話に集中する。
「ここのお店ってたしか2回目だよね。初めて連れてきたときは夜景の見える席がいいなぁ、って言ったの覚えてるもの」
「いやさ、それ覚えててさ。ちょっとリベンジじゃないけど、せっかくだし今日は夜景の見える席にしたよ」
「さすが、裕太郎。覚えててくれて嬉しいな」
「ねぁ、裕太郎。私たちの関係ってさ……どういう関係?ふふ」
「どういう関係って……..そりゃ、飯食って楽しく会話して……そういう関係だよ」
「本当にそれだけ?」
「何が言いたいんだよ、そのつまり…….」
たしかに俺と涙の今の関係は非常に微妙な関係である。別に何か事をなしたわけでもない。何か将来を約束した覚えもない。ましてや交際を宣言した記憶もない。なんだかんだデートと称して二人で会ってご飯を食べて、健全に解散する、という行為を何度も繰り返してきたのである。正直、俺としてはもう何度も一線を超えたいと思ったことか。何度も踏ん張り、相手からのOKサインを見極めようと慎重に進めてきた。だが、彼女のOKサインが全く見えない、むしろ警戒心すら時折見えてくる、というのが今の状況である。
いったん気持ちを落ち着かせるために、トイレに立つ。
先ほどの会話はなんだったのだろうか。つまるところ、今日はなんだか風向きが違うようにも感じる。気のせいだろうか。ワンチャンスあるのだろうか。
レストランのトイレの鏡で改めて髪型を確認し、席へ戻る。
「あ、ごめん。裕太郎ももう一杯飲むと思って同じビール頼んじゃった。飲める?」
「あぁ、大丈夫だよ。まだ余裕で飲める」
グラスを手前に引き、追加で注文されたビールをごくごくと飲む。涙も合わせてビールを飲んでいる。
「そういえばさ、裕太郎の実家ってどこか前聞いたっけ?」
「うちは東京だね。東京生まれの東京育ちだから」
「ふーん。そうなんだ。江戸っ子ってやつ?ふふ」
「江戸っ子なんて今はもう言わないだろ。東京だから方言もないし、地元の感覚もないから寂しいもんだよ」
「私は地元に愛着があるからな。千葉ですぐ帰れるからってのも大きいかも」
若干の沈黙。涙が何か探っているのがわかる。
「ねぇ、裕太郎。うちの実家に遊びに来たい?」
「はい?うちの実家って。何言ってんだ」
「やっぱりいや?」
「いや、そうじゃなくてだな。お前の部屋にも言ったことないのに、親に挨拶しに行くわけないだろ」
「あぁ、まぁ、そっか。たしかにそうだね」
またしても若干の沈黙が流れる。
「ねぇ、それじゃあさ……裕太郎って明日休みだよね?」
「あ、ああ。そうだけど……」
「じゃあさ、うち来る?」
突然に脳内に痺れる言葉。警戒心の強かった涙から、まさかの自宅へ誘う言葉をもらうとは!
ついに今までの努力が実を結ぶことを確信し、心の中は歓喜に満ちる。落ち着け。まだ事は成っていない。ギリギリまで誠実に。野獣になっていいのはベッドの上だけだ。
少し返事をためらっていると、彼女は俺の手を握って言った。
「そろそろいいかな、って思って」




