(3)
「デクスター、なんの用だ。お前は国に帰ったはずじゃないか」
「ああ、そうだよ。マーティン。これから帰ろうとしたところで、この騒ぎだ。いったいなんだと野次馬根性がそそられるじゃないか」
ウェンディは恐る恐る尻目を向ける。
悠々とデクスター・ライランスが歩いてくる。
褐色の肌に、日に透けると緑色を帯びる赤髪をゆるく後ろでまとめており、この一か月、遊学と称して、王城に滞在していた隣国の王太子だ。
(今朝方帰国すると言っていたはずなのに、なんでここに……)
疑問に思うウェンディなど知ったことではないとばかりに、二人の王太子は睨み合う。
二人は互いしか見ておらず、周囲の令嬢も視界には入っていないかのようであった。
「ここにへたり込んでいるのは公爵令嬢ウェンディ・クアンシーじゃないか? 有力な公爵家の娘なのだろう。こんな立場のある娘を、こんなところでさらし者にして、一体全体なにがあったんだよ」
「なにをって、デクスター。この娘は、公爵家の血筋とはまったく関係のない孤児だったのだ。婚約者候補になってから私をずっと騙し続けていたメギツネだぞ」
「へえ、孤児なのか。じゃあ、平民であって、貴族じゃないと?」
「その通りだ」
「平民は王妃になれないのか、それはまた不便だなあ」
「不便とはなんだ」
「いやいや、それぞれのお国事情。互いの風習には不干渉でいこうや」
「なにが言いたい」
「なにも」
睨みつける王太子と、余裕の笑みを浮かべる隣国の王太子。
二人は仲がいいように見えて、時々このような言い争いをすることをウェンディもよく知っていた。
喧嘩するほど仲が良いとも言えたが、遠巻きに眺めるのと、二人の間に挟まれるとでは、いたたまれなさは半端なく違う。
「この子、追放するって言ってなかったか?」
「ああ、言ったさ。私を騙していた娘など、目障り千万。即刻、消えてほしいものだ。私の目の前からだけでなく、私が治めるこの国からさえな!」
「言ったな」
にやりと隣国の王太子デクスターが不敵に笑う。
「ならば、その娘、私がもらい受けよう」
「平民だぞ。貴族でもなんでもない。我が国とのコネクションにもならないんだぞ」
「ああ、かまわない。我が国には、平民出の踊り子が王妃になった前例がある、まったくもって、ノープロブレムだ」
「物好きもすぎるぞ。どこがいいんだ、こんな平民であることをひた隠していた嘘つきなど」
「ふん。どうせ、平民は貴族に逆らえない。この娘は所詮、公爵の手足だ。詐称なんてあくどいことをこんな娘に考えられると思うのかよ」
「そっ、それは……」
「この一月、マーティンの婚約者を見てて、この娘が一番賢かった。突然、入ってきた災害の知らせ、河川増水による畑の水没にも、話を振れば適切な判断を下した。昨今の国際情勢にも明るい。語学も堪能で、我が国の母国語まで学んでいたな。楽器も刺繍も、なかなかな腕前でありながら、乗馬もできるというじゃないか。こんな優秀な娘はなかなかいない。平民であることや、貴族であることなんか、どうでもいいじゃないか。私はウェンディを気に入った。マーティンがいらないというなら、この場でもらっていこう。どうせ、今すぐにでも消えてほしいのだろう。私がその望み叶えてやるよ」
今度は王太子のマーティンがにやりと笑った。
「そんな下賤な平民、欲しいならくれてやろう。どうせ元は孤児だ。奴隷とさして変わらない価値しかない」
睨み合う二人の王太子を顔をあげたウェンディは交互に見つめる。
話し合う内容が右から左に流れ、把握しきれない。
(私のこと、私のことをはなしているのよね)
孤児だとばれた。
出て行けと言われた。
行く当てなどないのに、国からさえ消えてしまえと言われている。
要点を反芻すると、苦しくなった。
胸元に拳をよせる。
冷たい王太子を見て、それから、余裕の笑みを浮かべる隣国の王太子を見た。
(今のやり取り……。私、この国から追い出されて、隣国に……)
ウェンディの目の前で、隣国の王太子デクスターが両足をぺたりとつけ、膝に腕をのせて、なお姿勢よく座り込んだ。
「よう、ウェンディ。お前、俺の手土産になったの、分かる」
赤毛をゆらし、くいっと顎を傾け、デクスターはにやりと笑う。
「お家に帰るよ、こねこちゃん。立てる?」
ウェンディはふるふると首を振った。
あまりのショックと急展開に、頭も体もついてきていなかった。
「仕方ないなあ。新しいねこちゃんは、甘えっ子らしい」
軽い身のこなしで、デクスターは膝をつく。
すぐさま片膝を立てて、ずいっとウェンディ側へ前のめりになる。
燃えるような髪をゆらし、生気溢れる眼光が、ウェンディを射貫く。
やんちゃな笑みを浮かべるその整った尊顔に鼓動が早くなる。
(なに、なに、この人、なんなの)
あまりの近さに戸惑うウェンディは仰け反った。
反射的に思わず目を瞑る。
「甘えた代償は大きいからね」
囁き声が聞こえたかと思うと、座り込んでいた体がふわりと揺れた。
身体がすくいあげられるようにふわりと浮く。
「じゃあ、手土産いただいてくね」
恐る恐る目を開いたウェンディは仰天する。
さっきより間近にデクスターの尊顔があったからだ。
仰天したウェンディが、声さえ出ぬ間にデクスターは、マーティンに背を向けた。
「では、失敬。急ぎ、国に帰るとするよ」
園遊会に参加している面々を背に、ウェンディを抱いたデクスターは悠々と会場を後にした。