(2)
着飾ったウェンディは、再び元の部屋に戻される。
案内役の孤児院に来た貴人から、自身がこの屋敷の執事であり、さっき会った男性がこの家の主、クアンシー公爵だと教えられた。
着飾ったウェンディを見たクアンシー公爵は一瞥し、ついてこいと部屋を出る。
大急ぎで大人の男性を追いかけるウェンディは、子ども部屋へと案内された。
そこには、やせこけた、今にも死にそうな少女が眠っていた。
昏睡状態で明日にも息を引き取るかという容体であった。
彼女こそクアンシー公爵の長女。
本物のウェンディ・クアンシー。
父である公爵はリリーと同じ冷たい目でウェンディを見て、言った。
「代わりは手に入れることができた、役目は終わった」
低く響いた無感情な声。
冷えた視線が眠る少女からリリーにうつる。
仰け反るような恐怖がリリーの背に走った。
「今日から、お前がウェンディだ。我が公爵家の長女になる。励めよ」
それだけ告げると、公爵は踵を返す。その場にいた全員が見送ってのち、執事に連れられリリーも退室した。
面会が終わり、やっとリリーに事情が説明される。
公爵家の長女ウェンディが流行病で死に瀕している事。
王太子殿下と彼女が同年代であり、いずれは婚約者候補に育てるつもりであった事。
公爵家には丁度良い娘がいなかったため、金髪碧眼のよく似た娘を替え玉にすることにしたのだ。
こうして、リリーは、名も存在も消され、公爵令嬢ウェンディ・クアンシーになった。
文字もろくに読めないし、書けないリリーにとって勉強はとても大変だった。
できるまで部屋に閉じ込められることもあれば、昨日教えたことが今日できないとふくらはぎを打たれることもあった。
ダンスや作法も、乗馬もさせられた。
刺繍はまだよくても、楽器のあつかいは死に物狂いだった。
どれもこれも、できないと、食事を減らされたり、叩かれたり、罰がついていくる。必死でこなすしかなかった。
本を読めるようになると、勉強内容が難しくなる。
算術や領地経営、歴史を学ぶ。
ついていくだけで必死で、それは生き残るために必要なことであった。
立ち振る舞いから笑顔まで、まるで鋳型に押し込められたかのように型にはめられて行った。
公爵夫人はリリーを嫌った。
新たな娘だと公爵にあてがわれたとしても、それは亡くなった実の娘ではない。
公爵にとっては、元のウェンディも今のウェンディも手ごまでしかないが、腹を痛めて産んだ母からみれば、違う。
壊れたぬいぐるみを入れ替えるように、子どもを入れ替えることはできなかった。
リリーは夫人に紹介される時に知ったことがある。
公爵夫人の道楽は慈善事業。
特に孤児院と小児病棟への寄付寄贈を好んでいた。
その際、いくつかの施設に訪問し、同行していた執事がリリーを見つけた。
存在が公爵の耳に入り、彼らは理由なく今までの寄付の返還か、リリーをさし出せとシスターに迫り、孤児院の子どもたちの生活を守るため、やむなくリリーを手放したのだ。
口止め料で多額の寄付も向こう二十年にわたり支払われる約束もなされていた。
金の力で押し切られたのかと辛くなったが、かわりに孤児院に二十年にわたり寄付が行われるとなれば、少し良いこともできたと慰めになった。
現状に食らいつき、必死で励むウェンディは所詮見知らぬ子ども。
公爵夫人はリリーを使用人と同じとしてしか見なかった。
実の娘の代わりが務まるわけもなく、溝は深くなり、遠のく二人の距離は互いの存在を認知しないまで悪化した。
いずれは王家に差し向ける娘であるため、手出しはしないが、その底冷えた、存在さえ認めないという雰囲気にウェンディは気圧されっぱなしであった。
公爵より、公爵夫人の方が、肚の中で新たなウェンディを憎んでいた。
ウェンディは、豪華な食事や華美な宝飾品、麗しいドレスだけでは幸せになれないことをひしひしと実感する。
月日は流れ、十五になったウェンディは、晴れて王太子の婚約者候補に選ばれた。
実の娘に鞭打つような教育をできなかった他家の娘たちより、厳しい教育に耐えたウェンディは聡明であった。
さらには感情を隠し、表情を誤魔化す術をも会得しており、王家にはそのような振る舞いを求められることもあるため、婚約者を選ぶラットレースでは有利な位置に立つことができた。
ウェンディの存在意義は、王太子の婚約者候補になり、ひいては婚約者に選ばれることのみだったのだ。
※
王太子の宣告は、ウェンディにとって死刑宣告にも等しかった。
目の前が真っ暗になる。
ウェンディの脳裏に公爵邸で行われた体罰がありありと蘇り、がくがくと体が小刻みに震えた。
勉強ができないと、食事を抜かれ、ふくらはぎを叩かれる。
出来なければ、出来るまで部屋に閉じ込められた。
さらに出来が悪ければ、暗く狭い小部屋に閉じ込められたこともある。
今回、王太子妃に選ばれなければ、ウェンディは消されると候補者になった時点で言われていた。
他の貴族へ嫁ぐなど考えるなと釘も刺された。
本物のウェンディはすでに他界している。偽物のウェンディも同じ結末を迎えるだけだ。
これは脅しではないといままでの処遇からウェンディもよく分かっていた。
(殺される……)
恐怖に震えるあまり、気持ちが悪くなった。
吐き気をもよおし、口を押える。
「偽りの公爵令嬢ウェンディ!
いままでよくも虚偽の地位で王家を騙していたな。その罪は万死に値する。この場を持って、その不遜極まりない不敬な行為を断罪する。
私の目の前から、いや、この国から、即刻出ていくといい!!
お前の顔など、二度と見たくはない!!」
響き渡る殿下の怒声。
騙したことへの憤怒が込められている。
(退去、国外へ、追放……)
ウェンディはへたり込んだまま立ち上がれない。
「兵よ、この娘を即刻つまみ出せ」
殿下は更に命じる。
兵が近づく足音が響く。
このまま腕を取られ、物のように引きずられて退室するのだろうか。
その時だった。
「待て待て待て、ちょっと待ってくれよ」
朗らかな、歌うような抑揚のバリトンボイスが響いた。