表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【短編】シリーズじゃないシリーズ

ナメルポ

作者: 千東風子

 

 ヴォッフォッ……グァふッ!!


 ソラは優雅に口に含んでいた紅茶を吹き出し、盛大に()せた。

 淑女にとってあるまじき様相だが、そんなことには構っていられず、ソラは心底勘弁して欲しいと思った。


 なんで……なんで()思い出したのかなぁ!? 今じゃなくて良いよね? むしろ今じゃないよね!?


 何の前触れもなく、ふと思い出した記憶。


 今まで生きた「ソラ・ペシェル」という子爵令嬢の記憶の他に、日本で生きた大人の女性としての記憶が甦ったのである。


 思い出した記憶は何の違和感も無くすんなりと馴染み、戸惑うことはなかった。

 なぜならば、別人格の記憶が甦るということは、それは前世の記憶を思い出したということであり、とてもよくあることとして日本(前世)では認知されていたからである。空想の世界でだが。


 なんでなんでなんでなんで、なんでホントに今かなぁ!?


 ゲホゲホと咽せるソラは、ハンカチで口を押さえながら、涙目で向かいに座る青年を見た。


 彼の名はタロ。


 タロ・ホーレ・ナメルポ。


 がはっ!


 ソラは更に勢いよく咽せた。


 タロ、て。ホーレ、て。ナメル……ポ、てっ!!

 思い出さなきゃ、思い出しさえしなければ、歴史あるナメルポ家を尊重したままでいられたのに……っ!!

 脳が、お脳が勝手にこちらの言葉の音を日本語に変換してしまう……!!


 タロ、ほーれ、舐める、ぽ。(何をだ!?)


 ……ダメだ、どこにも王家に連なる高貴さが微塵も感じられない。

 ぽ、てなんだ。音の破壊力が半端ないわ。


「だ、大丈夫か……?」


 タロは心配そうに向かいの席から立ち上がり、手を上げて少し離れて待機していた侍女を呼んだ。


「し、失礼を」


 まだ変なところに紅茶が引っかかった感があるソラは、それだけ言って席を立ち、やって来た侍女と共に控え室へと中座した。


 侯爵家次男であるタロ・ホーレ・ナメルポ。

 子爵家三女であるソラ・ペシェル。


 本日は二人の政略的な結婚のためのお見合いであった。





「無理ね」


 控え室で多少落ち着いたソラは、ペシェル家の侍女であるマーヤに無表情で言った。

 記憶が甦った今、マーヤと呼ぶとミツバチを思い浮かべてしまうソラは、頭を抱えた。


 良くない。コレは良くない傾向だわ。

 何でも日本の人生の記憶に繋げてしまう。

 ナメルポ家なんて、由緒がありすぎる侯爵家なのに、ぽ、で吹き出したなんて知られたら、下手すると不敬罪が適用されてしまうわ。子爵家など一捻りよ。

 ぽ、の破壊力もさることながら、タロ様においては南極に置いて行かれても健気に生き残ったお犬様の名前。

 タロぉー! ジロぉー!

 樺太犬は絶滅したと言われているのに、タロはここにいた!

 違う、タロ様は犬じゃないし。超目上だし。

 あれ、そういえば、タロ様の社交界の二つ名は「全知全能忠犬」。

 ……やっぱ生まれ変わりじゃん!


 だめ、混乱しているわ。


 今この控え室にはソラとマーヤの二人しかいない。ナメルポ家の侍女たちは着替えの調達と洗濯の手配のために離れ、警備は部屋の外に待機している。

 こめかみを解しながら頭を振るソラを見て、マーヤが小声で問いかけた。


「紅茶吹く程無理なわけ? この顔合わせの短時間で? 顔良し、能力良し、醜聞無しの王配候補だった侯爵家の次男よ? 社交界の毒花(レディ)たちが虎視眈々と狙っている超優良物件(スーパーエリート)のどこが無理なのよ?」


 はとこでもあるマーヤは男爵家の長女でソラの三つ年上である。年の離れた兄が四人おり、次男以下は既にそれぞれ縁のあった家に婿入りしているため、マーヤは家のための結婚をする必要が無く、十三歳の時に行儀見習いとしてペシェル子爵家にやって来た。

 ソラとは気が合い、十五歳で成人した後も男爵家に帰らず、ソラの侍女として仕えている。

 公の場では主従として(わきま)えているが、二人になると親戚のお姉さんであり、仲の良い友人でもあった。


 その歯に衣着せぬ物言いに、ソラはコレばっかりは説明できぬ……とマーヤをジト目で見た。


 だって、結婚したら「ソラ・ナメルポ」になってしまう。夫は「タロ、ほーれ舐める、ぽ」で(区切るところがおかしい)、妻が「そら、舐める、ぽ」て。どんだけ何を舐めるぽだ。


 深い深い溜め息をつき、ソラは「……無理ね」と再び呟いた。


「何か嫌なことでも言われたの?」


「いいえ?」


 席に着き、侍女や護衛を離れたところへ下げ、自己紹介をして紅茶を飲んだだけで、嫌なことも何もない。むしろ、ソラが嫌なことをした方だろう。


 二人は今まで面識はなく、初対面である。

 お互いの領地も遠く、違う派閥に属している上、年も五歳離れているので、十四歳のソラが通い始めた三年制の貴族学園も一緒ではない。

 共通の友人も趣味もなければ、お互い貴族相関の知識として、名を知る程度の他人である。

 いや、ナメルポ家からしたら要所ではない領地を治めるペシェル家の存在自体を知らなくてもおかしくはない。

 ナメルポ家は王家に連なる家として超有名なので、ソラが一方的に知っているだけの関係と言った方が正しいかもしれない。

 なんせ、ペシェル家は王都から離れた豊かな山と川を領地に持つ田舎子爵家。ナメルポ家は王都に近い領地と数多の事業と寄子を持つ侯爵家。


 貴族の位は公爵が第一位だが、この国の公爵位は直系王族が臣下に下る際、他家の後継ぎとなる結婚をしない場合に与えられる爵位のため、めったに新しい家は興されない。実質の貴族のトップは侯爵家である。

 その侯爵家と子爵家。通常なら縁の無いこの二家だが、今回縁付いたのには理由があった。


 ペシェル家の領地で魔石鉱脈が発見されたのである。


 魔石は魔力を帯びた石のことで、魔物を倒すと魔石が取れ、強い魔物ほど美しく強い魔力を帯びた石を持つ。「良い」石は強い魔物からしか取れないため稀少であり、取引される値段もかなり高価であった。

 人々の生活に根ざす魔道具の動力に必要な魔石は、需要がなくなることはなく、莫大な利権をはらんでいるのである。


 そこへ魔物に由来しない魔力を帯びた石が人間の都合で採掘できるとしたら。

 権力と経済の均衡を崩す発見に、国が動いた。


 それが王家に近しい家であり、国王派である高位貴族とペシェル家の縁組みである。


 ペシェル家には三人の娘がいる。

 性別に関わらず当主の血族か当主に指名された者が家督を継げるこの国では、男子が生まれなくても何も問題は起きない。

 ペシェル家でも、長女が分家筋の男性と婚約し、後を継ぐ者として領地経営の一画を既に担っている。

 次女と三女にはまだ婚約者がいなかったため、それぞれに縁組みが用意されたのだが、相手が大物だった。


 現在、王家には姫しかおらず、将来は女王が誕生することがほぼ確実である。

 王女と結婚する男性は未来の王配となるため、滅多な男では女王を守り支えることは難しい。

 そのため、王家により三人の侯爵家子息が王配候補として確保されていた。いわゆる優良物件たちである。

 本来の予定であれば、来年決定されるはずであった王女の婚約は、今回の件で時期を早めて決定された。

 三人の王配候補は、いずれも揺るがない国王派の侯爵家の子息。王家が信を置く、()()()()()()たちである。

 王女の婚約者とならなかった者たち、その手札をペシェル家に出す程に、国は魔石鉱脈を重視していた。


 ペシェル家としても、利権に群がるハイエナどもに領地を食い荒らされないよう、強力な後ろ盾が速やかに必要であった。

 しかしながら、憎み合うような相性の二人を添い遂げさせるつもりもないため、まずは見合いから、という段階である。

 そうは言っても、父子爵は娘二人の縁談がうまくまとまることを心から願っていた。


 そして見合いの日。

 ソラが紅茶の香りを楽しんでから口に含んだ瞬間、無情にも記憶は甦った。


 はあ、と溜め息をついてソラは一人呟いた。


「私が上手くいかなくても、ジア姉様が上手くいけば国としても我が家としてもオッケーってことよね。ジア姉様に頑張ってもらいましょ」


 次姉も本日お見合いである。

 ソラの二歳上の次姉ジア・ペシェルは、家の外では物静かな淑女である。儚げで可憐な見た目から、社交界では密やかなファンも多い。


 次姉ならば、高位貴族の令息が相手でも、淑女としてしっかりと対応してくるだろう。


 そうソラは思い、自分はもう一抜(いちぬ)けたつもりでいた。

 ソラは今、「体調が優れない」と嘘を吐いてナメルポ家を辞して帰宅し、自室で寛いでいるところである。


 結局、見合いと言っても自己紹介だけで終わってしまい、いくら王家が絡む政略結婚だとしでも、縁が無かったと断られるとソラは踏んでいた。

 自己紹介したら紅茶を吹いて具合悪いと帰った娘の印象が良いわけがない。


 ソラは、淑女としての矜持やペシェル家の安泰よりも、対「ぽ」防御力の低い自分の精神衛生を守ることを選んだのである。


 ちなみに、帰りは寄り道して時間調整をしてから帰ってきたので、ソラの父子爵は、まさか娘がそんなことをしでかしたとはまだ知らない。

 さすがに怒られるので、ソラもバレるまで言うつもりもない。記憶が甦る前から、末っ子のソラは要領が良いのである。


 バァンッ!


「最っ悪!!」


 ノックもなく扉を勢いよく開けて入ってきたのは、次姉のジアだった。


 その様子に空気の読める末っ子のソラは、一瞬で己の運命を悟った。

 悟ったが、認めたくなかった。


「ジア姉様、お帰りなさい。いかがいたしましたの?」


 ソラは内心の動揺を微塵も出さず、素知らぬ振りをして問いかけた。


「イカも蛾もないわよ! 何あいつ! むっちゃ腹立つーっ!」


 次姉が床をダンダンと踏みつけ、ムキーッと吠えた。


 淑女。そう、次姉は家の外ではきちんと出来る人である。だが、その実、中身は結構なポンコツで、頑張って猫を被っているだけなのである。

 まだムキムキ言っている次姉だが、家ではいつものことなのでソラは動じない。


「あいつ、とは?」


 誰かはもう分かっているが、この世には奇跡というものが起こることもあるのである。

 次姉は見合い相手ではなく、別の人に怒り心頭なのかもしれない、とソラは希望を持った。


「ルイス・リードレよ!」


 はい、オワター。

 ジア姉様は、見合い相手のリードレ様に激おこのご様子。

 外面の良いジア姉様が相手を呼び捨てにするなんて、余程だわ。

 こうなったジア姉様は、人見知りを発動してしまうから……もうこの話は進まないわね。


 ソラは、眉間の皺をさすりながら溜め息をつき、自身のあまり広くはないネットワークで収集した王配候補三人を指す二つ名を思い起こした。


 全治全能忠犬。

 微笑みの腹黒狸。

 溺愛威圧魔王。


 護衛として王女に付き従う忠犬のタロ・ホーレ・ナメルポ様。

 常に紳士的に微笑みを絶やさず、笑ったまま政敵を葬り去る策士(腹黒狸)と言われているのが、ルイス・リードレ様。

 王女殿下を溺愛し、威圧をもって周囲を制圧して魔王と呼ばれているのが、今回王女殿下と婚約した侯爵家の次男であるマティアス・ロンベルグ様。


 犬とか狸とか魔王とか。

 バラエティに富んだ二つ名の情報源は、社交界の噂に明るい年上の友人である男爵腐人……ん”ん”ん”っ、夫人である。

 もちろん表立って言うことは絶対にない。いわゆる淑女たちの隠語である。


 相性は悪くないと思ったんだけどなぁ。


 ソラは次姉に座るように勧め、マーヤにお茶を頼んだ。


 ルイス・リードレは二十歳の青年で、当時、高位貴族の家に生まれる子どもが女児ばかり続いていたため、ルイスは嫡男として生を受けたが妹が生まれた後に王配候補となり、生家の後継者からはずれている。

 常に微笑みを絶やさないという評判だが、もちろんそれが分厚くて大きな猫を被った結果であることは、貴族の端くれであるソラにもきちんと分かっていた。


 だからこそソラは、次姉とルイスは良い縁だと思ったのだ。


 この見合い話がやって来た時、カップリングはペシェル子爵家に委ねられた。

 それ程、国はペシェル家を尊重しているということを態度で示したのである。

 ソラたちの父子爵は、碌に会ったこともない子息たちを自分が選べないと、娘たちと話し合いを設け、釣書や社交界での評判も踏まえて相手を決めたのだった。


 正直、記憶(前世)を思い出す前のソラは、タロでもルイスでもどっちでも良かった。どちらも格上過ぎて実感がなかったこともあるが、これは「王命」であるので、ソラが例え何を言ったところで覆らないことを弁えていたからである。


 幸せとは、立ち回りの良さと程よい諦めが大事だと知る末っ子である。

 決して面倒臭かった訳ではないと、本人は思っている。

 ちなみに、次姉はソラに輪をかけて興味が無さそうだった。


 ソラは自分がどっちでも良いので、では、次姉にはどちらが良いか考えた。


 ……ジア姉様は可愛い。むちゃくちゃ可愛い。嫁ぎ先を選べるのであれば、ジア姉様の可愛さを少しでも理解出来る方が良いわね。なんせ可愛いのだから。

 どれくらい可愛いかというと、語彙が無くなるくらい可愛いのよ。

 見た目は儚げ美人だけど、間抜けぶりと毒っ気との黄金比! それに親しい人にしか見せない破壊力抜群の笑顔がたまらなく可愛い。だって可愛いからね!


 人見知りというか内弁慶というか、そんな隠し球(?)を持つ次姉と紳士の仮面を貼り付けた腹黒狸なら、似た者同士ウマが合うとソラは思ったのだ。


 一方のタロ様は、女王を陰ながら支えるよう躾けられた忠犬。待てと言われたら、主がこの世を去ってもずっと駅で待つような忠犬ぶりらしいわね。

 ……色んな犬が交じってきたけど、どうやっても犬属性なのね。


 私、猫派なのよね。どうでもいいか。


 タロ様はかといって指示待ちや気が弱いとかではなく、国のトップの夫候補だった人であり、あの権謀術策がめぐる王宮で普通に息が出来る精神力を持つ貴族なのよね。

 ただの人の良い犬であるはずがないわね。


 ソラはきゃんきゃん文句を言っている次姉に適当に相槌を打ち、考えを巡らせた。


 結局、王家と王女殿下は、もう一人の候補であったロンベルク様を選んだわ。

 忠犬や腹黒狸ではなく、魔王を選んだのよね。

 王家としては、長期的な展望として、三人の侯爵家子息のうち、王女殿下と婚約しなかった二人については、王家に連なる血筋の筆頭として、国内外の政略結婚用の人員にと考えていたはずだわ。


 国として、一人でも良かったところを二人共ペシェル家(我が家)に投入することを決めたのは、残った方が他の派閥の息子と結婚して魔石鉱脈に口出しされることを嫌がった、ということ?

 ……だとしたら、どちらかが結婚すれば良い、という話ではないわね。

 お父様は断っても良いとは言ってくれているけれど、目が「断らないよねっ!?」って言ってるし、時々口にも出てる。嘘、結構出てる。


 でも、「そら、舐める、ぽ」の人生を踏み出す勇気は私には、ナイ。

 しかも、ジア姉様のあの様子じゃ、あっちもダメそう。

 どっちかだけでも国王派と結婚すればオッケーでしょと思ったけど、それはダメそうときた。どっちもダメなんてもっとダメそう。


 うーん、と悩んで、ソラは結論を出した。


 ……相手を交換してみる?

 幸い、その権利はペシェル家に与えられているわけだし。

 ジア姉様がナメルポ家に嫁いだら、「じゃあ、舐める、ぽ」だけど……私が吹き出すのを我慢すれば良いだけだから、いっか。


 まだぎゃんぎゃん騒いでいる次姉を宥めながら、ソラは父子爵になんて理由を付けようか思考をまとめていた。





 結果、それは無駄に終わる。





「あ」


「危ない。……さあ、きちんと掴まって? ジアが転んでしまったら大変だ。やっぱり心配だから抱き上げてもいいかな?」


「み、みんなが見てるわ。……恥ずかしいからダメ。あ」


「……ではもっと側に。……はあ、早く結婚したい、ジア」


「ルー……」


 ハイハイハーイ。クソ甘ーい。


 ただ自分家の庭を散歩していて、ほんの少し足を取られた次姉と、ただ次姉に触りたいだけの腹黒狸が腰を引き寄せた「いちゃいちゃ」を見せられて、ソラはげんなりした。


 なんでこうなってるかって?

 見合いの日にツンした腹黒狸が、怒って帰ったジア姉様に後日デレた。

 デレた腹黒狸のその落差(ギャップ)に、ジア姉様キュンして実にあっさり墜ちた。

 以上!


 やさぐれてるって?

 そりゃそうよ! 相手を交換して、「そら、舐める、ぽ」は回避できると思っていたのに! 相手の交換を申し出る前にこうなっちゃったんだもん。


「ソラ、ルイスを見ていないで僕を見て?」


 忠犬タロがにこやかに、けれども拗ねたようにソラに言った。


 忠犬タロ公……。

 ソラは、タロがペシェル家に日参してくるなんて、思ってもみなかった。


 見合いの日から、具合が悪いと帰ったソラへのお見舞いに始まり、毎日花や贈り物が届き、時間が空けばタロは短時間でもペシェル家にやって来て、二人でお茶をすることが日常と化していた。

 まとまった時間が空けば、観劇や公園に連れ出され、マーヤに「デートじゃん」とニヤニヤされていた。


 今日も庭を散歩する次姉たちの姿を見ながら四阿(あずまや)で向かい合い、ソラとタロはお茶を飲んでいる最中というわけである。


「ソラ?」


 きゅーん、とご主人様を見上げて耳が垂れている姿に見える。


 本当に犬っぽいんだよなぁ。


 しかし、タロのそんな姿を見ても、ソラは冷静だった。いくら何でもソラにだって分かることがあるのである。

 この二人は別にペシェル家の姉妹に一目惚れしたとかいう奇跡が起こっているわけではなく、「王配」という役目から「魔石鉱脈の守護・管理・活用」という役目を王から仰せつかり、遂行しようとしているだけなんだと。


 なんだかなぁ。

 高位貴族の責任とか義務とか、見ててなんか可哀想になってくるんだよなぁ。

 この二人は自分の意思と関係なく、ずっと王配候補として生きてきたのだろうな。

 初恋とかどうしたのだろうか。

 好きな人とか、この人が好きだと気付いても隠し通して蓋をして、気持ちを殺さねばならなかったのだろうなと思うと、憐れで。

 十代の青い春だよ? 甘酸っぱくて(しょ)っぱくて恥ずかしい思い出の無い十代だとしたら、子どもが子どもでいられない責任はまわりの大人にあると思う。

 十九歳のタロ様が私を女性として扱ってくれるなんて、大学生が中学生をそうやって扱うのと同じだと思ったら、理由が無きゃやらんだろうなぁ、と引いてしまう。もしくはそういう趣味嗜好か。それはそれで引くわ。

 前世を思い出さなきゃ、こんなことも思わずに格好良い年上にキュンキュンして結婚してたんだろうけど、今となってはやっぱり無理だわ。


 精神年齢が熟成しているソラは、超優良物件と言っても所詮は十代の子どもに対して、そういう対象に見れないでいた。

 いくらこの国では成人しているといえども、ソラの気持ち的に十代の子と結婚など、犯罪臭が拭えずにアウトなのである。


 ソラは前世を思い出してから、自分が十四歳であることを時折忘れてしまっていた。


 というわけで、いくら忠犬タロがソラをくぅ~んと見上げてきても……、正直、ちょっと危ない時もあったが、その都度「ナメルポ」がソラを冷静にさせてくれていた。


 ソラは、きゃははうふふしている次姉たちをチラリと見た。


 あっちの腹黒狸は貴族の義務だとしてもなんか楽しそう。

 先日、正式にジア姉様と婚約して三ヶ月後には結婚式とは、貴族としては異例の早さよね。さすが腹黒、囲い込む手腕が半端ない。

 ……ジア姉様が、はにかんで可愛いから、まあ……放っておこう。


 問題はこっちのワンコだ。


「ナメルポ様」


 人間、慣れとは恐ろしいもので、油断しなければ無表情で呼べる程、ソラは「ぽ」にも大分慣れた。


「タロって呼んでってば、ソラ」


 だからここは南極じゃないし。

 客観的に見ると口説かれているというか、タロ様は甘い声出してんだろうけど、やっぱりなんで私? って思っちゃうなぁ。

 壺か蒲団の販売だって言われた方がしっくり来るわ。

 政略結婚でも歩み寄ろうとしてくれてんのだろうけど。


 既に「ぽ」に食傷気味のソラは、少し踏み込んで聞いてみることにした。


「国王派との縁はリードレ様とジア姉様が繋ぎます。ナメルポ様と私とは歳が離れておりますので、結婚という形ではなく、家同士の業務提携や私が王宮や国王派の家に奉公に上がるという形でもよろしいかと存じます」


 タロは甘い雰囲気はそのままに、少し拗ねたような目をして言った。


「ソラ、タロと名前を呼んで欲しい。僕たちは一生を共に過ごす仲だよ? なんでソラは僕と結婚しないでどこかに奉公に出ようとしているの? 五歳の年の差なんて離れているうちに入らないよ。ソラはしっかりしているし、ちょうど良い具合だと思うけど」


 あ、歳は五歳差か。つい、前世基準で見てしまった。

 でもなー……ないなー。どこかの家の侍女とか後添えとかの方がしっくりくるんだよなぁ。


「既にペシェル家は中立派から国王派となり、その庇護下にありますので、もう縁としては十分かと。……ナメルポ様は、長く王配候補として自身の研鑽に励まれ、この度その任から離れられました。人生の中でご自分の思うままに出来る部分が増えたのです。……選択肢を選ぶ権利を得たのです。流されずにお心を見極め、より良い道を掴み取られますよう、差し出口ですが申し上げます」


 タロは苦笑した。


「ソラは、僕が王配候補から外れ、次に陛下にペシェル家との縁談を言われたから仕方なくソラを口説いていると思っているんだね。まあ、きっかけはそうかもしれないけど、僕の心を決めつけるのは、何故だい? 君は、最初から……すぐに帰ってしまった見合いの日からずっと、僕のことを貴族の(しがらみ)に捕らわれた視野の狭い憐れで可哀想な人間だと思っていたよね?」


 ソラはしまったと思った。

 丁寧に言えば良いというものではない。明らかに言い過ぎたのだ。


「あの、」


「それか、うんと年下の子どもを見るような感じかな?」


 確信を持って告げるタロに、ソラはすぐに言葉が返せなかった。


「……え、と」


「そういう顔は年相応なんだね」


「……え?」


「ねえ、ソラ? 君は一体誰? ……何者? と聞いた方がしっくりくるかい?」





 何者。


 ……そんなの、自分だって知りたい。

 別に前世なんか思い出したくもなかったもの。

 ……前世と呼んでいる記憶が本物なんて保証は誰もしてくれないし、自分で自分の正気を疑いながら、自分の中の別人格を正当化しているのよ。

 自分はおかしくなっちゃったのかな、と怯えるくらいなら、何も思い出さずにいたかった。


「私は、私です。……ナメルポ様にはどのように映っていますか?」


 それでも。

 私は生きて今ここにいるのだから、それは確かなことなのだから、頭の中がおかしくても胸を張るしかないのよ。


「そういうところが、君は何? と聞かれる所以(ゆえん)だよ。十四歳の言動ではないんだよ」


 だって、十四歳じゃないもの。

 前世の記憶も全部覚えているわけじゃない。

 それでも生きた記憶はあって。

 だけども無双(チート)するような知識や力は無くて。

 思い出した意味も分からなくて。


「……泣かないで。ソラ」


 ぼろぼろと涙をこぼすソラの手をタロが握った。


「……この間、公園で一緒に花を見たよね?」


 ソラは、何の話だろうかと疑問に思いながら、こくりと頷いた。


「少し曇りの日だったけど、真っ青な花が地面いっぱいに咲いて、とても美しかった。『空』のように、綺麗だと思ったよ」


 ソラの動きが止まった。

 はっきりとした意味を持たせ、この国の言葉の発音とは違う言葉をタロは言った。

 日本人でなければ、思い出していなければ気が付かないように、たった一言。


 ソラはまっすぐタロの目を見て、一言返した。


『タロ』


 タロは破顔して『ジロ?』と答えた。


 その笑顔に、ソラの心臓は破壊されたかと思う程、ハネた。





「僕は小さい頃に思い出して、徐々に遠い記憶になっていった感じかな。僕も幼い頃から大概落ち着いていて、大人びていたというか、大人が子どものフリをしていたというか……。だから、子どもっぽくないだけではなくて、大人過ぎるソラも、もしかしてって思ったんだ」


 向かいに座っていた二人は横に座り直し、内緒話をするように話を続けた。

 繋いだままの手がソラの心をソワソワさせていた。


「私はお見合いの席で突然思い出したの」


 タロはクックックと忍び笑いをした。


「紅茶吹いて咽せてたもんね。淑女が紅茶を吹いたのに、真顔で……ふふ、思えば、本来なら貴族としてあり得ない醜聞にもなることなのに……ははは、ソラ、君は腹筋を総動員して笑うのを堪えていたね? 何がそんなに『ツボった』の?」


 バレてら。

 でもなー、舐める「ぽ」と言って「ぽ」の破壊力を共有できるだろうか……。

 散々説明してダダスベリするだけのような気もする。こういうのはフィーリングと勢いが大切で、決して分析したり説明したりするものではないと思う。


 ソラが目を逸らして黙秘していたら、タロが繋いだままのソラの右手を持ち上げて、ちゅっ、と甲にキスを落とした。


 ぶわっ。

 顔が真っ赤になるのがソラには分かった。


「な、ななななななななな」


 慌てふためくソラは立ち上がってタロから離れようとするが、繋いだ手がそれを許さない。

 タロはソラから目を離さずにもう一度手の甲にキスを落とした。


「ソラ? ……僕は、初めて会った時から、君を離す気はないよ。ペシェル家の有能美人三姉妹は社交界でも有名で、こんなチャンス逃すわけない。僕はちゃんとソラを唯一の女性として見てるよ?」


 いきなりのムーディー展開に、ソラは混乱した。


「でも、でも……! 王女殿下は……? 殿下のことだって、伴侶になるつもりで……」


「殿下? ……ああ、対外的には三人とも候補だったけど、僕たちの間じゃ殿下の相手はマティアスって決まってたしなぁ。あの二人、相思相愛だよ? 幼馴染みとしての情もあると言えばあるけど、殿下は女王に相応しい素晴らしい方で、側にいるとしたら一臣下としてお支え申し上げる立場としてだよ?」


「だって、だってずっとその為に頑張ってきたんじゃないの?」


「王女殿下を自分の伴侶に望んだことはないよ。僕は王配のスペアとしての役割を国から望まれていただけ。僕自身が望むのは、ソラ、君だよ。他に聞きたいことは?」


 ソラは、陸に上がった魚のように、あうあうハクハクと口を開いては閉じ、真っ赤な顔して俯いた。


「じゃあ次はソラの番。教えて? なんで紅茶を吹いたの?」


 そう言って、タロはソラの腕を引いて隣に戻し、見つめたままゆっくりと近付いて、そっと唇に触れるだけのキスをした。


 まつげが触れあいそうな程の至近距離から「もっと?」と囁かれたソラは、ぷしゅう、と(しぼ)んで観念した。


 ぼそぼそと「タロ、ほーれ、舐める、ぽ」と「そら、舐める、ぽ」について、委細説明をした。


 真顔。(←タロ)


 く、苦行……っ!

 もしくは新手の拷問……っ!!


「うーん、僕はずっと名乗っているからなぁ。共感してあげられなくてごめんね?」


 謝られるという追撃。


「そんな優しさいらない」


 ソラはこのことを一生根に持つと誓った。

 一生、側で。





 良く晴れた日。

 十六歳の誕生日にソラは花嫁衣装を纏った。

 手には『空』色の花のブーケを持ち、既に涙と鼻水でグジョグジョの父親のエスコートで、赤い絨毯をタロの元へ歩んでいく。


 たくさん、二人で話をした。

 たくさん、一緒に出かけた。

 たくさん、見つめ合って、たくさん名前を呼んだ。


 ソラにとって、タロもホーレもナメルポさえも、今となってはただ愛おしい人を表す名前だった。


 マーヤからは「憑き物が落ちたみたいにスッキリした恋する乙女顔している」と、からかわれる程で、ソラはそんな自分が嫌いじゃなかった。


 式は滞りなく終わり、披露目のガーデンパーティーは無礼講の楽しい時間で、ソラの長姉と次姉の生まれたばかりの赤子たちが双子のような愛らしさで周囲の寵愛をかっさらっていた。


 そんな中、ルイスから祝いにもらった好みの赤ワインを楽しみながら、タロがソラに尋ねた。


「そういえば、ずっと聞きそびれていたんだけど、ソラは()、何歳くらいまで生きたの?」


 美しく装ったソラの腰を抱きながら、妻となった女性の目映さに「夜まで我慢できるかな…」と自嘲しながら、何気なく聞いただけだった。


「あー……、歳は覚えてないけど……」


「けど?」


「もうすぐ曾孫が生まれるところだった」





 後日、タロは赤ワインを吹き出して盛大に咽せた自分は悪くない! と拗ねた。





 二人の白い衣装に赤ワインが広がり(ソラは被っただけ)、まるで吐血したかのような様相に、すわ「毒か!?」と会場が騒然となりかけたが、ケタケタと笑いながら「だいじょーぶぅ?」とタロの背中を擦るソラの様子から緊張を解いた。


 何でもそつなくこなすタロの、咽せて慌てて恨みがましく妻を見るも、愛おしさを隠しもしない姿。

 それを見た会場の誰もが、王家が取り成した政略結婚である二人だが、その実、慕い合っていることを認めざるを得なかった。


 着替えてくると言った二人が会場に戻らず、パーティーがお開きになる頃には、「ああ……(あいつ我慢出来なかったんだな)」と、参加者は生温い視線を彷徨わせたのであった。





 それから。

 時々、ソラが『タロ』と呼ぶと、眩しそうに目を細めたタロが『空』と返してくれ、『そこはジロじゃないんかーい』と笑い合うのが、二人にとって堪らなく幸せで愛おしい時間であることは、生涯変わることはなかった。



読んでくださり、ありがとうございました。


ソラとタロのハッピーエンドにほんわかほっこりしてもらえたら嬉しいです。


以下おまけです。


【天然タロ公】


タロ「ソラはナメルポの、ポ、がツボなの?」


ソラ「そう! 舐めるも可笑しいけど、ぽって、音!」


タロ「じゃあ、ピョは?」


ソラ「……は?」


タロ「聞きようによっては、ピョに聞こえない?」


ソラ「ピョ?」


タロ「ナメルピョ」


ソラの腹筋死亡。

犯人はタロ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ