④漫才
「え?前村さん、一人で漫才やるんですか。漫談ですか?」
目の前の泉さんが目を丸くした。それもそうである。前日になって相方が来ないとは考えもつかなかった。
しかし、人生をかけた漫才コンクールの決勝にも来なかった相方である。ありえなくもないが、二度目はないと思っていた。というより、人として考え付かなかった。
合同レクレーションは既に始まっており、会場からは演目の演歌が流れていた。
「今日はどうするんですか?止めときますか?」
泉さんは心配そうに聞いてきた。
「いや、大丈夫です。相方は連れてきました」
そう言って、カバンからサイドボードの彼を出した。
「くまの人形ですか?」
泉さんは目が点になっていた。私はもうどうにでもなれと思っていた。しかし、元漫才師として引き下がれなかった。もう二度と舞台を降りれなかった。
「そうです。彼が相方です。あのテーブルを借ります」
私はそう言って、会場から流れる演歌を背に、花瓶の置いてある台まで行き、花瓶をどかし始めた。泉さんは唖然と私を見ていた。もうまともな同僚には見えなかっただろう。
大きな拍手で可愛い大学生の落語が終わると、次は私の番であった。袖から会場を眺めると、会場には老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃん、その他職員が大ホールにたくさん集まっていた。三十人はいるようであった。
元漫才師といっても、素人に手が生えた程度で、それも昔のことであり緊張していた。何よりも困ったのが、元漫才師の触れ込みで大トリだったことである。
振り返ると、泉さんが心配そうに見守っていた。私はくまの乗ったテーブルを片手で押さえて、笑顔で親指を立てると、次の出番の紹介が始まった。
出番となった。死に行くような気分であった。
「お次は漫才のスベラーズです」
司会の言葉に拍手が飛んできた。
私はくまを乗せたテーブルを転がし、ステージである場所に立った。会場はシーンとした。
「スベラーズです〜。ど〜も〜」
既にスベっていた。
「私洋一と相方のくまです」
「たくさんお集まりいただきありがとうございます」
ネタの前に客いじりを始めた。既に笑っているお婆ちゃんを探して、手をかざした。
「そこのお婆ちゃん、まだ面白いこと言ってませんから、そんなに笑われたらこの後笑えませんよ」
「あと、後ろの皆さん、無理して立ってなくていいですよ。って、ここの職員の方々でしたね」
そう言っておでこに手をやり、話を続けた。
「そうなんです。私もここの職員でして」
「『普段は何してるか?』って」
間を入れ、視線を変えると素早く言った。
「それはお客さんの介護ですよ」
くまが話しているかのように、耳を傾けて話を続けた。
「しかしね。この歳でくまと漫才とは思いませんでしたね」
「『相方に逃げられ、女性は近づかず』」
「うるさいよ」
「『こう見えるから独身なんです』」
「こう見えてだよ」
「『お金もないんです』って、そういうこと言わないの」
「独身も何ですが、やはり生きている以上は健康が大切ですね」
「皆さんがお元気で何よりです。皆さまから比べたら、私なんか若者ですが、やはり健康診断が大切ですね」
くまの方に向きネタに入った。
「健康診断といえばカメラですよね」
「皆さんも飲んだことありますよね?」
「『写ルンです』」
「写ルンですは飲まねぇだろ」
「誰がシャッター押すんだよ」
「『胃カメラと大腸内視鏡検査』」
「両方やるのはいいですね」
「『最近では技術も進歩して』といいますと」
「『下から入れて、そのまま上から入れます』って、カメラ変えろよ。汚ねぇだろ」
「さすがに自分のでも嫌だよ」
「『何か詰まってる』って?」
「気になりますね」
「『紙』ってなんだよ。トイレの配管みたいなこと言うなよ」
「大腸ガンとか怖いですからね。よく調べていただかないと」
「『お薬を出します』って?随分早いですね」
「処方箋でなくていいんですか。マツモトキヨシでも売ってる?市販薬ですか?」
「『一日一杯』って、青汁みたいだな」
「『ドメスト』」
「だから、風呂の排水管じゃねぇよ。そんなの飲んだら死ぬだろ」
「『イチゴ味もある』って、そういう問題じゃねぇよ。だいたい味なんかある訳ねぇだろ」
「やっぱ検査といえば、レントゲンですね」
「息吸って、止めてってやりますよね」
「『ハイ、チーズケーキ』って、チーズでいいだろ」
「あと炭酸とバリウムですね。あのゲップ止めるのは辛いですね。しかし、最近は味が付いてるんですよね」
「『いちご味とか』」
「さっきのドメストじゃねぇだろな」
「炭酸を飲んで、バリウムで流し込みゲップを出さないように耐えます」
「『ナポリタン味』」
「気持ち悪いだろ。そんなのないよ!他にないのかよ」
「『コーンスープ味』」
「全部、ガリガリくんじゃねぇか。しかも、ナポリタンは失敗作じゃねぇか」
「『何かが映っている』って?」
「癌とかじゃないですよね?」
「『安心して下さい』」
「『悪い霊とかじゃないですよ』」
「心霊写真かよ!何でレントゲンで霊が映るんだよ。いい加減にしろよ」
「見せてみろ。何だよこの四角い影は?」
「さっきの写ルンですじゃねぇか」
「『あと一枚撮れます』」
「あれから誰がシャッター押したんだよ」
「胃カメラで、何で胃の中にカメラなんだよ」
「まぁ健康にはやっぱり恋ですよね」
「ダイヤモンドと恋は永遠の輝きといいます」
「『お前にはダイヤモンドも恋もないだろ』って、うるさいな。どっちもねぇよ」
「『ダイヤの持ち腐れ』って、ダイヤモンドこそねぇよ」
「ただ、皆さんは健康のためにも恋をしていただくといいです」
「ダイヤは持ち腐れますので、ダイヤは施設の私が預かります」
「責任は施設で、運用は私が行います」
「しかし、一番の健康はお笑いです」
「『笑って誤魔化す』じゃ無いよ」
「笑って過ごすだろ」
「素敵なことです。そして今回漫才で…」
「『不健康』って、そういうこと言うなよ」
「ネタがつまんないみたいじゃねぇか」
「『お題は毒漫才』」
「うるさいよ」
「『すべラッタがお送りしました』」
「スベラーズだよ」
「いい加減にしろ!」
「ありがとうございました!」