③ネタ合わせ
雅樹は、私の職場の老人ホームで行われるレクレーションでの漫才披露に大乗り気であった。また、泉さんへ私が漫才をやる話をすると、意外なことに泉さんも大喜びしていた。
「前村さんが元漫才師だったなんて、是非よろしくお願いします!」
素人に毛が生えた程度で、小さな劇場以外でやったのはショッピングモールくらいで、無名も無名くらいだと説明した。
小さなコンテストで決勝まで行ったものの、相方がいなくなり終わった話は、恥ずかしくてできなかった。ただ今回、泉さんの力になれればそれで良かった。
雅樹とは、本番まで一ヶ月を切っているため、急遽ネタ合わせをする話となり、駅前のカラオケボックスにいた。世間話の後、曲探しをする雅樹を止めて、テーブルからコントローラーと楽曲本を退かすと、十四年前のネタ帳を置いた。
雅樹がネタ帳を開いて言った。
「ネタは、やっぱ決勝のネタかな」
お前が言うかよ。と少しムッとしたが、白けてもいけないので「そうだな」と答えていた。そこで、いくつかの昔のネタを合わせてみた。
雅樹「元カノがアダルト女優と殺人犯だったら、どっちと結婚できる?」
洋一「そりゃアダルト女優だろ。人殺しはダメだろ」
雅樹「人殺しは安楽死に近い致し方ない理由で…仕方なく」
洋一「でも、人殺しは人殺しだろ」
雅樹「アダルト女優はウンコ食べてんだぞ。それと結婚できるか?」
私は「ちょっと待て」と止めてから言った。
「誰だよ。このネタ考えたの」
雅樹は「お前だろ」と言った。
これは老人ホームじゃ使えないといって、仕切り直した。
雅樹「時代はエコの時代なので、私一つ考えてみました」
洋一「どんなことを?」
雅樹「水の再利用です。例えば入れ歯を浸けていた水をも再生するというものです」
洋一「えー?汚いし、貧乏臭いなぁ」
雅樹「浸けた水はオレンジスカッシュとなり、孫のジュースに…」
洋一「汚いよ!」
私は「ちょっと待て」と止めてから言った。
「誰だよ。このネタ考えたの」
雅樹は「お前だろ」と言った。
これは老人ホームじゃリアルで使えないといって、仕切り直した。
洋一「女性の背後の男性の心霊写真は生霊だそうで」
雅樹「そうなんです。今日はその男性と女性をスタジオにお呼びしてます」
洋一「え!生霊をですかぁ!」
雅樹「そうです。スタジオで片想いを語っていただきます」
洋一「男は死にたいくらい辛いだろ」
雅樹「生きてるうちにきちんと告白をした方がいいだろうと」
私は「ちょっと待て」と止めてから言った。
「誰だよ。このネタ考えたの」
雅樹は「お前だろ」と言った。
ご老人には少し難しいだろということで、再び仕切り直した。
洋一「ゴミの分別とかうるさくなったな」
雅樹「売れる売れないとか、まだ食える食えないってな」
洋一「そういう分別じゃねぇよ。燃える燃えないとかだろ」
雅樹「この前なんか男女で分けろって言われたよ」
洋一「何を捨てたんだよ」
雅樹「老人」
私は「ちょっと待て」と止めてから言った。
「誰だよ。このネタ考えたの」
雅樹は「お前だろ」と言った。
老人ホームではマズイだろといって、また仕切り直した。
カラオケボックスで一曲も歌わずに、延長を繰り返して、数時間かけてネタは完成した。それから本番当日まで、それぞれ家で練習して、本番の一週間前にネタ合わせをして、当日の早朝からまたネタ合わせをする約束をして別れた。
とても懐かしかった。あの頃はお金がないため、お互いの部屋や人通りのある場所で、壁に向かって練習していた。背中の通行人からの視線は痛かったけど、とにかく売れたくて頑張っていた。漫才をしたことで、とても清々しい日になった。
本番の一週間前、泉さんが話しかけてきた。
「漫才の方はどうですか」
「昨日もネタ合わせして、あとは本番を迎えるのみです」
「すごぉ〜い!」
泉さんは感激していた。
「どんなネタですか?聞かせて下さいよ」
「ダメですよ。当日のお楽しみです」
「え〜。そんなぁ。聞きたいです」
泉さんはすごく楽しそうだった。そこで私もお願いをした。勢いであった。
「終わったら、後日ご飯でも行きましょうか」
「え?あ…。はぁ…」
泉さんは確実に引いていたように見えた。私は踏み外してしまったかと、一瞬で後悔した。
「というネタです」
と、あっさり言うと、泉さんは安堵の表情に変わった。そして、いつも通りになると言った。
「元漫才師ということで、トリをお願いしますね」
私は驚いた。
「え?ト、トリをですか?そんな自信ないですよ」
泉さんはおどおどする私に微笑むと言った。
「あと、食事行きましょうよ。良ければ相方さんもご一緒に」
私は毎日がワクワクして楽しくなってきた。雅樹も一緒というのは余計であるが、明るい気持ちになった。父親を亡くしてからは、心にぽっかり穴が開いていたが、それが埋められていくようであった。
家に帰ってテレビを観て笑うことができた。ご飯も美味しかった。寝る前は不安からの反省会よりも、考えることは明るく楽しい出来事に変わった。朝は気持ちよく自然に目が覚めた。
サイドボードには、ピンク色のクマがいた。いつものように私を見つめていた。いつもの間抜けな顔で私を見つめていた。何か言いたげな顔をしていた。
そうこうしているうちに、レクレーションの前日を迎えていた。私は家で一人、漫才の練習をしていた。ウケる手応えがあった。気持ちはとても明るく、すごくいい状態であった。
携帯にラインが届いた。泉さんか?と明るい気持ちからポジティブであった。ラインは雅樹からであった。
そこには「明日はごめん」とコメントされていた。私は「何のボケだ?笑」とコメントを返した。
「子供が熱出してさ。申し訳ない」
どう返したらいいか混乱し、既読にしたままとなっていた。
仕方がないのはわかっていた。仕方がないんだ。仕事でもないし、約束といっても漫才である。老人ホームの漫才である。それに単独ライブでもなく、トリといっても、自分たちがいなければ前の催しがトリとなるだけである。
ドタキャンは二度目だけど、二度あることは三度あるんだと私は心を整理した。
「大丈夫だよ」とコメントを返した。
そらからいくつかコメントが着たが、もう見なかった。電話も鳴ったが、雅樹から着信と見ると出なかった。大人気なかったが、私も精一杯抑えてるんだから…許されるだろう。
ラインを見ないでいたら、しばらく前に泉さんからラインが入っていた。
「明日はよろしくお願いします。そして、ありがとうございます。楽しみにしています。食事も楽しみにしてますね(^_^)明日は私も頑張ります」
今このタイミングでの泉さんから言葉は、すごく嬉しかった。私の心はみるみると救われていった。
しかし、同時にこの事態をどうしようとなった。明日の現実が脳裏から襲ってきた。そこでサイドボードの彼と目があった。ピンク色のクマはいつもの惚けた顔でこちらを見ているだけであった。
クマは思ったとことであろう。
「何をやらすつもりだ…」