②整理
一ヶ月後、久しぶりに妹の明子が、顔を見せにやってきた。父親の四十九日以来であった。
玄関の呼び鈴が鳴ると、カラカラと玄関の引き戸が引かれた。
「ただいまぁ」
懐かしい声であった。明子は玄関で靴を脱ぐと、居間へ入ってきた。
「おかえり」と言って、私は振り返った。
明子は荷物を置くと、「疲れたぁ」と脚を伸ばした。そして、天井を見上げると呟いた。
「板張りの井桁の天井…古民家だよね」
家はもう築何年だかわからない昭和な家屋で、今時珍しい引き戸の玄関であった。かつて建替の話もあったが、それは私の役目となっていた。
建物はわからないが、土地は父親より何代か前からのものであった。親と親戚の昔話で耳にしたことはあったが、興味がなく覚えていなかった。
明子はもう十年前に結婚して、九歳になる娘と七歳の息子がいた。明子の家族は、盆暮れになると遊びに来ていた。父親も母親も孫が来て賑やかになるのを、毎回楽しみにしていた。
私は明子の家族が来ると肩身が狭く、大手企業で私より高収入と思われる明子の旦那に、いつも劣等感を感じる皮肉な時間でもあった。しかし、両親も喜んでいるこんな幸せの時間がいいのだと思って、気持ちを繕っていた。
明子が呟いた。
「とうとうこの日が来たなって感じ」
両親がいなくなったことを言っているようであった。
「そうだな」
私はそう言うと、次の言葉が出てこなかった。
「うちの中は子供の頃のまんまだね。そして、ん十年経った私たち兄弟。今なんて夢にも考えなかった」
天井を見つめて明子が言うと、その言葉に返した。
「俺はずっとここにいるからな。でも、最近は一人なんだなと感じることが増えたよ」
「お兄ちゃんには申し訳ないと思ってるよ。嫁いだとはいえ、両親を任せっきりだったもんね。特にお父さんは介護だったし…」
私は嫌味で言った訳ではないが、明子としても負い目があったようで、詫びるように言った。
「気にすんなよ。それは俺の務めだよ。さぁ何か食べにでも行くか」
私は仕切り直すように、明子を昼の食事へ誘った。
食事して帰ると、居間でサイドボードの中の物の話になった。サイドボードの中には、ピンクのクマの他に様々のものがあった。
それは両親、じいさんばあさんの思い出の品であったが、どれが何の思い出だかはわからなかった。
「ここにあるもののルーツって知ってるか」
中の物を手にとっては眺めている明子に言った。
「たぶん旅行に行って買ってきたとか、人にもらったとかだろうね」
サイドボードには様々の物があった。
こけし、日本人形、木彫りの熊、ピンクのクマ、べこ、いつからあるかわからない洋酒など色々であった。引き出しには様々の書類や家電の取扱説明書、電源ケーブル類、何が収録されているかわからないカセットテープなんかが入っていた。
その中を見て明子が笑いながら言った。
「このピンクのクマは何なの?」
「俺もこの前気になって手に取ったんだけど、昔からここにいたよな」
ピンクのクマはサイドボードの面々の中で、センターを張っていた。
「でもこれ、私が幼稚園の頃からここにあったよ。うん、絶対あった」
「何で覚えてんだよ」
明子は手に取ると、見つめて考えていた。
「うん。思い出した。幼稚園から帰って泣いてたら、おばあちゃんがこのクマで話しかけてきて、それで覚えていた。確かおばあちゃんの何かだよ」
サイドボードの中身を引っ張り出して、散々懐かしんだ後、私は言った。
「ここにあるもの。処分していいかな」
「捨てちゃうの?」
明子は何故だという顔をして言った。その明子の顔に私は呟いた。
「もう、辛いんだよね」
親父がいなくなって、もう両親もいない家に帰った時、テレビをつけても張り合いもなく、一人で過ごしている。
パソコンにスマホだけで話すこともない。この古民家のような家で昭和のものに囲まれて、夢のあった昔のままの部屋。当たり前に親兄弟がいて、賑やかな明るい家庭で、どこか守られていた日常。その考え方が子供のままといえばそうなるが、自立心が芽生えなかった私は、頭の中は子供のままであった。
今は独身の独り身で寂しい中年をやっており、老けて衰えていくのを身に染みて感じていた。
明子はそんな兄貴の愚痴に耳を傾けてくれ、ひと通り聞くと言った。
「捨てちゃいなよ。ここの物」
そうあっさり言われると、それは寂しかったが、捨てないと前へ進めないと思った。
「家も売っちゃいなよ。建物はお金にならないけど、都内の土地だし、そこそこになるよ。そのお金でマンション買って引っ越すとか」
さらに明子は続けた。
「両親の遺産なら私はいらないよ。私は嫁いだ身で、とりあえず不自由してないし、最後にお父さんお母さんを面倒見たのは、お兄ちゃんなんだから」
私はそうポンポン言われて背中を押されてしまうと、それもいいかと思い始めた。家は都内だがボロ屋で狭い土地であった。それでも道路に面しているので、土地はそこそこの価値があった。
「ところでお兄ちゃんは、このまま独身なの?」
「そういうつもりはないけど」と返すと同時に、明子が言った。
「相手がいない」
「そうだよ」とだけ私は返した。
「ホームの身寄りのないお婆ちゃんとか」
明子も画期策がそれくらいしか思い付かなかったようであった。「後夫業かよ」と私は笑った。
私の結婚に関する話は、あまりに私に何もないのと、兄弟で話し難いのか、話は仕事の話になり、レクレーションで漫才をする話をした。
「え?漫才?まだやってんの?」
明子は目を丸めた。
「やってはいないよ。職場の老人ホームのグループで集まって、合同レクレーションをやることになって、そこで何かないかと漫才をすることになったんだ」
「誰とやんの?あの雅樹とかいう人?」
明子は雅樹の名前を覚えていたし、決勝でドタキャンしたのも覚えていた。
「スベッターズとかいうコンビだっけ?」
「スベラーズだよ」
コンビ名までは覚えていないようであった。
明子にとってスベラーズのことは、残念な想い出だったようである。
「あの時、家族は可能性を感じていたんだよね。ダウンタウンみたいなことになるのかなとか。でも、雅樹のドタキャン。まさかのネタだったよね。笑えたし」
今回の漫才の相方が、その雅樹とは余計に言い難くなった。しかし、明子はさらに突いてきた。
「で、誰とやんの?漫才なんて誰とでもできるものじゃないでしょ。まさか独りで?」
「独身で、両親無くして孤独で、漫才まで独りって、俺はどこまでお一人様なんだよ。独りでやるなら漫談だろ」
そう言って笑ってみせた。
「いつやんの?」
「来週だよ」
「え!ネタは出来てるの?」
「昔のネタな」
「で、相方は雅樹?」
「そうだよ」