9 無茶苦茶な運転
「えっ?」
同じ台詞を彼女は言った。何故だと僕が訝しんだ時、座席のシートに背中が押し付けられる感覚があった。一気に車が加速している。スピードメーターの数字が急激に上がった。アクセルペダルを床まで踏み込んでいるのだろうか。そうでなければ、こんなには加速しない。
緊張してシートベルトを握り締めた。何て運転をするのだと思っていたら、カーブに差し掛かって多少は減速するものの車体を傾けて曲がり続ける。僕は遠心力で彼女のほうに飛ばされそうになるのを必死に耐えていた。
カーブを終えてほっとしたのも束の間、減速していた速度を取り戻そうと一気に加速する。僕の背中はまたシートに押し付けられるのだった。
いい加減にしろって何度も叫ぼうとした。しかし、ハラスメントの文字が頭をよぎって口をつぐんだ。内容がどうであれ、相手が不快に思えばハラスメントが成立する。僕はまだまだこの年で懲戒処分は御免である。大いにハラスメントに対して誤った理解をしているだろうけれど、リスクを回避する自己防衛策だから仕方がないのだ。
道幅が狭くなり一車線になった。ここまで来ると他に通る車もなくなって、知らない道ならば不安になる雰囲気に変わる。道路の両側から木々が生い茂り空を覆い隠す。日が遮られ薄暗い空間に入ると、気分が落ち着かなくなる。
彼女の疾走は続いた。幸いなことに実験装置を運搬するトラックが通過できる道幅は確保されている。ゆっくり走れば安全な道なのだ。僕が車酔いする心配もない筈だった。
「ここを曲がるんですね」
カーナビを見る彼女が言った。そこからは実験センターへ行く菩提重工の私道だ。周辺の山岳を所有することで、ロケットエンジンの燃焼試験の騒音問題を解消していた。
「ここからは運転を変わるよ。疲れたでしょ」
「大丈夫ですよ。実家もこんな感じですから」
いやいや、僕は変わって欲しい。このままジェットコースターみたいな運転をされていると、本当に車酔いしてしまいそうだった。
結局彼女は走らせ続けた。そして、道なりに走行して谷を越え山を越え、遂に実験センターに辿り着いた。
「あー、怖かった。軽自動車しか運転したことがない初心者だから焦ったぁーっ」
シフトレバーをパーキングにチェンジしてから彼女は白状した。それを聞いて僕は心臓が止まった。心臓が飛び出しそうになるだけでは済まない。あの初めのカーブで死んでいたかもしれないのだ。道理で無茶苦茶な運転の筈だ。
「冗談だろう」
ダッシュボードに突っ伏して僕は気力を失った。もっとちゃんと確認するべきだったのだ。運転免許証がグリーンなら絶対にさせる筈がなかった。年齢的によく考えれば、大学を出たてでは初心者である確率が高い。それに気付かなかった僕が愚かだったのだ。
「佐藤さん、どうしたんですか。行きましょうよ」
心配げな彼女の声で僕は教育担当者としての自分を思い出した。それにしても彼女の教育はまだ一日目なのに、随分といろいろなことがあり過ぎる。しかしその分、彼女とは親しくなれている気がした。
「よし、行こう。まずは道具を車から降ろして、寮で宿泊手続きだ」
僕はもう泊まるつもりでいた。時刻は既に午後四時を過ぎている。修理機の状況確認をしているだけで定時を回るだろう。残業をしても今日の帰宅は無理としか思えない。
「すまんな、佐藤」
道具を台車に乗せて工場に入ると、レーザー加工機の前に係長が立っていた。
「野山係長、お久し振りです」
「そちらは新人か?」
「はい、新入社員で、僕が教育をすることになりました」
「武鎧と申します。宜しくお願いします」
「おぉっ、可愛い新入社員だな。佐藤、手を出すなよ」
「冗談はやめてください。ちゃんとわきまえていますよ」
彼女がくすりと笑った。野山はそれを見逃さない。
「何だ、もう手を出したのか。仕事よりも手が早いな」
「何もしていません!」
バシバシと肩を叩かれて、僕は悪役に仕立て上げられてしまった。
「そうかそうか、今度の休みに馬券を買いに行くから詳しく聞かせろよ」
「馬券?」
彼女が野山係長の話に興味を持った。