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ゼリービーンズをあげる  作者: Bunjin
第三章 高橋 摩唯伽
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24 ライン

 摩唯伽が東京を発つ朝、僕はいつまでも布団の中から出られなかった。不甲斐無くも心が折れてしまっている。大切なものを手放さなければならないとか取られてしまうとか、うじうじといつまでも決めたことを悩んでいた。


 スマホからラインの通知音が鳴り響いた。防音が完璧な部屋だから、静寂を断ち切る突然の無粋な電子音は心臓に悪い。


「誰だ、こんな時間に」


 ナイトテーブルの時計を見ると、十時を過ぎている。既に「こんな時間」という迷惑な時刻ではなくなっていた。僕は軽く舌打ちをしてスマホを取った。


《おはようございます。ちゃんと起きていますか?》

《私は今、東京を脱出したばかりです》


 摩唯伽からのメッセージだ。こんな僕を何処かで見られているのかと思った。しっかりと自分の進む道を見極めている摩唯伽に対して、僕はこんなにも自堕落だ。こんなことでは摩唯伽が戻って来てくれた時に愛想を尽かされるではないか。


 またラインの通知音が鳴った。


《嘘です》

《今、博基さんの部屋の前》


 僕は仰天した。有り得ないではないか。新幹線の出発時刻はとうに過ぎている。ラインのメッセージ通りに今頃は神奈川を走っている筈だった。


「どうしたの?」


 慌てて玄関を開けて、摩唯伽を確認した。


 !


 扉を開けた途端、摩唯伽の両腕が伸びてきた。僕は何だと思う暇もなく、首に抱き付かれる。


「どうし―――」


 僕は唇を塞がれた。

 キス?

 初めてのそれはあまりに唐突だった。そして、逃げるように立ち去る摩唯伽を僕は茫然と見送った。


《やっと元気をもらえました》

《これで私も頑張れる》


 摩唯伽も不安だったんだ。頼もしいと思っていたのに、摩唯伽は脆くか弱い女の子だった。僕は心得違いをしていたんだと今になって気付かされた。


《僕と二人で一緒に頑張ろう》


 すぐに変なスタンプを摩唯伽は返してきた。僕たちはラインを通じて交流を深める。遠く離れていても一人でいる気持ちが安らいだ。


 春になり、摩唯伽は菩提重工への入社を果たした。所属は航空・宇宙開発製造部門。僕がいた。否、この世界の僕がいる部署だった。


《うまくやってるよ》

《私が自己紹介してるのに、やっぱり佐藤さんは私の出身大学名を聞いていないみたい》

《博基さんと同じなんで笑っちゃう》


 摩唯伽は僕を博基さん、この世界の僕を佐藤さんと呼んでいる。何に気を取られて聞いていなかったのかは察している。僕は武鎧という珍しい名前に気を取られていたと、自分の記憶までを誤魔化そうとしていたが、正直に言うと違うのだ。摩唯伽のふんわりと柔らかい雰囲気に魅了されていた。


《学校は?って訊かれたから、意地悪して化学を専攻してたって答えてあげたわ》

《それから、きららちゃんって呼ばれることになったの》


 摩唯伽は記憶通りの会話をあちらの僕としている。だから決まった台詞が返ってくるのだろう。順調に過去を繰返していれば、再び過去に戻ることが出来るに違いない。


 それなのに、その日の午後にとんでもないメッセージが届いた。


《大変、博基さん。鯨飲馬食に行った後、車の運転を代わってもらえなかった》

《どうしょう。もう麗香ちゃんを助けに行けなくなったのかなぁ》


 僕はこのジェットコースターのような運転で摩唯伽の意外な一面を知ることが出来た。ただそう思っただけなのだ。


《大丈夫だよ。この時の僕はまだ摩唯伽のいろいろなことを知っていく段階なので、君が唐揚げ好きなのを知るだけで十分なんだ》

《これからも前と同じようにはいかないよ、僕が摩唯伽を変えてしまったからね。君は武鎧摩唯伽ではない。高橋摩唯伽になったのだから、僕と一緒に慎重にあの時へと進んで行こう》


 そして、僕たちは翌日の出来事の復習をする。朝食時の会話で摩唯伽のコーヒー好きを知ったし、僕が予定を伝えないいい加減さが露呈した。


《でもね》

《あれはやり過ぎだと思うんだけど》

《何ですか?》

《ほら、摩唯伽が僕にしてきたでしょ》

《何ですか?》

《胸とお腹を》

《何ですか?》

《僕の腕にさ》

《あぁ、セクハラで訴えるってことでしたね》

《何ですか?》

《あっ、自分から言い出したのに誤魔化した!》

《何ですか?》

《もう絶対にしませんよ。でも、耳の怪我はしないように注意してあげなきゃね》

《いや、して欲しい。あの後、僕は摩唯伽にとっての何って訊かないといけない。それで僕は教育担当者であることを自覚する。そして、男では出来ない女性らしい仕事が出来る社員になって欲しいと願うようになるんだ》

《うーん、しなきゃいけないって思うと恥ずかしいよぉ》


 すべてを同じ通りにすることは出来ない。僕も摩唯伽もあの時の自分たちではないのだから仕方ない。しかし、出来得る限りはやるしかない。それは摩唯伽も分かってくれている。

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