21 博基さん
「どうぞ」
僕は学生アパートに招き入れられた時と同じ台詞を言ってドアを開けた。
「あれ、鍵は掛けていないの?」
「あぁ、スマートロックだよ。スマホで施錠開錠が出来るんだ」
「何てことなの。現代文明は人を滅ぼすつもりなのね。鍵くらい自分の手で掛けましょうよ」
両手を腰に当てて怒ったように言う。でも、すぐに吹き出してお腹を抱えた。
「電灯も自動で点いた」
「カーテンを閉じているからね」
リビングルームに入って壁のスイッチを押した。カーテンが開いて、大開口の窓から夕焼けの空が見える。
「うわー、素敵な眺め。東京の町が一望できるわ」
「富士山も見えるよ」
窓際で指を差した。赤く燃える富士の山頂が輝いていた。
「贅沢な景色だねぇ。私も将来はこういうところに住みたくなった」
それならばこのままここで一緒に暮らせば良い。もう一度過去に戻ってもこの未来が保証されている訳ではないのだ。いっそのこと、もう過去になんて戻れなくなれば良いと願った。
「摩唯伽」
僕はこの心境になって漸く名前を呼べた。今こそそれを打ち明けてしまおうか。
んんっ、と摩唯伽は僕に視線を移す。赤くなった顔は夕焼けのせいなのか、それとも僕を見詰めているからなのか。
「やっと摩唯伽って呼んでくれたね、博基さん」
赤面だった。摩唯伽は恥ずかしくて赤くなっている。それが僕にも伝染してくる。名前を呼び合うことがこんなにも恥ずかしいとは思いも寄らなかった。
「コ、コーヒー」
まるで二十歳の僕に返った気分だ。摩唯伽の年齢に僕もなってしまっている。純情な感情に飲み込まれて、摩唯伽が尊い存在に思えてしまう。触れたいのに触れられない。抱き締めたいのに抱き締められない。ただ大事にしたい、大切にしたいという思いが込み上げるばかりだった。
「私、何か作ろうか。もうそんな時間でしょう」
夕飯を作ってくれるという。食材は昨日買い込んだばかりのものが大きな冷蔵庫に豊富にあった。摩唯伽にそれを見せて献立を決めてもらう。
「肉に魚に野菜。いろいろあるのねぇ。博基さんは料理が得意なのね」
「ここに越して来た時は外食ばかりだったんだけどね。アメリカに行ってからは自炊するようになった。あっちではあまり口に合わなかったんだ」
「作り難いなぁ。不味いって言われたらどうしょう」
しかし、自信あり気に言っている。中学生の時に、社長から娘の料理は美味いと聞いたことがある。謙遜して言っているのだろう。
「それじゃあ、その間に僕がコーヒーを淹れよう」




