8 東京大学工学部化学システム工学科
「出ましょうか。ここは落ち着かない」
食事もあらかた済んでいるので、僕はさっさと席を立つことにした。
「佐藤さん」
いきなり背後から僕を呼ぶ声を聞いた。振り返ると、あの女子学生が追い掛けて来ている。
「声が―――」
その声を忘れる筈がない。その声の主は、僕が絶対に間違える筈がない人だ。奇跡的な出会いだ。こんなに嬉しいことはない。神様、どうもありがとうございます。僕は心の底でそう叫んでいた。
しかし、同時に絶対にここで会ってはいけない人でもあったのだ。
「摩唯伽ちゃんなのか?」
僕が知っている大人になった彼女は、菩提重工にいた時の田舎の高校生のような女の子だ。決して女性誌のモデルのような彼女ではなかった。
「お久し振りです、佐藤さん」
「どうして、ここに?」
「あぁ。私、高専から編入したんですよ。折角佐藤さんに工場を助けて貰ったので、家業を継ごうと一生懸命勉強しました」
「でも、ここに?」
「はい。東京大学工学部化学システム工学科です」
神は無慈悲にも僕を奈落の底に突き落とした。高専から大学三年生に編入。そして化学を専攻。これが神の冷酷無比な力だ。何もかも前の世界と変わっていない。二年後に東大を卒業して、菩提重工に入社する。そこで待ち受けているのは、この世界の僕だ。新入社員の教育者として出会い、親しくなった後、岐阜の照手神社で―――
「どうして化学なんだ?」
「だから今言ったじゃないですか。私の家は化学工場ですからね」
「家業を継ぐって」
「はい。でも、その前に何処かの企業に入って修業はするつもりです」
「何処かの・・・」
「まだ決めていませんが、もっと勉強をして実力を付けられるようにしたい。そうですね、何処かの重工業とかがいいと思います」
再会を嬉しそうにする摩唯伽ちゃんとは対照的に、僕は眩暈を起こしているようだった。あの悲劇をまた繰り返すのか。この世界の僕はまた過去に飛ばされてしまうのか。
そして、摩唯伽ちゃんは神社から運び出される担架の上で―――




