6 鯨プリン
「佐藤さん、ここって定食屋さんなんですね。メニューがいっぱいです」
「そうだね。でも、味噌カツが絶品なんだよ。殆どのお客がそれ目当てに来るからね」
壁一面に掲げられているメニュー書きの多さに彼女は目を丸くした。そして、何を選ぼうかと鋭い視線に変わっていった。しかし、それも一瞬のことで、味噌カツを勧める僕に応じてくれるようだ。
狼の印象だと僕は感じる。日本では幼い頃の童話の刷り込みで悪役と思い込まれているが、意外と家族愛や仲間への絆が深いらしい。むしろ犬のほうが人間に甘えたり服従するだけで、愛や絆はない。だから、僕は彼女の中にそんな優しさを期待した。
「スミマセン、味噌カツ定食を―――」
店員を呼んで僕は注文した。そして、彼女に視線を移して、きららちゃんもそれでいいかと目で問い掛けた。
「・・・・・」
彼女は何故か店員に耳打ちする。何を注文したのか分からないが、彼女は首を左右に何度も傾げながら楽しそうに笑っている。
僕はふと思った。彼女だからこんな思いをしているのだなと。相手が女の子だからこんなにも心理を気にしているのだなと。男を相手にしていれば、僕は自分のことだけを考えている筈だ。
異性だから気を使う。
本当にそうなのか。
僕には以前付き合っていた異性が三人いる。高校と大学でそれなりに親しく交流してきた。その時とは違う何かを僕は感じている。だから、彼女に気を使ってしまっているのではないのか。
うぶで素朴な純真さ。田舎者の女子高生っぽさ。そんな危うさに僕は何を感じているのだろうか。
「お待たせ致しました。味噌かつ定食と―――」
注文を受けた店員が二つの盆を持って来て、その一つを僕の前に置いた。
「鶏の唐揚げ定食。ごゆっくりお召し上がりくださいねぇ」
うふふと笑って去る店員。意味有り気な感じを残して行った。
「あれ?」
彼女に運ばれて来たメニューを見て、僕は店員が残して行った意味が分かった。残念ながら彼女は狼ではない。可愛い子犬だったのだ。まあそれはそれで仕方がないことだ。僕は早くも期待を捨てた。
名古屋名物の味噌カツ定食。
定番のロース豚カツはサクサクで、甘みとコクのある味噌がたっぷりと掛けられている。濃厚な味わいの味噌が浸み込んでいて、実に美味しい。付け合わせのキャベツとの相性も抜群だ。御飯と一緒にかき込むと、口の中でいっぱいに広がる幸せに僕は興奮していた。
その横で彼女は鶏の唐揚げ定食を食している。鼻歌を歌いながら、如何にも美味しそうに大きな唐揚げを頬張っていた。
「味噌カツじゃないんだね」
「はい。私、唐揚げが大好きなんです。いただきます」
食べている途中で手を合わせて答えながらも、鼻歌を続けている。そんなに好きなのかと何だか僕は微笑ましくなってしまった。
「ふんふんふん」
変な節回しが食事中ずっと聞こえていた。こんなにも感情の表現が変わった女の子もいたものだと、僕はこれから先が少し思いやられながらも楽しくさえなっていた。
「お待たせ致しました。クリームぜんざいと鯨プリン、それとアイスコーヒーを二つ」
僕たちが食べ終わる頃合いを見計らって、店員が配膳してきた。
「はぁ、何これ?」
「佐藤さんが遠慮するなと仰ったので、デザートは私の好きな十勝産の小豆と、プリンは鯨と馬の二種類があったので、折角ですから大きいほうの鯨にしてみました」
また変な節回しの鼻歌を続けた。瞳を輝かせて彼女は微笑んでいる。そんな表情を前にしていれば、僕は何も言えなくなってしまう。こんなにも喜んでいるのに、それに水を差すなんて出来ない。
「いただきます」
またもや、ぱんっと手を合わせて食べ物に感謝を示した。
「こんなに食べられるのかい」
「あら、プリンは半分こですよ」
「おーい、きららちゃーん」
何てことをしてくれるんだと思ったが、僕にスプーンを差し出して、一つのものを一緒に食べようとしてくれている一体感は歓迎する。異性なのに彼女に受け入れられていると分かって安心した。
「美味しいーぃ」
無邪気に食べ続ける彼女につられて、僕もプリンを頬張った。そのプリンを彼女も突く。当たり前のように口にする彼女に、僕は何故かとても感動していた。
食事を終えて店を出ると、支払いの間外で待っていた彼女は、改めてご馳走様でしたと何度も礼を述べてくれた。どれだけ食べてもそんなに大した金額を奢った訳ではない。安くて美味い店に連れて来ただけなのに、そんなに感謝されてはもっと高級な料亭にでも誘わなければならないではないかと思ってしまう。でも、僕は入社五年目の平社員。そんな甲斐性はまだまだこれからだった。