38 赤、白、青、緑、橙、紫
電車が元の駅に着いた。そこで降りなければならない僕なのに、電車のドアが開いた途端に足が竦んでしまった。
「何が!」
けたたましいサイレンの音がする。パトライトの赤色灯があららこちらの住宅の屋根に反射して、駅から見やる僕を金縛りにさせた。
もう一度彼女にリダイヤルする。どうかこの騒動と関わっていないことを祈った。何度も何度も呼び出し音が僕の耳に響く。無事であってほしい。元気な声を聞かせてくれ。震える手でスマホを押さえていると、その時が来た。
『もしもし』
僕は一瞬驚いて足を止めた。彼女の声ではない。
『こちらは警察です。失礼ですが、あなたのお名前を教えて頂けますか。』
何故彼女のケータイに警察が出るのか訳が分からなかった。このような状況下では想像するのが恐ろしかった。
「佐藤博基です。彼女に何かあったのですか?」
『電話口からパトカーの音がしますが、あなたは今どちらにいますか。照手神社の近くですか』
僕は虚ろになりながらもパトライトを見た。照手神社の鳥居は目の前にある。駅に近い住宅地の中にある氏神神社で、人形歌舞伎のあった神社とも近かった。
「今、鳥居の前にいます」
『迎えに行きますから、そのまま電話を切らないでください』
周りには多くの野次馬がいる。その中から僕を特定するのは難しいのだろう。
『電話を持つ手を挙げて貰えますか』
僕は電話口から言われた通りにした。
「佐藤博基さんですね」
警察の身分証を提示する革ジャンを着た無精髭の男が僕の前にいた。僕は恐ろしい魔物を目の当たりにした気分がした。
「申し訳ありませんが、確認していただきます。このスマホの持ち主を御存知ですね」
僕との通話を切ったばかりのスマホを差し出された。
「武鎧摩唯伽さんのものです」
「その方との御関係は?」
「彼女と同じ菩提重工の社員です」
「この方に間違いないですね」
無精髭の男が革ジャンからスマホを取り出して、僕に何かの画像を出した。
「武鎧さんはどうかしたのですか」
画像には彼女の上半身が写っていた。しかも目を閉じて地面に倒れている。
「この神社にお参りに来ていたようです」
信心深く育てられた彼女だから、僕とのデートの祈願をこっそりとしに来たのかもしれない。しかし、そこから警察との結び付きが分からなかった。
「教えてください。彼女はここにいるんですか」
僕は無精髭の男の腕を掴んだ。どうあっても聞き出さなければならないと思ったからだ。
「同じ会社員以上の御関係のようですね。それならば、まだ詳しく知らないほうが良いのですが」
無精髭の男は掴んでいた僕の手を取って、警察の非常線テープの中に入れてくれた。犯罪現場は境内のようで、鳥居から先は誰も入れないように警官が阻んでいた。
手水舎で僕は引き留められた。そこからは進まないようにと無精髭の男が言う。そして、警官を一人、僕の見張りにつけた。
「何があったんですか」
何度もこの質問を繰り返している。しかし、誰も教えてはくれない。
「これに見覚えは?」
無精髭の男が戻って来て、僕にそれを見せた。
「ゼリービーンズ!」
赤く艶々と輝くゼリービーンズを指先に摘まんでいる。
「彼女です。彼女が僕に作ってくれると約束したものです」
境内をよく見ると、拝殿のあちらこちらの地面に輝くものがあった。赤、白、青、緑、橙、紫とたくさんの色が散らばっている。
「彼女はあそこにいるんですか」
僕は拝殿に向かおうとした。しかし、警官の強い力がそれを許さない。
「あの裏にいるんですよね。放してください」
狂ったように僕は抵抗した。叫びながら殴り掛かることも辞さない覚悟だ。
「佐藤さん、止めなさい。武鎧さんのことを思うなら静かにしてあげなさい」
無精髭の男が悲しい顔をして僕を止める。
「彼女に何があったんですか」
その時、拝殿の裏から運び出される担架があった。白い布が全体に掛けられて何を載せているのか分からない。しかし、明らかに人の姿が白い布に浮かび出ている。驚く程にそれは僕が知っている彼女の姿に似ていた。
「何故?」
彼女が死んだ。
彼女が殺された。
「きららちゃんに会わせてくれ。僕の大事な人なんだ!」
僕の絶叫が境内に響き渡る。きっと彼女にも聞こえている筈だ。今しかない。僕が今やらなければ、彼女は連れて行かれてしまう。そう思うと信じられない程の力を出せた。無精髭の男から彼女が作ったゼリービーンズを奪い取り、警官を投げ飛ばした。そして、担架に駆け寄り震える手で彼女を隠す一枚の白い布を剥ぎ取った。
「きららちゃん」
僕は総てを失った。




