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ゼリービーンズをあげる  作者: Bunjin
第一章 武鎧 摩唯伽
37/95

37 不安

 何がとは訊かなかった。彼女が言わんとしていることなんて分かり切っている。可愛い女の子には花柄を、武骨な男には土器を。それがお似合いなのだろう。


 お腹が満たされてカフェが出た僕たちは、人形浄瑠璃をしている神社へ向かうことにした。ここからは近いらしい。耳を澄ませれば三味線なのだろうか楽器を演奏する音が聞こえてくる。


「車、駅の駐車場に預けておきませんか。神社にも駐車できるけど、私は町を歩きたい」


 僕に断る理由なくてある筈がない。彼女の思い出の地なのだから、彼女のしたいようにさせてあげたかった。


「それじゃあ、電車に乗って終点まで行こうよ。そこがきららちゃんの故郷でしょう」

「そっか、そっか。いいねぇ、電車かぁ。あとで一緒に乗りましょうね」


 僕は以前聞いた話を忘れていない。彼女の家は大垣駅から出ているローカル鉄道の終着駅にあると言っていた。そこでは季節季節の伝統行事が行われていて、彼女はそのしきたりの中で育っていった。郷土を愛して、それが当たり前の世界だと信じている。


 ふんふんふん。変な節回しの鼻歌を彼女がまた歌う。コンクリートの外壁が美しい駅があった。その駅前の駐車場で車を止めている時でも、二人で町中を歩いている時でも、ずっと鼻歌を続けている。


 そうして人形浄瑠璃が行われている物部神社の人形舞台に僕たちは辿り着いた。


 境内は大人たちに交じって子供たちも多い。幼い子も両親と手を繋いでいたり、父親に肩車をされていたりして熱心に見学している。それを見ていると、きっと彼女もこうして来ていたのだなと想像してしまう。


「綺麗な神社でしょう」

「うーん、朱塗りがピカピカで眩しいくらいだ」


 僕は神社なんていうものは、歴史があって木目の模様があったり朱塗りが剥げているものだと思っている。だからこの神社が彼女のいう伝統を守る場所だとは思えなかった。


「あははは、佐藤さんはお気に召さないみたいですね」


 僅かに顔色に出た感情を彼女は見逃さなかったようだ。


「神社っていうものはですね、遷宮と言って新築するのは珍しくないんですよぉ。ここは去年建て替えられたんです。素晴らしいでしょう」


 彼女は自分のことのように自慢げに言った。それは故郷を愛するが故なのだと承知している。彼女らしい考え方だ。確実に彼女はこの地元に根付いていたのだと僕は感じることが出来た。


「少しここで摩唯伽を待っていてもらえますか」


 舞台前の椅子に座って見物していると、彼女が鞄を大事そうに抱えて立ち上がった。何処へ行くと尋ねるのは野暮だ。女の子の所用は察するべきだろう。


 中学生以来の伝統文化に触れて、僕はあの時には気が付かなかった人形の巧みな動きに圧倒されている。まるで人のように感情が仕草に出ていた。


 三十分が過ぎる。そして、四十分。


「どうしたんだろう?」


 体調を悪くしたのだろうか。僕は不安が募り出した。


《大丈夫?》


 一言だけラインを送ってみた。しかし、どれほど待ってみても返信どころか既読にすらならない。今までに一度として彼女はそんなことをしなかった。


「本当にどうしたんだ、きららちゃん」


 不安がどんどんと募っていく。そして、彼女が自分のことを私ではなく名前で呼んだことが気になった。以前にも一度だけ同じように名前で言ったことがある。夏の旅行で風呂に入ろうと言っていた時だ。一緒に入ろうと覚悟を決めた時、彼女は私ではなく摩唯伽と自分を呼んでいた。


 振り返って彼女の姿を探すが、何処にも彼女はいない。仕方なく電話を掛けてみようと、僕はスマホをタップした。


 呼び出し音が続いた。


『お掛けになった電話番号は電波の届かない場所にある、または電源が・・・・』


 留守番電話サービスの音声ガイダンスが流れた。僕は居た堪れなくなって、その場を駆け出していた。


「何処にいる、きららちゃん」


 何度も叫びながら境内を探し回った。しかし、何処にも彼女の姿はない。外に出たのだろうか。僕は駐車場にまで戻って彼女の行方を捜した。


「車にもいない」


 当然だ。車に鍵が掛かっている。その鍵は僕が持っているので彼女が乗っている筈がなかった。昼食に立ち寄ったカフェにも行ってみた。マスターに彼女が一人で来ていないか尋ねたが、首を傾げられるばかりだった。


 とにかく、町中を走り回って探したが、彼女はいない。そして、何度も電話を掛けてみても、音声ガイダンスが流れるばかりだった。


「電車!」


 僕が駆け回っている道の横を電車が通り過ぎた。彼女の家がこの鉄道の終着駅にあることを思い出した。そこからはもう無我夢中だった。全速力で駅に向かい、発車間際の電車に飛び乗っていた。彼女が親しんだローカル列車に僕一人だけで乗っている。二人で乗ろうと彼女は言っていたのに、その約束は果たせられないのだろうか。


 終着駅に着くと、外へ飛び出して彼女の名前を叫んだ。彼女の実家が何処にあるのかも分からずに、そんなことをすれば不審者扱いにされてしまう。もし家族に聞こえれば、とんでもないことになっていただろう。しかし、僕にはそんな正常な判断力も失くしていた。


 小さな村だった。幾つもの神社や明神があって人の姿をあまり見掛けない場所だった。


「きゃーっ」


 甲高い悲鳴が上がっている。神社に隣接している小学校では児童たちが怯えた目で僕を見ていた。特に女の子の中には泣き出している子もいるみたいだ。教師に通報されないうちに退散したほうが無難な雰囲気がひしひしと伝わっていた。


「ここにはいないのか」


 逃げるように場所を移動した。しかし、初めての地で彼女をどう探せば良いのかも分からない。彼女の実家の武鎧家を探せば良いのだろうか。


「いや、僕は判断を間違えたのか。きららちゃんが一人でここへ来るなんて有り得ないではないか」


 絶望の叫び声を上げたくなった。全く無駄なことをしてしまった。これでは置き去りにしてしまったのは僕のほうではないか。急いであの神社に戻ろう。赤く染まり掛けている空を見上げて、僕は電車が来るまで空しく時間が過ぎるのを待った。

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