34 美味しい日本酒
「開発部では何をしているの?」
もう話を元に戻すつもりはない。僕は彼女の目を見詰めた。
「まだひと月しかたっていないんですよ。まだまだ見習いです」
「でも、仕事は楽しいでしょう」
「はい、知らないことを知るのって楽しいです」
「そう、それでいい。何でも知って自分のものにすれば、もっと楽しくなるよ」
「佐藤さんにしっかり仕込まれていますから大丈夫です。あの半年間は私の宝物です」
彼女は目を細めて、グラスを傾けた。大好きな唐揚げを頬張って嬉しそうにする。
「ありがとう。そう言ってもらえれば、僕は本望だよ」
「あら嫌だ、それだけで終わらないでくださいよ」
里芋サラダを一口食べると、それが気に入ったのか彼女は一気に平らげてしまった。そして、グラスの酒を飲み干してご満悦になった。
「次は何を飲む、きららちゃん」
酒瓶のラベルを覗き込む彼女は、まだまだ飲むつもりでいる。顔の既に紅潮していて、酔いは回っている筈である。それでも東北の日本酒を選んで指を差す。
「バイオジェット燃料を家庭のごみから作ってるんです。ごみですよ、ごみ」
仕事の話を突然しだした彼女は、人差し指を突き出して振り回している。酔っているから笑い上戸になっている。その口調から察するに自慢話をするつもりなのかもしれない。合成する原料の化学式を矢継ぎ早に言うと、化合方法を教えてくれる。酔っ払いでも、さすがは化学屋だ。僕には彼女が言うことを少しも理解できなかった。
「ねぇ、佐藤さん。ずっと私を見てくれていますよね」
突如として話題が変わる。僕はどぎまぎとした。
「私、気付いていたんですよ。松本さんといるときも見ていてくれました」
「いや、別に深い意味があったわけじゃ」
「ないんですか? でも、私は嬉しかったですよ」
彼女は静かに頷いて、サバの味噌煮の骨を取って身をほぐす。食べ易い大きさにすると、箸で摘まんで口に運んだ。それを暫く咀嚼すると、二杯目の酒で流し込んだ。
「ふうーっ」
淀みのない仕草に彼女の緊張感がないことが分かる。むしろ僕のほうが緊張している。彼女が何を言い出すのか予想できない。今もストーカーだと言われなくて良かったと思っていた。
「甘いですね」
「えっ!」
僕はストーカーとして訴えられるのかと思った。
「お酒です。甘口でフルーティーです」
僕も飲んでみた。確かに香りとコクを感じる。しかし、元来は日本酒を好まない僕には今一だった。この店に来たときはいつもハイボールを飲んでいる。今日は彼女に合わせているだけだった。
「日本酒が好きなんだねぇ」
「はい、お父さんが好きだったので」
「ふーん、きららちゃんはお父さんが好きなんだね」
急に彼女は体ごと僕のほうを向いた。少し口元を噛み締めて、大きく頷いている。
「今でも、好きです。ずっとお父さんのこと」
「羨ましいお父さんだね。こんなにも可愛い娘に愛されてるって素敵だな」
「そう思ってくれていたのかなぁ」
カウンターに向き直って、また一口飲んだ。そして、彼女は遠い目をしている。僕には分からない何かを思い出しているのだろうか。
「ちょっとちょっと、きららちゃん。お父さんは元気でいるんでしょう。それなのに何故過去形で言っているのさ」
「あれ、あははは。そんなことを言ってましたか。勿論ですよ、父は元気でいますよ」
彼女は鼻歌を歌いながら、アジのたたきを食べた。生魚は無理だと言っていた彼女なのに。
「うわ、これ美味しいですよ。佐藤さんも食べてください」
お酒が止まらなくなった彼女は本当に可愛い。しかし、高校生でしかなかった印象は随分変わったように感じる。何故だろうか。女の子は化粧で変身してしまうからかもしれない。ただそれだけで決め付けるには変わり過ぎている気がする。
「これはね、大分の郷土料理なんだよ。ここの女将さんの出身地なんだって」
「なるほど、なめろうとは少し違いますもんね。私も作ってみよっと」
「おっ、いいね。きららちゃんの手作りを僕も食べたい」
「本当ですか。でも、味の保証はしませんよ」
自信満々で言う彼女は笑っている。僕はその笑顔を間近で見れて安心していた。二杯目の日本酒も無くなる頃、僕たちは雑炊を頂いた。飲酒後の胃腸に優しい食べ物で満腹になった。




