23 鈍い
「そろそろみんなの所に行こうか」
僕は彼女の真っ直ぐに伸びた両脚を見詰めた。小さな膝小僧が綺麗だった。
ピピッ、カシャッ!
電子音がした。彼女がカメラを構えて僕を撮影している。
「厭らしい顔をした佐藤さんが撮れました」
「な、何!」
完全に油断していた。優しくしてくれている彼女が牙を剝くなんて思ってもいなかった。だから証拠写真は消去しなければならない。
「今度は一緒に撮りましょう」
カメラの液晶画面をスライドさせると自撮りモードになった。
「佐藤さん、画面じゃなくてレンズを見てくださいね。目線がずれますからね」
彼女は腕を伸ばして僕たちを撮った。しかも連写機能を使っている。
「撮り過ぎだよ。僕が編集してあげよう」
カメラを貸してと手を挙げた。
「今は無理ですよ。カメラからクラウドに自動転送されていますから」
「クラウド?」
「佐藤さんのスマホにも送れるようにしましょうか?」
彼女は僕の驚く顔を容赦なく連写した。何という世の中になったものか。デジタルデータなんてすぐに拡散されてしまう。僕の防衛措置は果たせなかった。
「いや、僕のスマホの容量は少ないんだ」
「そうですか。じゃあ、ベストショットをラインのアルバムにしておきますね」
少し残念そうにして彼女は言った。
「行こう、きららちゃん。そして、そのカメラで海の中を撮ろう」
僕は彼女の手を取って海に走った。そうすることでしか、彼女の撮影を止める術を考え付かなかったからだ。彼女は怒っているだろうか。恋人でもないのに手を握っている僕を許さないだろうか。一歩遅れて付いて来る彼女の手は小さくて柔らかい。僕はそんな彼女のほうを振り返れなかった。
「よう、もう来たのか」
永野が信じられないものを見る目で言った。その傍らにいる奥さんの香織さんも眉をしかめて口をへの字に曲げていた。
「何?」
僕の疑問には答えてくれない。二人とも呆れたような身振りをして、お互いの顔を見合わせている。何か示し合わせていたことでもあったのだろうか。
「山藤は?」
「さあね。阿部さんとその辺にいるんじゃないのか。二人の邪魔をするなよ。お前って、そういうのに鈍いからな」
「おっ、おお。分かっているよ、邪魔なんかしない。僕は鈍くはないからね」
「へぇ。そうなの、武鎧さん?」
ずっとカメラを弄っていた彼女は、突然の問い掛けに目をしばたたかせた。少し考えてから、うんと頷いて答えた。
「びっくりするくらい、・・・鈍いです」
その真面目な声に、香織さんは笑い出した。
「苦労しているのね」
そう言って彼女の手を握り締めた。何に共感しているのか知らないが、苦労しているのは僕のほうだ。彼女を教育する苦労を分かって貰いたいものだ。
「じゃあ、頑張れよ。武鎧さん」
永野夫婦は仲良くシュノーケリングをして去って行った。ここで僕と彼女が取り残される。永野が言うように、彼女には頑張って欲しい。只ここは職場ではないので、今はそんな必要はないだろう。
「きららちゃんてば、折角の水中カメラなんだから、そんな空中ばかりから撮ってなくて」
僕は足元を泳ぐ魚を指差した。ここはとても魚が多い。絶好の撮影ポイントになるだろう。彼女が僕を労わってくれたお返しに、十分に楽しんでもらおう。
そもそも僕は彼女に誘われたから、ここに来れたのだ。人事部の阿部さんが新入社員の彼女と親しくて、カップルという条件付きの永野の企画旅行に同行できた。しかしながら僕と彼女はカップルではなく、単なる男女のペアでしかない。そこが他の二組との違いだが、どうしても彼女が行きたいとせがむし、僕も楽しそうだと思った。
彼女は河童の能力を存分に発揮し、僕は浮き輪のようにぷかぷかと浮いて海中の魚の群れを観察した。時折彼女が浮いている僕に掴まって一息つく。太陽の日差しが熱い。そして、広い海の中で二人きりでいるような気分を味わっていた。




