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ゼリービーンズをあげる  作者: Bunjin
第一章 武鎧 摩唯伽
19/95

19 突然の言葉

 工場の中を彼女を連れてうろつくのが日課になっている。それぞれの生産ラインで何を作っているのかを説明しているのだが、忙しい業務の中でそれをしていれば誤解を受けるものだ。僕たちが暇なのかと言われてしまう。勿論そんな筈はないのだ。僕も彼女もてきぱきと仕事をこなし、ようやく作った貴重な時間を教育に充てている。彼女にとっては知らないことを知る至福の時間だった。


「お散歩の時間だって言われているんです」


 新入社員教育を受けている同期社員からは、工場を歩いている僕たちの姿を見てそう言われていると、彼女が言った。確かに言われてみれば、新入社員教育でこんなことをしてるのは僕だけだ。他の誰もは与えられた業務を確実に仕込まれるだけに教育を集中されている。だから部署エリア内から出る必要もなかった。


 僕だけがそれを破っている。いや、破っているのではなくて、それ以上のことに取り組んでいる結果だった。教育担当者にとっては、自分の業務だけを教えているのは容易いことだ。ましてやそれ以外のことを教えるとなると、その教育担当者の能力に関わってくる。すなわち教育担当者が知らないことは教えられない。新入社員を連れて工場を回ったところで、能力のない教育担当者は何も説明してやれないのだ。


 僕の持つ知識を彼女に伝授する。他の新入社員たちに何を言われようと、それは妬みだ。新入社員には教育してもらえる権利がある。自分たちも同じように散歩をさせてくれと願えば良いのだ。僕はそう彼女に納得させる。


 果たして他の新入社員たちがそれを望んだとしても、要求することは無理だろう。可能であるならば、僕らがしていることを散歩などと蔑まない筈だ。大人しく教育担当者に従っていれば良いと教えられて疑わない。そんな手足のようになって働く新入社員に未来はあるのだろうか。


 どんなことを質問したら良いのかを教える。だから彼女は僕の知らないことまで質問した。僕はそれを調べるし、知っていそうな奴に尋ねる。そうして知らないことを知って、それらが繋がっていく。それが楽しいのだ。彼女もそれを分かってくれていた。


「今日は、ターニングセンタのチャックを見に行こう」


 工場を巡って、工作機械で加工する品物を掴む装置について教育するつもりだった。所謂お散歩の開始だ。彼女を連れて作業エリアを離れると、すぐに一番近くで働いている新入社員に出会う。彼はまたかという視線で僕たちに一瞥する。


「鴨木、ちょっと行ってくる」


 彼の教育担当者に声を掛ける。僕にしてみれば、お前もしっかりと教育してやれよという気持ちで言ったのだが、鴨木には伝わっていないようだ。


「またですか。熱心ですね」


 どれ程教えても、数ヶ月後には別の配属先に行ってしまう新入社員に無駄な労力を掛けたくない。それが鴨木の本音だ。僕にもそんなことは十分に分かっている。分かっているから、彼女に期待したのだ。鴨木にはそれがない。それだけの違いだ。


「あいつも一緒に連れて行ってやってもいいぞ」


 僕たちを見ていた新入社員を指さした。


「大丈夫ですよ。佐藤さん程ではありませんが、ちゃんと教育をしていますから」


 鴨木の目つきが少しばかり釣り上がった。余計なことをしてくれるなと言いたげだ。そんなことを教え込まれれば、彼は今後も鴨木に散歩を要求するだろう。しかし、残念ながら鴨木にはその能力がない。そして、それは新入社員である彼の不運でしかないのだ。


 彼女は運が良かった。僕だから良かった。歓迎会の席で、彼女が僕で良かったと言ってくれたことを思い返した。そうなのだ。僕のしていることに間違いはない。そう自負していた。


 ソリッドチャックやホローチャックを見ながら違いを説明する。構造を簡単な絵を描いて教える。そして、どのようにして使い分けられているのか。


「なるほどぉ」


 知識を得る感動に彼女はいつも微笑んでくれる。僕にはそれが楽しいのだ。そして、散歩から戻る途中で、僕は次に教えるべきものを物色する。


「明日は、立型マシニングセンタの付加軸だね」


 彼女は同じように僕が見ている視線の先を見る。その途端、にこにこしていた彼女の表情が俄かに掻き消えた。それは初めて見るものに対する興味からなのだろうか。こんなにも表情が無くなるのは、感情の表現が豊かな彼女には珍しい。でも、それも表現の一つだと僕は理解することにした。


 作業エリアに戻るまで彼女の無表情さは変わらなかった。それが表現の一つだと思ってしまっている僕は気にも留めない。それなのに―――、


「私、この仕事をやっていけるのでしょうか。とてもこれでは自信が持てないし、佐藤さんにもご迷惑をお掛けしてしまう」


 突然の彼女の言葉に、僕は凍り付いた。何を言い出すのか。彼女が優秀だからこそ、僕はこれほどまでに目を掛けている。それなのに何故自信を持てないのか。


 彼女は今にも泣き出しそうにしている。肩をすぼませ震えている。下唇を噛んで目を伏せている。生気がなく魂が抜けたような顔。


 何なのだ、これは。これが彼女なのか。僕が教えることに興味を失くしたとでも言うのか。あまりにも不甲斐無い。彼女らしくあってもらわなければ困るではないか。


 僕は憤慨した。そんなだらしない心得は、社会人として許されないと彼女を叱ろうとした。例えば顧客に接していて、それが許されるのか。やはり女だと舐められて行き場を失ってしまう。そんなことになるのは僕には耐えられない。


「僕は女性の活躍す・・・」


 続ける言葉をなくした。彼女が手帳を握り締めて何かを必死に堪えている姿を見たからだ。僕は何かを勘違いしている。そう感じてしまった。

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