17 交代です
「佐藤、飲んでいるか」
先輩の寺澤がビール瓶を持ってやって来た。酌をして回るのがこの人の態度だ。仕事でも皆の顔色を窺って程よく立ち回っている。そのお陰で今は空席の係長の椅子が一番近い人物でもある。
「寺澤さんこそ飲んでますか。僕がお注ぎしますよ」
話がくどいので苦手な先輩だ。でも僕はそのあしらい方を心得ていた。飲ませれば良いのだ。一杯注いで貰うお返しに、その何倍も注ぎ返せば満足して去って行く。しかし、それでも多少は管を巻く話に付き合わなければならない。
「佐藤はな、いつもクールに仕事をしているが、あれでは上司には認めてもらえないぞ。もっとアピールが大切だとは―――」
延々と続くいつもの内容だ。酒の席では何度も聞かされている。最後には自分の処世術をくどくどと語り出すので、そうなる前に僕は処世術の方法と結果を先に言ってしまうことにしている。
「そうだ。よく分かっているじゃないか」
こうして酔っ払いは得心して去ってくれた。僕に残されたのは、まだ一口も口を付けていない酌をしてくれたビールだけだ。これをどう処理しようかと考えながら、僕は何杯目かのハイボールのグラスを傾けていた。
厠から戻ると、今度は後輩たちに囲まれている彼女を発見した。気を使わなければならない連中から解放されたのは喜ばしいことだが、僕にはそれはそれで気掛かりになった。特に松本という奴はかなり積極的に迫っている。
「気になるみたいだな」
二年先輩だが、高専卒の同い年の永野がにやにやして言う。
「何がだ?」
「早く武鎧さんに告白しろよ。あいつらに取られてしまうぞ」
「何で僕がそんなことを」
「お前のタイプだろう」
「僕は社内恋愛をしない。もっと広い世界で探したい」
「何だそりゃあ。それは同級生同士で結婚した俺を否定しているのか」
「違う違う。僕のことだ」
「結婚はなぁ、いいもんのだぞぉ。特に武鎧さんは最高だと思うね」
「新婚なのにそんな目で見ているのか。奥さんに言いつけるぞ」
「馬鹿野郎。お前は女の子を見る目がないんだよ」
僕はこのまま延々と永野に説得され続けた。これでは寺澤さんと同じではないか。くどい話を聞かされて、自分の結婚観を僕に植え付けようとする永野だった。
永野の酒量も増えて、話に熱が籠ってきた。僕もかなり飲んでいる。そのせいで二人で何の話をしているのか途中で分からなくなってしまう時もあった。
「えーっと、永野の言うことにもだな、一理はあるかもだな」
グラスの氷を指で摘まんで口に抛り込んだ。ガリガリと歯で噛み砕いて飲み込むと、胃の中が冷たくなるのを感じた。
「新婚のお前が・・・」
そこにいた筈の永野が居ない。居ないが、誰もいないわけではない。赤い顔をして目元がとろんとなった女の子がいる。髪の毛をアップにしてうなじに色っぽさを感じた。
「えーっと、酔ってるのかな」
男の永野が女の子に見える僕。相当に酔っぱらっているのかとしか思えない。しつこく結婚観を語られたので、居もしない女の子の幻が見えた。
「永野さんと交代です」
店に入った時とは違う髪型をした彼女だった。




