10 ケーブルベア
「そうさ、こいつはね、根っからのギャンブル狂なのさ」
「へぇー、そうなんですね」
僕を見る彼女の視線が変わったような気がする。依存症の哀れな人間を見る目付きだ。
「大学で競馬サークルにいただけだよ。僕は貧乏学生だったんで、賭けなんかしない。専ら予想専門だよ。的中率は驚異の七十%越え」
「自称だろう。しかし、かもしれないくらい当たるよな。そのお陰で、俺は儲けさせてもらっている」
「へぇー、そうなんですね」
同じ台詞を言って、また僕を見る目が変わった。見直してくれたのだろう。
「あぁいうものはね、理論と傾向から立式すれば良いのだよ」
威張って言ってみると意外と彼女の反応はあらぬ方向に向いた。
「私を立式して、どうなっていますか?」
「えっ?」
「あっ、いえいえ。気にしないでください」
「人は数式に出来ないよ」
「あぁ、そうなんですね。良かったぁ。外れって言われたらどうしようかと思ってました」
胸に両手を当ててほっとして笑う表情は如何にも子供っぽい。普段とは別人のように幼く見える。頬の肉付きがふっくらして、丸い顔の輪郭を作る。目が丸くて黒目が大きい雰囲気が柔らかい和やかさを感じさせた。
「ちょっと佐藤さん、出来ないって言ったのに、計算しないでくださいよぉ」
「そうだぞ、佐藤。公然と女性を見詰めているな」
はっ、僕は何をした?
彼女に見惚れていた?
「野山係長、修理が必要なのはどこですか!」
疑問文なのに、僕は焦って命令調な語尾になってしまった。僕としてはあるまじき失態だ。彼女と出会ってから何故か平静さを失っている。
「おっ、おぉ。背面から入ってくれ。酷い有り様だ」
僕は彼女のヘルメットにヘッドライトを装着させた。強力な光が僕の目を刺す。
「分かりました。確認してきます」
僕のヘッドライトも点灯させた。背面からの機械内部は薄暗い。彼女に危険箇所を触らないように指示しながら油まみれの狭い空間に侵入した。
「何だ、これ!」
僕たちの目の前にあったのは、複雑に絡まり合ったホースとケーブルの山だった。
「何ですか、これ?」
彼女が背後で怖そう震えた。潰れて飛び散ったプラスチックの欠片が無残だった。
「ケーブルベアが外れたんだよ」
ケーブルベアは、自転車のチェーンのように同じ部品が幾つも連結されたもので、内部にホースやケーブルなどが通せるような大きさになっている。可動部に取り付けて、内部のホースやケーブルなどを柔軟な動きに合わせて案内及び保護するための部品である。
「はぁ、ケーブルベアですか?」
よく分からないという彼女の返答。こんな暗く狭い場所で説明もできないので、彼女にスマホで写真を撮るように指示して、僕は先に機械から出た。
「野山係長。何をしたら、あんなことになるんです?」
事故原因を把握しないことには復旧できない。同じトラブルは起こしたくないからだ。
「多分メンテナンスのミスだろう。昨日、あそこの保全作業をさせていた」
「誰です、それは。その人が復旧作業をするべきでしょう」
「まぁ、そう言うなって。本人は相当に落ち込んでいるんだからさぁ」
後から聞いた話では、その人は責任を感じて精神的に病んでしまったらしい。真面目過ぎる性格が災いしたのだろう。僕にはそんな健気さは微塵もない。殊勝な心掛けなんて、どこ吹く風だ。
「交換の部品はすべて揃っている。明日から宜しく頼むよ、可愛い彼女と二人っきりでさ」
野山係長が親指を立てて言った。それで僕が納得するとでも思ったのだろうか。
「はぁ! 今度の休みの約束は、暫く無しにします」
「おいおい、俺を飢えさせるつもりか」
「自業自得でしょう」
野山係長は肩を落として去って行った。僕のこれからの苦労を考えると、それくらいは安いものだ。ざっと見積もったところで復旧に二日か三日は掛かる。その間の僕の通常業務は停滞したままだ。溜まる仕事を誰も処理してくれないのが、菩提重工の社風だった。
彼女がまだ機械から出て来ない。写真を撮るだけなのに、どれほど時間を掛けているのか。暗く狭い場所に残してきたから、事故を起こしたのかと心配になった。
「きららちゃん」
焦る気持ちで機械背面に行くと、彼女の姿がない。内部を覗き込むと、ヘッドライトの光が一点を照らしていた。
「どうしたの、きららちゃん?」
破損部品に触れて、怪我でもしたのか。新入社員に労災を起こさせた責任を僕は考えた。何故彼女を一人で残してしまったのだろうかと後悔した。
「佐藤さん」
僕を呼ぶ彼女の声がした。気のせいか些か元気がないようだ。
「佐藤さん。ケーブルベアって、これですか?」
彼女は黒いプラスチック部品を手にしていた。空洞の箱を幾つもチェーンのように繋げて、くねくねと動かしている。
「そう。それがケーブルベア」
彼女は得意げにヘッドライトの光の中で笑っていた。しかし、と僕は考える。彼女は変わり者だ。暗い機械の中で、一人で部品を漁っていた。そんなのは異様な行動だろう。僕には少なくとも女の子がそんなことをしているなんて思いも出来なかった。
「出ておいで。寮に行こう。今日はこれで終わりだ」
仕事が終わったと聞いて彼女は満面の笑みを浮かべる。僕が知っている限りで、今日一番の笑顔だと思う。彼女もやはり仕事よりも休息が良いのだ。誰だってそうだから当たり前か。
寮の部屋に入って、僕は風呂に入っている。膝を抱えて狭い湯船に浸かっていると、急激に睡魔に襲われた。疲れているのだ。僕はそれを彼女のせいにすることにした。これから先、僕は彼女をどうしていくのだろうか。男とは違って女の子なのだから、あまり仕事の面では役に立たないだろう。女の子が機械を扱っている姿をいまだに想像できなかった。
偏見だ。
そうさ、僕は偏見を持っている。女性は機械に弱いものだ。彼女はどう考えているのだろうか。化学屋が機械屋になれる筈もない。僕は天井を見上げた。女性社員は上の階に宿泊する決まりになっている。男女を分けて無用ないざこざを避けていた。
考えまい、考えまい。風呂から上がって、自販機のビールでも買いに行こう。それで味噌カツ弁当をつまみにして、至福のひと時を過ごそうじゃないか。侘しいなんて思わない。僕は至って前向きで軟弱な性格だ。強靭ではいけない。長い物には巻かれろ的な思考で何でも乗り切ってみせる。




