名前は大切
リアクションありがとうございました。
「名は体を表す」と言う言葉があります。
私は、少なくとも人名に関しては、この言葉は当てはまらないと考えています。
生まれたばかりの赤ん坊がどのように成長するか予め知ることはできません。体を表す名を付けることは不可能です。
どれほど素晴らしい名前を付けたとしても、名前に合わせてすばらしい人間になるわけでもありません。それが可能ならば世の中は素晴らしい名前の素晴らしい人間で溢れています。
名付けには、どのような人間に育って欲しいかという願いが込められていることがよくあります。
けれども、望まれたような人間になるために努力するか、望まれた人物像の理想が高すぎて努力を放棄するか、それとも親や周囲に反発して別の道を進もうとするか。
全ては本人次第です。
思った通の人間に子供を育てるなんてことはできないし、できたとしたら子供の人格を無視した非道な行いです。
姓名判断に対して、「統計的な裏付けがある」みたいな主張をする人を見たこともありますが、実際に統計学的な手法を用いて何らかの有意な結論を導き出した研究は存在しません。(あったら知りたいです)
統計学は結構難しい面があって、ただデータをたくさん集めて計算すればそれで正解とはなりません。
血液型性格判断が流行った時にも「〇型にはこんな人がいる」と言って著名人を並べ立てるようなことが行われましたが、これは統計ではありません。
統計は偏ったデータを集めれば偏った結果が出ます。
都合の良いデータだけを拾い上げればどのような結論でも導き出せるし、恣意的なデータの取捨選択が行われればいくらでも偏ります。
自分の求める結果に合うように都合の良いデータばかりピックアップしてしまうという行為は、故意に捏造をするつもりがなくてもやらかしてしまうことがあります。
そうした、自分自身に対しても厳しい目を向けることなく、細かい部分を切り捨てて「当たった、当たった」と成果ばかりを主張する意見は信用に値しません。
また、人の性格とか占いで用いられる「○○運」等は、曖昧で解釈次第ではどうとでも取れるものです。
曖昧でどうとでも解釈できるから、関係無さそうな部分は無視して関係有りそうな部分だけに注目して「合っている」と思い込むのです。
「名は体を表す」と言う言葉がその通りだと思う瞬間があるとすれば、それはおみくじを引いて「当たっている」と感じるのと同じでなのです。
ここまでは生まれた時に付けられた名前ですが、成長してから付けられる名前も存在します。
昔は幼名と言って子供の時の名前を付けていました。源義経の牛若丸とか、徳川家康の竹千代などが有名です。
死に易い子供に対して魔除けのために悪い意味や変な名前を付けることもあったそうなので、そのまま体を表してしまうと困ります。
昔の成人である元服で諱を付けます。成人してから付ける大人の名前です。
まあ、元服は数えで十五歳なので、現代の感覚ではあまり大人と言う気はしませんが。
それでもある程度成長して性格や才覚もある程度見えてきているだろうから、より本人に相応しい名前を付けることができる……かもしれません。
明治に入ると戸籍が整備されると、簡単には改名できなくなりました。(「氏」の方は結婚で変わるようになりましたが)
幼名も諱も(法的には)無くなり、生まれた時に着けられた名前と一生付き合うことになりました。
ただし、現代でも成長した後に付ける名前もあります。
それは、芸名の類です。
戸籍上の本名とは別に仕事上の名前を名乗る人は多くいます。
芸能人以外にも、相撲の四股名とか格闘技関係でリングネームとか、作家や漫画家はペンネームを名乗ったりします。
こうした名前は、その活動を始める際に付けます。本人が自分で名前を考えたり、その人を売り込む立場の人が命名したりします。
この手の名称は法的な縛りがありわけでもないので、好きなように名乗ることができます。改名することだって自由にできます。
ただし、仕事で使用する名前なので、ある意味本名よりも重要です。
本名ならば変な名前でも「親が悪い」となり、本人は被害者です。
しかし、芸名の場合は「本人のセンスが悪い」と取られ、仕事に影響が出る可能性もあります。
本人の付けた名前でなくても、本人が了承して名乗っているのです。事務所等の押し付けで本人に拒否権がない場合でも、そうした背景込みで本人の評価となります。
なるべくイメージが良く、覚えやすい名前を名乗りたいでしょう。
体を表すとまでは言わなくても、活動内容に則した名前にしたいところです。
芸能人が聞いただけで「つまらなそう」と思われる芸名は避けたいでしょうし、弱そうに聞こえるリングネームも普通ならば付けないでしょう。
古典芸能の世界では、「襲名」が行われることもあります。
芸名が一種のブランドとなっていて、襲名するためにはその名に値する実力を持っていることが求められます。
まあ、本人の名前では売れないから、テコ入れのために襲名するなんて話を聞いたこともありますが。
芸名に関して、あえて奇抜な名前を付けたり、本人の印象とは正反対の名前を付けたりすることで印象付けようとする戦略もあります。
もちろん、自分をよく表している名前を選ぶ人もいるでしょうし、自分の成りたい姿を込めた芸名を付けて名前に合わせてキャラ作りをする人もいるでしょう。
芸名よりもさらに体を表す名前を付けられやすいのが、物語の中の登場人物の名前です。
創作物の登場人物ならば、本人の性格や能力、作中の行動や役回り全てを考慮した上で相応しい名前を付けることができます。
主人公には格好良い名前を。
ヒロインには可愛らしい、あるいは美しい名前を。
悪役ならば、いかにも悪そうな名前を。
色々と考えて名前を付けるのです。
速攻で倒されるだけのチョイ役の悪党とかだと、ゲスだのカスだのと安易で変な名前を付けることも多々ありますが。
余談ですが、歴史上日本語が大きく乱れた時期が三回あると私は考えています。
そして、日本語が乱れれば、人名にも影響が出ます。
日本語が乱れた最初の一回目は、平安時代です。
日本にはもともと文字がありませんでした。
だから、政治を行う上で必要となる記録は、大陸からやってきた渡来人によって漢字で、つまり中国語で記載されていました。
その漢字を書き崩したり一部を取ったりして大和言葉の発音を表記する仮名が使われるようになったのが平安時代です。
しかも、ただ大和言葉を文字で表記しただけではなく、漢字かな交じり、つまり大和言葉と中国語を合成してしまいました。
この過程で大量の中国語が日本語として取り込まれました。
元々日本に存在しなかった概念だけではありません。
例えば、数を数える際に、「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」「よっつ」と数えるのは大和言葉です。
「いち」「に」「さん」「し」と数えるのは中国語の「一」「二」「三」「四」に由来しています。
なお、「イー」「リャン」「サン」「スー」と数えるのは中国語と言うよりも麻雀用語です。(「リャン」は漢数字の「二」ではなく「両」の字の読みです。)
こうして大和言葉と中国語が入り混じることで日本語は複雑に、そして豊かになりました。
その影響は、人名にも現れます。
例えば、「平家」「源氏」と書くと「へいけ」「げんじ」と音読みで読みます。
しかし、人名としては「平清盛」「源頼朝」を「たいらのきよもり」「みなもとのよりとも」のように訓読みになります。しかも漢字に含まれない「の」まで入っています。
元々の大和言葉での名前の発音に無理やり漢字を当てはめ、さらに中国語由来の音読みも入り交じるかなり混沌とした状態になっています。
その後、漢字かな交じりの日本語は定着します。
政治も文化も中国から輸入していた時代は終わり、日本独自の文化が発達したことで日本語の変化は緩やかになります。
この状況が大きく変わったのは、明治に入ってから。日本語が乱れまくった二回目です。
この時代に日本語影響を与えたのは、文明開化で西洋の文化が入って来たから、だけではありません。
欧米列強に対抗するために日本を一つにまとめようとした時、日本国内で言葉が通じなかったそうです。
幕藩体制の時代には一般の人は別の藩まで行くことは滅多にないので、遠く離れた地域の方言は理解できなかったのです。
日本人同士での意思の疎通を図るために大慌てで作られたのが今の標準語です。
標準語を強引に普及させたために、方言がバカにされる風潮が生まれたり、アイヌ語がアイヌ文化ごと根絶させられたりと弊害も生じました。
明治の日本語の混乱はこれだけではありません。
漢字かな交じりの日本語の文章が近代化の妨げになっていると考える人がいました。
実は江戸時代には日本にも活版印刷の技術は伝わっていたのですが、漢字を用いる日本語には向かずに普及しませんでした。
モールス符号なんかも漢字を扱うことはできず、日本語用のモールス符号はかなだけです。
そのため、日本語をローマ字表記で記述した文学作品を書いた人や、日本語を廃止して英語を公用語にしようと考える人もいたそうです。
そんな激動の時代は人名にも影響を与えました。
全ての日本人を戸籍で管理するようになり、幼名も諱も出世して改名する風習も無くなりました。
江戸時代には一部の人しか名乗らなかった苗字を、全ての人が名乗るようになりました。
また、「氏」「姓」「苗字」等、微妙に違いがあるのですが、戸籍では「氏」に統一されました。
そんな時代に活躍した森林太郎(森鴎外)は、自分の子供に洋風の名前を付けています。
「於菟」「不律」「類」「茉莉」「杏奴」
今でいう、キラキラネームの走りです。
最後の三回目は現代です。
時代的に明治と近いですが、第二次世界大戦をはさんで分けて考えられると思います。
第二次世界大戦の戦中戦後を経験した人は、価値観がひっくり返る経験をしたと言います。
戦時中は鬼畜英米と言っていたのが、戦後は一転してアメリカが憧れの国になりました。
経済成長と共に、英語を中心に大量の横文字が日本語に入り込むようになりました。
中には既に訳語がある言葉なんかも新たに横文字として使われだしたりしています。
特にインターネットが普及して情報が溢れるようになってからは横文字だけでなく様々な造語が作られるようになりました。
「今時の若者言葉は分からない」なんて話は何時の時代にも存在しますが、近年では「ネットスラング」のように世代とは別に分からない人には分からな言葉も多々あります。
流行語大賞とかで、「その流行語、何処で流行った言葉?」なんて思ったことはありませんか?
そんな中、人名に関して増えてきたのがキラキラネームです。
横文字風の響きの良い読みに、意味や字面の良さそうな漢字を無理やり当てはめて名前を作ります。
上手くすれば素敵な名前になるはずですが、失敗すると「子供が生まれて舞い上がった親の独りよがりな名前」になりかねません。
何事も最先端を行く者は苦労が絶えませんが、名付けた親ではなく名付けられた子供が苦労を背負い込むことになると言う点は忘れないで欲しいものです。
戸籍上の氏名には読みが記載されておらず、好きに読むことができたのでかなり無茶な当て字も可能でした。
しかし、最近法改正されて戸籍上の氏名に読み仮名が必須となり、「氏名として用いられる文字の読み方として一般的に認められているもの」であることが求められるようになりました。
これで、絶対に読めない変な名前は付けられなくなりそうです。
人名に対するイメージは、言葉の意味や音の響き、字面などよりも、その名で活躍した有名人が何を成したのかが大きいと思います。
例えば、「伊達」と言う言葉に「華やかな様」や「粋なふるまい」と言う意味があるのは伊達政宗に由来します。別に伊達家に生まれたから伊達な男になったわけではありません。
他には、ロッキード事件で有罪となった田中角栄元総理大臣と同姓同名の人が改名を申請して認められたと聞いたことがあります。
全国的に有名になった犯罪者と同じ名前と言うのは、相当イメージが悪いようです。
人名も重要ですが、物の名前も大切です。
特に商品名に関しては、場合によっては売り上げを左右する要因になりかねません。
商品名は、その商品の第一印象を与えます。
第一印象でその商品に悪いイメージが付いてしまったら、それ以上調べることなく購入の候補から外すこともあるでしょう。
不味そうな、あるいは不衛生そうな名前の食品や飲料があったら買いたいと思うでしょうか?
汚れの落ちない洗剤、音質の悪いオーディオ、ゴミを吸わない掃除機、時間が狂う時計。
中身は他の商品と大差ないとしても、そんな負の側面ばかり想起するような名前の付いた商品を誰が手に取るでしょうか?
世の中にはあえて悪い意味、その商品には普通ならば付けないような名前をあえて付けることで、インパクトの強さで人目を引くこともあります。
けれど、失敗すると「そんな変な名前を付けたら失敗して当然だ」と評価されることになりますが。
だから、多くの場合はなるべく良いイメージを与え、人の記憶に残るような名前を考えることになります。
ですが、名前に対するイメージは、名付けた側が想定した通りになるとは限りません。
例えば、「電磁調理器」と呼ばれる家電があります。
しかし、「IHクッキングヒーター」「IH調理機」の名前で売られていることが多いのではないでしょうか。
どうも、「電磁調理器」という名前から、電磁波をガンガン放出する危ない器具だと思った人がいるみたいなのです。
中には電磁調理器をオープン型の電子レンジのことだと勘違いしていると思われる発言も見かけたかとがあります。
例えば、「あれだけの火力があるのだから、それだけ強力な電磁波を出しまくっているに決まっている」みたいな発言です。
電磁調理器もガスコンロ並の火力がありますが、その火力を根拠に「電磁波が出ている」と主張するのは電磁波によって加熱していると考えているからでしょう。
同じように考えている人はいますか?
それは間違っています。
電子レンジと電磁調理器は全く別の原理で加熱しています。
電子レンジは電磁波の一種であるマイクロ波を利用して加熱しています。
電子レンジで使用される2.4GHzのマイクロ波が、食材や料理に含まれる水分に作用して熱を発生します。
マイクロ波は食材の内部まで浸透します。このため、料理や食材の内側から加熱することができます。
一般的な加熱調理器具は外側から熱を加えるため中まで熱が伝わるまでに時間がかかります。一方、電子レンジは直接内部から加熱できるために調理時間が短くて済みます。
逆に、外側だけを強く加熱して焦げ目をつけることはできません。
また、マイクロ波は金属で遮蔽することができます。
電子レンジでゆで卵を作る方法を知っていますか?
卵を電子レンジで直接加熱すると爆発してしまいます。そこで、卵をアルミホイルでくるんでマイクロ波を遮断し、水の入ったコップに入れて電子レンジにかけます。
こうすると、マイクロ波ではなく、加熱された周囲の水で卵が暖められるため爆発することなくゆで卵を作ることができます。
一方、電磁調理器の方は、金属に電流を流すことで生じるジュール熱によって加熱します。
発熱部分の原理に限って言えば、電磁調理器は電気コンロと同じです。
違いは発熱部分の構造、電流の流し方にあります。
電気コンロの場合はコンロ側に設置した電熱線に直接電流を流し、電熱線が発熱します。
一方電磁調理器は、調理機の上に乗せた鍋やフライパンなどの底に電流を流して鍋底を加熱します。
鍋底等に電流を流すために使用されるのが電磁誘導という現象です。
電磁調理器に内蔵されたコイルが交流磁場を作り、その磁場によって上に乗せた金属に渦電流と呼ばれるその場でぐるぐる回る電流が発生します。
鍋底に電流を流すための電極もないし、渦電流はその場で回るだけだから感電する心配はありません。
また、金属に電流を流して加熱しているため、電磁調理器に土鍋は使えませんし、鍋を使わずに直火で炙るようなまねもできません。
そして、電子レンジと異なり食材を直接加熱することはありません。あくまで鍋底で発生した熱を伝えているだけです。
電子レンジと電磁調理器はその原理も使い方も全く違うものです。
食材を直接加熱する電子レンジと、鍋類を加熱する電磁調理器。
金属に囲まれていると加熱できない電子レンジと、金属製の鍋類でないと加熱できない電磁調理器。
これだけ使い勝手が違っていいることを知ってか知らずか、電磁調理器は電磁波を出しまくると思っている人はいます。
電磁誘導という名称もまた素人には電磁波を連想させるものです。
さらに、中途半端に詳しい人間が誤解を拡大することもあります。
電磁誘導はコイルに電流を流して磁場を作り、電線で直接接続していない対象に電力を供給するというものです。この時使用する電流や磁場は交流、つまり波です。
そう、「電」「磁」「波」の三つが揃ってしまうのです。
電磁波を照射して鍋底を加熱するものだと勘違いしてしまうかもしれません。
しかし、単なる交流磁場は電磁波ではありません。性質が全然違うのです。
電磁波は空間を伝搬していく波です。一度放出されれば波源とは無関係に進んで行きます。
電磁波の強度は距離の二乗に反比例します。距離が倍になれば強さは四分の一になります。
ただし、これは一点から全方向に均等に電磁波を放出した場合の話です。点ではなく直線のアンテナから放出される電磁波は距離に反比例し、平面から放出される電磁波はどれだけ距離が離れても強さが変わりません。
まあ、無限に長い直線や無限に広い平面から放出される電磁波の話なので、そうでなければ距離が離れるにつれ一点から放出される場合に近付いて行きます。
いずれにしても、一度放たれた電磁波はエネルギーを持って無限遠へと飛んで行きます。
それに対して、電磁誘導では磁気を介して対象と接続しています。
電磁調理器では上に乗せた鍋底を含めて回路を形成しています。その回路を流れる電流によって加熱しているのです。
つまり、その回路ができなければ電流は流れないのです。
電磁調理器を使ったことのある人は知っているでしょうが、電磁調理器ではガスコンロのように少し持ち上げて火力を調整するということができません。
手にしたフライパンをわずかでも持ち上げれば回路が切れて火力が一気にゼロに落ちます。
また、IH対応の鍋でもフライパンでも、基本底は真っ平らです。ちょっとした凹凸や反りがあって底が僅かでも浮くと加熱されなくなるからです。
電磁波を当てて加熱しているならばこのようなことはおこり得ません。鍋底の広さに対して1cmや2cmは誤差、受ける電磁波の量はたいして減りません。
電磁調理器の加熱に、電磁波は全く関係ありません。
もちろん、電磁調理器から電磁波が全く出ないということではありません。
加熱するために必要なくても、副次的に電磁波が発生することはあります。
そのつもりが無くても設計や製造時のミス、あるいは劣化や故障で強い電磁波を放出してしまうこともあり得ます。
けれども、それは電磁調理器固有の問題ではありません。あらゆる電気製品で電磁波を出す可能性はあります。
電磁誘導は変圧器に使われている現象です。身近なところでは、ACアダプターの中に入っています。
モーターの入っている機器――掃除機、洗濯機、冷蔵庫、扇風機、エアコン等々――もコイルに電流を流しているのだから電磁波を出し得る家電です。
また、無線LANで使用している周波数の一つは電子レンジと同じ2.4GHzです。Wi-Fiは電子レンジは同じ種類の電磁波を放出しているのです。
けれども、そうした家電製品やWi-Fi機器に関して電磁波の問題を取り上げる人はあまりいないでしょう。
電磁調理器だけ、電磁波を連想する名前が付いていたために、電磁波をガンガン放出する危ない製品だと思い込む人が出てきたのでしょう。
たぶん、「電磁調理器」と名前を付けた人も想像もしていなかったでしょう。電磁波に対して有害で危険なイメージが付いたのも後になってからです。
電磁誘導を利用して加熱する原理を良く表した、つまり「体を表す」とても優秀な名前だったのです。
素人相手にはIHよりもよほど分かりやすい名前です。
誤解で悪いイメージが付くのとは逆に、名前によって実態以上に良いイメージが得られることもあります。
商品の名称を考える時には積極的にそれを狙うことも多いでしょう。
あまりやり過ぎて誤解を誘発するような名前を付けたり広告を行ったりすると違法な行為になりますが。
だから、嘘のない範囲でイメージの良い言葉を選んで名前を付け、あるいは謳い文句とします。
名前には流行があります。
人名にも年によってよく付けられる名前やよく使用される漢字などががあります。
商品名にもその時代時代によく使用される言葉があります。
それは、その時々にイメージの良い言葉です。
例えば、家電製品にマイクロプロセッサを組み込んで制御する製品が出始めた当初は、「マイコン○○」「マイコン内蔵」みたいな商品名やキャッチコピーがよく使用されました。
時代によっては、「コンピュータで計算した結果」と言うだけで「正しいに違いない」と思うような空気がありました。
コンピュータで計算する家電製品は、さぞかし素晴らしいものに見えた事でしょう。
その後、マイコン内蔵は当たり前になって売りにならなくなると、また次の流行が始まります。
ファジー理論が注目されると、「ファジー○○」。
ニューラルネットワークが脚光を浴びると「ニューロ○○」。
今ならば、「AI」あたりが流行りのキーワードでしょうか。
中でも特に大成功を収めたのは、「マイナスイオン」でしょう。
一時期、エアコンでも空気清浄機でも、なんでもかんでも「マイナスイオン」を謳った製品ばかりになりました。
中には、マイナスイオンを謳うためだけにマイナスイオン発生器を取り付けたような商品もあったのではないでしょうか。
流行りが行き過ぎて「マイナスイオンを謳わなければ売れない」かのような風潮があったように思います。
ところで、「マイナスイオン」とは何か、ちゃんと理解していますか?
「そのくらい知っている」と言う人でも、漠然と「何かよいもの」程度の認識しかないことも多いのではないかと疑っています。
大雑把に言うと、「イオン」とは帯電した微粒子の事です。
化学の授業で「イオン結合」と言う言葉を習った人も多いでしょう。
原子は、原子核に含まれる正の電荷を持った陽子と同じ数の負の電荷を持った電子が存在することで電気的に中性になっています。
原子核の周囲を回る(古典的イメージ)電子には決まった軌道が存在していて、軌道ごとにその軌道に入ることのできる電子の個数の上限、言ってみればその軌道に電子を受け入れる枠みたいなものが存在します。
原子を構成する電子は、エネルギーの低い軌道から順に枠が埋まって行き、一番外側の軌道の枠の埋まり具合でおおよその化学的性質が決まります。
一番外側の軌道に枠がすべて電子で埋まっている状態はとても安定です。ほとんど化学反応を起こさないので不活性元素と呼ばれています。
化学反応を起こしやすい原子は、一番外側の軌道の枠が全ては埋まっていません。
例えばナトリウム(Na)は一番外側の軌道の八個の枠のうち、一個しか電子が入っていません。
その一個の電子を取り除いてしまうと、全ての枠が電子で埋まっている一つ内側の軌道が一番外側の軌道となるので非常に安定した構造となります。
ただし、原子核の陽子の数よりも、電子の数が一個足りないので全体として正の電荷に帯電した原子となります。
これがナトリウムイオン(Na+)です。
正の電荷に帯電したイオンを、化学では陽イオンと呼びます。
別の例で、塩素原子(Cl)の場合は一番外側の軌道の八個ある枠のうち七個まで電子で埋まっています。
残り一個の枠にどこかから電子を持ってきて埋めれば全ての枠が埋まって安定しますが、今度は電子の数が一個多いので負の電荷に帯電した原子となります。
これが塩素イオン(Cl-)です。
負の電荷に帯電したイオンを、化学では陰イオンと呼びます。
正と負の電荷は互いに引き合うので、陽イオンと陰イオンは電気的に引き合ってがっちりと結合します。これがイオン結合です。
ナトリウムイオンと塩素イオンが結合した塩化ナトリウム、つまり食塩ですが、がっちりと結合していてナトリウムイオンだけ、塩素イオンだけを取り出すことはできません。
水に溶かせばナトリウムイオンと塩素イオンがバラバラになりますが、個別に取り出すことはできません。電気分解しても水素ガスと塩素ガスが出て来るだけでイオンの状態にはなりません。
一般に「マイナスイオン」と呼ばれているものは、水中のイオンとは状態が違いますが、空気中に漂う帯電した原子や分子、その集合体です。
微細な粒子は空中を浮遊します。その微粒子が何処かから電子を貰ってきて負に帯電すればマイナスイオンと呼ばれることになります。
その分何処かに正に帯電した物質があるはずですが、プラスイオンとして空気中に漂っていなかったり、ある空間ではマイナスイオンの方が多かったり、あるいはプラスイオンの存在を無視すれば、そこは「マイナスイオンのある空間」と呼ぶことができます。
ただ、私は個人的にマイナスイオン商品を非常に胡散臭いものだと考えていました。
マイナスイオンブームの大元は、滝とか森林とか、リラックスできるような場所にはマイナスイオンが多い、と言った主張をした人がいたのだそうです。
そこから類推して様々な「良い事」がマイナスイオンに結び付けられ、逆に「悪い事」がプラスイオンに結び付けられたりしました。
けれども、そうした俗説の多くはまともな科学的な根拠がありません。
研究は数多く行われているでしょうが、「マイナスイオンには確実にこういう効果がある」とか「こういうメカニズムでマイナスイオンが作用している」とか言った研究成果が多くの科学者の支持を得て通説になるところまではいっていません。
つまり、マイナスイオンの効果に科学的根拠はありません。あったとしても、限られた極一部の現象に対してのみです。
そもそも、「リラックスできる場所にマイナスイオンが多かった」が正しかったとしても、「何でもいいからマイナスイオンを発生させればリラックスできる」が正しいことは保障されません。
たぶん、「マイナスイオン」と言う名前に良いイメージが強く定着してしまって、本来の意味を上書きしてしまっています。
たまに、「マイナスイオンを感じる」などと言う台詞が使われることがありますが、人間にはマイナスイオンを感知する能力はありません。
その場所の雰囲気として、「リラックスできる」とか「癒される」とか言った感想を「マイナスイオン」と言う言葉に置き換えてしまっているのです。
名前に対する良いイメージが強いと、売り手としては商品のイメージが良くなる素晴らしい名前になりますが、消費者側からすると商品名に騙される危険な名前となる場合があります。
例えば、世の中にはダイエット飲料の類が色々と売られています。「ダイエット○○」みたいな商品名を見たら、飲むだけで減量できると思う人も多いでしょう。
そして、「ダイエット飲料を飲んでいるから大丈夫」と油断して、かえって体重が増えてしまう人も出て来るわけです。
ダイエット効果があったとしても、それ以上に食べれば体重が増えるのは当然です。
それでもついつい「ダイエット飲料を飲んでいるから大丈夫」と考えてしまうのは、「ダイエット○○」のような名前のイメージに騙されているのです。
マイナスイオン商品が流行した後で、景品表示法が改正されて、合理的な根拠のない効能の記載が禁止されました。
逆に言うとそれ以前は、まともな根拠のない効能を謳った製品が堂々と売られていたわけです。
例えば、マイナスイオンの発生機を搭載している→マイナスイオンの効能として様々な俗説・通説がある。→俗説・通説の中から有名なもの、人気のありそうなものを選んで商品の効能として謳ってしまえ。
俗説や通説は、疑問や異論に対して反論や修正を加えて行った結果疑う余地がなくなった定説とは異なり、まだまだ議論の余地のある未完成な仮説も多く含まれています。
もしかしたらそのような可能性があるかもしれないレベルの仮説や、既に明確に否定された説だって一般に流布され続けることもあります。
そしてそこに素人解釈による誤解や拡大解釈が入ります。中途半端な理解を願望で歪めます。
そのような真偽不明の俗説を根拠にすることはできません。
景品表示法の改正後、多くのマイナスイオン商品の説明文から効能の記載が消え、販売自体が中止になった商品もあるそうです。
しかし、マイナスイオン商品は今でも作られ、売られています。
商品のパンフレットや広告のキャッチコピーからマイナスイオンの効能が削除されても、マイナスイオンを発生させている事だけなら謳うことができます。
そして、消費者は効能が書かれていなくても「マイナスイオン」と言う言葉から勝手に効能を想像し、書かれていない効能を期待して商品を買ってしまうのです。
こうした状況は、マイナスイオン商品だけではありません。
世の中には健康に良い成分の入った食品や飲料、あるいは健康器具の類が各種売られていますが、中には科学的、医学的に効果が証明されていない場合も多くあります。
試験管の中では効果が認められても食品や飲料から摂取して同じ効果が得られるか分からないとか、他の要因との区別が付けにくいとか、個人差が大きくて一般的に効果があるとは言い切れないとか、明確に効果を証明することが難しい場合も多くあります。
単に、真面目に研究している人が少ないだけと言う場合もあるでしょうが。
明確に証明されていない効果を謳い文句にして商品を売ることはできません。
世の中には怪しげな商品を怪しげな謳い文句で売る怪しげな団体とかもありますが、まともなメーカーでは違法な行為は控えます。
けれども、マイナスイオンのように何か良いイメージのものを生成するとか、健康や美容に良いとされる成分を含んでいると言った事実を説明するだけならば法には触れません。
そして、商品の宣伝とは別口で、その良いとされている成分などの効能を紹介した書籍を出版することはできます。
商品の説明でも宣伝でもなければ、景品表示法は関係ありません。
書籍の内容は広告ではないので、嘘、大げさ、紛らわしい内容でも規制されません。
科学的根拠が無かろうと、専門家の意見や学説を誤解曲解していようと、データを改竄捏造していようと、書籍を出版することを止めることはできません。
内容が間違っているからと言って出版を差し止めていたら、それは検閲になってしまいます。
そして、内容が如何に出鱈目でも、もっともらしく書かれていれば、あるいは自分の願望を満たすような考えだったら、ついつい信じてしまうのが素人です。
本が売れたり、マスメディアに取り上げられてブームにでもなれば、深く考えずに信じ込む人も増えるでしょう。
そして、誰かの言い出した効能を信じて、その効能を謳ってもいない商品を買うのです。
昔、アルカリイオン水がブームになった頃に、水道水を電気分解してアルカリイオン水を作る装置が摘発されたことがありました。
理由は、その商品で謳っているだけのアルカリイオン水を生成していなかったからと言うものでした。
ただし、その商品にはアルカリイオンの効能に関しては記載がなかったため、製品で作られたアルカリイオン水の効果が無いことに関しては何の罪にも問うことができなかったそうです。
つまり、アルカリイオン水の効果を期待してその商品を買ったのに期待した効果が得られなかった人がどれだけいたとしても、記載された通りのアルカリイオン水を作っていればそのメーカーは罪に問われないし、被害者に何の補償もされないということです。
これは、「実は何の根拠もない迷信的な俗説の効能」だけではなく、「効果があることは確認されているけれども条件が厳しくその製品では条件を満たさない」と言った状況でも同じことです。
皆さんも、身近にある商品の説明書をよく読んでみてください。
効果効能は書いてありますか?
医薬品とか特定保健用食品とか機能性表示食品とかならば法の縛りがあるからきっちりと効能が書かれていると思います。
けれども、マイナスイオン商品とか、○○水の類とか、健康や美容に良さそうな成分の場合、説明書にも広告にもきっちりとした効果効能が謳われていないこともあります。
明記されていない効果が無かったとしても、誰も責任は取ってくれません。
気を付けましょう。
広告業界に「3B」と言う言葉があるのだそうです。
どれほど工夫を凝らした広告を作っても、三つの「B」が登場する広告には敵わないという話です。
その三つの「B」とは、
Beauty …… 美女。
Beast …… 動物。
Baby …… 子供。
この三つです。
商品の説明を丁寧に説明するよりも、美しい美人や愛らしい子供や動物を出した方が注目されてよく売れるということです。
身も蓋もありません。
でも、納得する人も多いのではないでしょうか。
「小難しい説明を聞くよりも、美女に勧められた方が買う気になる。」
そんな風に思ったりしませんか?
そう思ってしまうことは、とても残念なことだと思うのです。
それはつまり、良い商品を作ってその商品の良さを知ってもらうよりも、商品とは無関係にイメージの良さが優先されているということなのです。
良い印象を与える名前を付け、良い印象を与えるキャッチコピーを考え、良い印象を与える広告を作成する。下手をすると、商品そのものが出てこない広告すらあります。
この傾向が高じると、良い商品を作ることよりも、良いイメージの商品をでっちあげることに注力するようになります。
機能や性能や品質の高い良い商品を作ることで良いイメージを生み出すのならば問題はありません。
しかし、実体のない「良いイメージ」だけで買うようになれば、それは見た目だけはそれっぽいイミテーションを売りつけられているのと大差ありません。
マイナスイオン商品を名乗るためだけに効果があるのかないのかも分からないマイナスイオン生成器を搭載した商品を買わされる、と言ったことが実際に起こっています。
広告の謳い文句のためだけに追加された余計な部分のために、その商品本来の機能や性能や品質が疎かにされたら本末転倒だと思うのです。
また、イメージを重視した広告では、その分製品の詳細が分かり難くなります。
自分の欲しい機能や性能はあるのか? 使い勝手はどうか?
元々売る側の広告では悪い面は見せたがらないものですが、イメージを重点に置く広告ではなおさら悪いイメージに繋がる情報は出しません。
広告では分からない部分を補うのが、実際の使用者の感想――口コミです。
その口コミにまで良いイメージを浸透させようとして行われたのが、ステルスマーケティング――所謂「ステマ」です。
イメージ重視の戦略を続けていると、商品そのものが見えなくなっていきます。
商品そのものを見ることなく、イメージだけで買ってしまっているのは私達、多くの消費者なのです。
「名は体を表す」はやはり間違っています。
人は付けられた名前の通りには成長しませんし、物の名前は対象の本質よりも音の響きやイメージの良さを優先して付けられることも多々あります。
中には勘違いで付けられた名前が定着するとか、洒落や語呂合わせで付けられた名前がその経緯を忘れられたまま残るような場合もあります。
そして、人は時として名前を聞いただけでその内容を勝手に想像して思い込んでしまうことがあります。
その勝手に思い描いたイメージに騙されることになるのです。
名前はあくまで名前であり、そのものの本質ではありません。
仏教には「指月」と言う言葉があるそうです。
月を指し示す指はあくまで指であり、どれだけ正確に月を示していても月そのものではない。
同じように、仏の教えを説く言葉はあくまで言葉であり、仏の教えそのものではない。
言葉にばかりこだわって、その本質を見失ってはいけない。
指ではなく月を見ろ! と言う話です。
名前や、その名前のイメージにとらわれることなく、名前の示す「体」の方を正しく見て行きたいものです。
広告業界の「3B」、「美女」「動物」「子供」。
つまり、その三つを全て併せ持つ、ケモ耳美幼女こそが最強。
これが結論です。




