ツンデレはお好きですか?
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みなさん、ツンデレはお好きですか?
私は以前見かけたこんな言葉が印象に残っています。
「ツンデレって、リアルでいたら面倒臭いだけだよね。」
至言だと思います。
一部のサブカルチャーというかオタクの間でだけ通用していた「ツンデレ」という言葉も、いつの間にか一般に浸透して行きました。
私はこの「ツンデレ」という概念はコンピューターゲームの中から出て来たものだと思っています。
漫画等でツンデレっぽいキャラクターがそれ以前から存在していたとしても、ゲームはゲームで独自に発展してきたのだと思うのです。
ただし、私がコンピューターゲームの中で誕生したと考える「ツンデレ」は、現在一般的に思われている「ツンデレ」とはちょっと違うかもしれません。
昔のコンピューターゲームというと、アクションゲームかシューティングゲーム、あるいはパズルゲームを思い浮かべる人も多いと思います。
たぶんそれは、アーケードゲームのイメージです。
ゲームセンターとか何らかの施設のゲームコーナーに設置された業務用のゲーム機は、基本的に1コイン投入して1プレイできるようになっています。
このタイプのゲーム機は、投入したコインが売り上げになるので、なるべく頻繁にコインを投入してもらわなければ利益が上がりません。
例えば、1コイン百円として、一日八時間営業とすると、一時間に1コインしか投入されなければ一日で八百円にしかなりません。
これが、十分で1コイン投入されれば四千八百円、五分で1コインならば一日で九千六百円の売り上げになります。
1コインで一日粘られたら、店としてはたまったものではありません。
クリアまで何日もかかる大作RPGとかアドベンチャーゲームとか時間のかかるものは論外です。
パズルゲームも長考を許さず、時間制限があったりアクションの要素が含まれていたりします。
アクションゲームやシューティングゲームの場合、ミスをすればゲームオーバーで、1コイン追加投入してコンティニューか新規プレイになります。
このため、プレイ時間を短くさせるために難易度をガンガン上げることになります。
ジョイスティック(ゲームコントローラー)は左側が方向操作用のステックで右側にボタンが付いています。その理由は、右利きの人にとって不器用な左手で繊細な動きを要求されるスティックを操作させることで難易度を上げる狙いがあったのだそうです。
まあ、慣れればその程度の小細工はものともせずハイスコアを叩きだす猛者が現れるわけですが。
家庭用ゲーム機も、最初に発売する際には多くの人が欲しがるゲームソフトを同時発売する必要があります。
その時に利用するのが、「ゲームセンターで有名なあのゲームを家庭でも!」というキャッチコピーです。
そんなわけで、古いコンピュータゲームにはアーケードゲームの影がちらつくのです。
しかし、コンピューターゲームの歴史はもっと古くまで遡ることができます。
コンピューターゲームは、コンピューターグラフィックスの普及よりも古くから存在します。
例えば、プログラミングの演習問題にも使用される数当てゲームは、数値を入力してそれに対する正解/不正解とヒントを表示する、文字の入出力だけで完結するゲームです。
そう言えば、私は昔15パズルをテキスト表示だけで作ったことがあります。
14枚のピースの位置を文字列で表示して、動かすピースを数字で入力するもので、CGもマウス操作も必要ありません。
プログラミング練習用のゲームではなく、もっと本格的なゲームもあります。
今でも「ローグライク」と呼ばれるようにその名を残す「rogue」は文字だけで作られたRPGです。
主人公が「@」、モンスターがA~Zのアルファベット、「|」と「-」の壁に囲まれた部屋に「+」が扉、「#」が通路のダンジョンを探索していくゲームです。
他にも、テキストアドベンチャーゲームと言うものもあり、テキストだけで状況を説明し、それに対してどういう行動をするかを入力するアドベンチャーゲームです。
奇麗なグラフィックも、派手な演出も、音楽や効果音が無くてもちゃんとゲームは成立するのです。
コンピュータゲームを語る上でもう一つ、外せないのがパソコンの存在です。
初期のパソコンは、今から考えると非常に性能の低いものです。
CPUは8bit、メモリはKbytes単位、HDDもCD-ROMもなく、外部記憶はカセットテープ。
その代りにファンを一切内蔵しない静穏設計で、スイッチを入れれば即座に起動します。
一つのゲームを動かすためだけにハードウエアの仕様を決めることのできる業務用ゲーム機、ビデオゲームを動かすために必要な機能を集めた家庭用ゲーム機に比べると、汎用性の高いパソコンはゲームの表現力で劣っていました。
そんなパソコンであっても、結構初期の段階からゲームは作られ、販売されていました。
しかし、当時はパソコンのゲームを作るのも大変だったろうと思われます。
最初の頃のパソコンは流通しているソフトも少なく、一部のマニアしか買いません。プログラムは自分で作ります。
簡単に作れるゲームならば、ユーザーが自分で作ってしまいます。
しかし、アーケードゲームのような派手なグラフィックを素早く滑らかに動かすハードウエアは搭載されていませんし、ソフトウエアで行うにはマシンの性能が足りません。
他人にまねのできない高度なプログラミングテクニックでゲームを作るか、他の人が思いつかなかった斬新なアイデアでゲームを作るしかないでしょう。
しかし、プログラミング技術はコンピューターが普及してプログラマーが増えれば次第に洗練されて行きます。技術の独占は無理です。
斬新なアイデアは何度も出せるものではありません。アイデアは著作権で保護されないので、類似のゲームが必ず現れます。
また、パソコンや家庭用ゲーム機向けの市販のゲームは、アーケードゲームとはビジネスモデルが異なります。
プレイする回数が売り上げに直結するアーケードゲームでは、短時間で終わるゲーム、超高難易度のゲームにして、不特定多数が繰り返しプレイしてくれれば問題ありません。
一方、パソコンや家庭用ゲーム機のゲームソフトは、そこそこ高価なパッケージソフトを購入する必要があります。
数千円するゲームソフトを買って、十分で終わったら損をした気分になるでしょう。
なるべく一本のゲームソフトを長く遊べることが求められます。
そこで考えられたのが、ゲームに物語を乗せることです。
アドベンチャーゲームやRPGだけでなく、アクションゲームにも、シューティングゲームにも、パズルゲームにも物語が付加されました。
ただひたすらにハイスコアを目指すよりも、ゲームの進行と共に物語が進んで行く方が続ける気になります。
特にゲームソフトの中古市場ができると、簡単に終わるゲームは即売り払われてしまいます。
発売してすぐに中古に流れてしまったら、ゲームソフトの売り上げが落ちてしまいます。
気になるから最後まで見届けたいと思う物語や、エンディングを見た後も何度も遊べるやり込み要素を導入したりして、ユーザーを惹きつける工夫が行われるようになりました。
また、ゲームシステムに関する斬新なアイデアが無くても、その物語によって他の作品と差別化することもできます。
こうして、コンピューターゲームには物語や設定が付き物になりました。
コンピューターゲームの物語性が増してくると、ゲームは物語を表現する媒体となります。
物語を表現する媒体としてのゲームを考えると、他の媒体には無い大きな特徴があります。
それはマルチシナリオ・マルチエンディングです。
よくあるのが、選択肢によってどのヒロインのルートに入るかが決まるというものです。
恋愛が目的のゲームではなくても、物語として恋愛要素を含むことは珍しくないので、ヒロイン毎のシナリオを用意することは多いのです。
一度エンディングまでゲームを進めても、他のルートを見るために再度ゲームをプレイするやり込み要素の一つにもなります。
また、一つの出来事を別の視点から表現したり、あるルートでは発生しなかった出来事を別のルートで発生させたりと物語や世界観に深みを与えることができます。
人気ゲームをアニメ化したところ、ゲームのファンには不評だったということはよくあります。その理由の一つが、本来両立することのない複数のシナリオを無理やり接合することで無理が生じたり、該当ヒロインにとって重く重要なイベントが軽く扱われたりするからです。
さて、マルチシナリオ・マルチエンディングで重要になるのは、それぞれのシナリオの多様性と関係性です。
どのルートに入ってもヒロインの名前と髪型と服装が違うだけで同じテーマ、同じ展開の話が繰り返されるとしたら、何度もプレイして全部のシナリオを見たいとは思わないでしょう。
逆に、最初にヒロインを選択した後は、背景設定から人間関係まで全然違う物語に分岐するゲームもやったことがありますが、あまり面白くありませんでした。
特に今でいう美少女ゲームの場合はヒロインの個性が重要になります。同じような状況でもヒロインの性格や背景によっては展開が変わって来るので、シナリオにも影響します。
しかし、複数の個性的なヒロインを、それも話を進めるためのチョイ役ではなくルートに入ればメインを張るヒロインを考えるのは結構大変です。
そこで、「掟破り」を行います。
物語には暗黙のルールがあります。お約束とかテンプレと言った方が分かり易いかも知れません。
例えば、昔の漫画では「メガネをかけた女性ヒロインになれない」というお約束があったそうです。
メガネは知性の象徴であり、メガネをかけたキャラクターは優等生であり体制側の人間になる場合が多いのです。そのため、事件を起こしたり巻き込まれたりする主人公は対立したり目の敵にされたりするのです。
その本来ならばヒロインにならないメガネキャラをあえてヒロインにした結果、「眼鏡っ娘」が誕生したわけです。
このような、お約束をあえて外して新しいタイプのキャラを作ることはゲーム以外のメディアでも行われます。
しかし、漫画でも小説でも、メインヒロインは一人いれば良く、比較対象は他作品になります。既存の典型的なキャラクターに特徴的な要素を一つ追加すれば個性的なキャラになります。
一方、ゲームではそのルートに入ればメインになるヒロインが複数いるのです。同じ作品、同じ世界の中で比較されるので、よりしっかりと差別化をしないとキャラが被ってしまいます。
日本でバラエティーに富んだ個性を持つヒロインを生み出してきたのは、コンピューターゲームでしょう。
そうした個性的なヒロインを生み出して行った中で、本来敵対する相手をヒロインに格上げすることも行われました。
だいたいの場合、主人公は騒動の中心にいるので、平穏に暮らしたい者にとっては厄介者として目を付けられやすいです。
学園物ならばクラス委員とか風紀委員とか教職員とかが、事を起こそうとする主人公を妨害する敵として立ちはだかります。
こうした敵対する相手をヒロインにすると、面白いストーリーが出来上がります。
最初は本気で敵対し、いがみ合う。その後何度も衝突を繰り返すうちに互いの理解が深まり、和解する。最後は恋人になって、最初とは別人のように可愛らしくなる。
これが「ツンデレ」です。
最初のツンは本気で嫌っている、もしくは無関心状態で、最後のデレとの落差こそがツンデレの醍醐味です。
私の考えるコンピューターゲームで生まれたツンデレは、内心がデレデレで言動がツンというキャラクターの個性ではなく、ツンで始まってデレで終わるシナリオのパターンなのです。
この、シナリオのパターンとしてのツンデレは、他のメディアでは少々使い難いものです。
ツンからデレへ変わるシナリオは作中で一回しか使えません。一度デレたら後はもうデレデレがずっと続くのです。
漫画や小説ならば一巻完結、テレビドラマならば一回だけのスペシャルドラマでなければなりません。
コンピューターゲームの場合は基本的に単発の作品で、複数のシナリオの一部にツンデレパターンを入れるだけだから相性が良いのです。
ツンデレシナリオで一番面白い部分は、ツンからデレへの過渡期でしょう。
立場上、あるいはそれまでの惰性でツンな態度を続けていても、内心は変化していて、時々主人公を助けたりします。
完全無欠な優等生がドジや失敗を繰り返したり、クールビューティーがポンコツになったりと、ヒロインの意外な一面を表現することもできます。
ツンとデレの狭間でちぐはぐな行動をとることになるので、変なエピソードを入れやすいのでしょう。
このツンとデレの境界に置ける行動だけを取り出すと、「好意を素直に表せない」「照れ隠しで暴言や暴力が飛び出る」「運や間や要領が悪くてやることがことごとく裏目に出る」といった人間と重なる部分があります。
そこで、ツンデレシナリオの過渡期と同じような行動を行う個性もひとまとめにして「ツンデレ」として扱うようになったのだと思います。
行動パターンは同じようなものですが、こちらは本人の個性なのでシナリオのパターンとは関係なく使える設定です。
シナリオに依存しないから、最初から最後までツンデレで通すこともできますし、長編漫画にツンデレヒロインを登場させることも可能です。
シナリオパターンとしてのツンデレよりも使い勝手が良いので多くの作品で使われ、一般的なツンデレのイメージがこれになったのでしょう。
キャラクターの個性としてのツンデレヒロインが可愛らしく見えるのは、そういう演出をしているという側面があります。
言動がツンでも内心のデレが透けて見える。
ツンな言動の被害を受けるのは色々やらかして自業自得な主人公のみ。
ツンデレな性格のせいで損をしたり悩み苦しんだりと、一番苦労しているのはヒロイン本人。
ツンデレ要素を除けば普通の恋する乙女。
様々な要素を組み合わせて可愛らしく見せています。
ツンデレはむしろマイナス要素です。
そんなマイナス要素にもめげずに頑張る姿に、共感したり応援したくなるのはその内心や背景などヒロイン側の視点で語られているからです。
そうした、物語上の都合や演出を抜きにすると、ツンデレのマイナス要素が前面に出て、当人にとっても周囲にとっても良いことはありません。
よほど長い付き合いでもない限りは、ツンデレと単に嫌われているのとを区別することは困難です。
それに、本気で嫌われているのに「あれはツンデレだ」とか言い出したら、ストーカー一直線です。
物語のツンデレが分かり易いのは、それだけあざとい演出、あるいは知れ渡ったテンプレ通りの言動を行っているからです。
つまり、現実でツンデレをやろうとしたら、かなりあざとく内心のデレを見せながらツンをやるとか、テンプレ通りのツンデレの受け答えをする必要があります。
完全にキャラを作っていますよね。
天然のツンデレがいたとしても、内心を理解してもらえずに苦労するか、キャラを作っているようにしか見えないかどちらかでしょう。
ツンデレのキャラを作るような人は、下手をすると「ツンデレなんだから内心は違うことを分かって然るべき」とキャラ作りに他人を巻き込んで「察してちゃん」になる恐れがあります。
それに、ツンデレであることは理解しても、殴られれば痛いし、酷いことを言われれば傷付きます。
物語では誇張して表現されるから、瀕死の主人公に止めを刺す勢いで照れ隠しを行う場合がありますが、それはフィクションだからギャグとして成立するのです。
現実にそんな感じの出来事が起これば――命に関わるような極端なことでなくても――「ツンデレ可愛い」と思うよりも逃げることを考えるでしょう。
命懸けの恋って、そーゆーところで命を懸けるものではありません。
ツンデレは物語の中だけで十分だと思うのです。




