車は左、人は右
2022年は沖縄が日本に返還されてから五十周年だそうです。
50年前の1972年に沖縄の施政権が日本に返還されましたが、それだけで全てが終わったわけではありません。
基地問題とか、格差や差別の問題など後々まで尾を引く重い問題もありますが、それ以外にも身近な問題があったようです。
それは、道路交通法の問題です。
アメリカ統治下の沖縄では、アメリカの法律に基いて車は右側通行でした。
日本に施政権が移った後は、日本の法律に従って車は左側通行にする必要があります。
これ、「今日から車は左側通行!」と宣言しただけで済むような簡単な話ではありません。
まず、道路標識を全て付け替える必要があります。左右逆に付け替えないと、反対車線の向こう側の標識を見ることになります。
路面に書かれた道路標示も書き換える必要があります。そのままにすると意味がないだけでなく、間違えて右側通行してしまう車が続出するでしょう。
信号も付け替える必要があります。位置を入れ替えるだけでなく、右折や左折用の信号が有れば、それも道路の状況に合わせて修正する必要があります。
道路だけではなく、車両側も変える必要が出てきます。
まず、バスがそのままでは使えなくなります。
右側通行では右側に付けられたドアから乗り降りしますが、左側通行になったら左側から乗り降りしなければなりません。
車体そのものを変える必要があります。
タクシーならそのままでよいのではないか? と思うかもしれませんが、一概にはそう言えません。
後部座席ならどちらからでも乗れますが、助手席に乗ろうと思ったら、お客様に道路側に回って乗り降りしてもらうことになります。
普通の乗用車ならば問題がないかというと、対向車にライトの光が当たらないように、ヘッドライトの角度を調整するといった作業が必要になったそうです。
こうした道路や車体の変更を行った上で、ドライバーには左側通行に変わることを周知しなければなりません。
特に大変そうなのは、道路標識や道路標示を変更する部分で、夜中に全ての道路を通行止めにして翌朝までに作業を終わらせなければならないという時間制限付きです。
そういった話を、「今はコロナ禍で大変だけど、昔もこんな大変なことを乗り越えてきたんだよ」という意図のテレビ番組で放送していました。
番組では当時のニュースなどが紹介され、ボクシングの具志堅用高さんが「車は左、人は右!」と言って交通ルールが変わることをアピールするキャンペーンを行っていました。
この番組を見ていて、ふと気になったことがありました。この「車は左、人は右」という部分です。
ここまで読んで、「今回は沖縄の問題がテーマじゃないの?」とか思った方、いましたらごめんなさい。
前振りだけで、沖縄は関係ありません。
私が気になったのは、「車は左、人は右」という標語の「人は右」の部分です。
まず「車は左」の部分は理解できます。
自動車は大きくて重くて小回りの利かない鉄の塊が、人よりもずっと強い力と速い速度で道を走るのです。
自動車同士が衝突したら大きな事故になってしまいます。
右側通行でも、左側通行でも、対向車とは車線を分ける、対向車が来たらどちらに避けるのかルールを決めておくことが事故防止には非常に重要です。
一方で、「人は右」は必要でしょうか?
人間同士の場合、小回りも利くし、急停止できないほどの速度を出すことはほとんどありません。
歩行者同士ならば正面衝突しても怪我を負うことはまずなく、ぶつかって怪我をさせるほどスピードで走った場合は追突でも十分に危険です。
つまり、歩行者同士では右側通行や左側通行を行うことで安全を確保する効果はほとんどありません。
人通りの非常に多い駅周辺とか、イベントの会場等では、人の流れをスムーズにするために右側通行や左側通行を設定することはありますが、日本全国統一のルールではありません。
少なくとも、人と人で考えた場合には、右側通行や左側通行を法律で決める必要はないと思うのです。
残る問題は、人と自動車の関係を考えた場合に右側通行は有効かということでしょう。
この「車は左、人は右」というキャッチフレーズだけ聞くと、車と人とで棲み分けをしているようにも思えますが、そんなことはありません。
これで棲み分けになるのは一方通行の場合だけです。
歩行者が右側を歩いていれば、同じ方向に向かう車は左側を追い抜いて行きますが、対向車は向かって右側、歩行者の正面から迫ってきます。
正直、正面から向かってくる車は恐いです。
歩行者に怖い思いをさせてまで右側通行させるメリットが何かあるのか?
考えられることは、接近してくる自動車を歩行者が見つけやすいという点だと思います。
歩行者が右側通行をしていれば、背後から迫る自動車は左側を通り過ぎ、右側を走る対向車は正面から来るからちゃんと前を見ていれば見落とすことはありません。
ただ、歩行者の右側通行が交通安全にどれほど有効かというと、少々疑問です。
歩行者が正面からやって来る自動車に気付いたとしても、取り得る行動は限られています。せいぜいが、道路の端に張り付いてやり過ごすくらいです。
自動車の方が速いのだから、自動車側が避けてくれないと歩行者は逃げきれません。
もちろん、道端に置かれた障害物や水溜まりなどを避けようとして車に接触する事故を考えると、前から来る車よりも背後から迫る車の方が気付かずにぶつかる危険性が高いです。そういう点では右側通行の方が事故を防ぎやすいでしょう。
けれども、そういう歩行者がちょっと中央に寄っただけで自動車と接触事故を起こしかねない場所は、歩道もなく、乗用車がすれ違うのもやっとという狭い道の場合が多いです。
そんな狭い道では、自動車も道端の障害物や正面から来る右側通行の歩行者を避けるために、道路の半分より右側まで大きくせり出すことも珍しくありません。
歩行者が右側通行しているからと言って、背後から車が来ないとは限らないのです。
多少でも効果があるならば、やって損はないと言いたいところですが、デメリットも存在します。
例えば、「家を出て左に進み、一つ目の角を左に曲がって進んだ先の左側が目的地」という場合を考えてみて下さい。
杓子定規に右側通行で行こうとすると、まず家を出てすぐに道路を渡って右側に行かなければなりません。そして、目的地まで来たところでもう一度道路を渡る必要があります。
さらに、「一つ目の角」の部分が十字路だったら、そこで二回道路を渡ることになります。
歩行者にとって一番危険なのは道路を横断する時でしょう。左側を歩けば一度も道路を渡らなくて済む目的地に、右側通行を守るために何度も道路を渡ることになるのです。
ここで、「帰りは右側通行で一度も道路を渡らないから一緒じゃないか」と思われた方、いますか?
もしも、「右側通行と左側通行のどちらが良いか?」というテーマならばその突込みは正しいです。
けれども、「右側でも左側でもどちらを通っても良い」という選択肢を加えれば話は変わってきます。
この例ならば、行きは左側、帰りは右側を歩けば安全に行き来することができます。
しかし、右側通行でも左側通行でもどちらか一方に決めてしまうと、行きか帰りかのどちらかで必ず道路を横断する危険を冒す必要が出て来るのです。
他にも、歩行者の右側通行――自動車と反対側を歩くことによる不具合は存在します。
例えば、踏切を考えてみてください。
左右に遮断機が付いている踏切では、まず左側の遮断桿が下り、次に右側が下ります。
これは、線路に侵入する自動車をまず止めて、その後に出口側を塞ぐことで線路内に自動車が留まらないようにするものです。
けれども、右側通行している歩行者にはこれが逆に作用します。
歩行者にとっては、まず出口が塞がり、次に入口が閉じるという、まるで線路内に人を閉じ込める罠のような動作になります。
この程度で事故が起こることはないと思うかもしれませんが、それは健常者の発想です。
お年寄りなど足が遅い人が踏切を渡ろうとした時に、耳も遠くて警報音を聞き逃し、遮断機が下り始めてようやく気付いたけれども、咄嗟の判断力も衰えていて進むか戻るかの判断に迷ってパニックになる、といった条件が重なったらどうなるでしょう?
実際に、電動車椅子で生活している人が、踏切内に閉じ込められて電車にはねられる事故は起きています。
歩行者の右側通行が原因だとは限りませんが、事故の要因になり得ると思った方が良いでしょう。
もう一例挙げてみます。
信号の付いた交差点を歩行者が直進する場合を考えてみてください。
車は左側通行なので、歩行者が横断しようとする道路は手前側が右から左へ、奥川は左から右へと自動車が進みます。
スクランブル式でない限り、信号が青でも歩行者は安心できません。右折や左折をする車があるからです。
右側通行している歩行者にとって、信号を守っている限りは、交差点を横断する前半は右側から来る自動車が赤信号で止まるため安全です。しかし、後半は右折や左折する自動車に気を付けなければなりません。
信号が青になった時、信号待ちしていた車は安全確認を行ってから発進するのが鉄則です。右折するなら対向車と歩行者を、左折する場合でも歩行者の有無を確認してから進まなければなりません。
つまり、歩行者にとって青信号に変わってすぐ、自動車が動き出す前に渡ってしまうことが一番安全安心だと思うのです。
右側通行で交差点を渡る場合、特に片側二車線などの広い道を渡る場合、車の来ない前半部分を渡っている間に右折や左折をする車が動き出す可能性があります。
歩行者優先が原則であっても、自動車側が気付いて止まってくれなければ歩行者は渡れません。
特に右折する車は直進する対向車が途切れないと進めないため、前の車が右折するとそのまま続いて次々に右折するという光景もよく見ます。
歩行者が左側通行ならば諦めて次の青信号を待つこともできますが、右側通行の場合道路の真ん中で赤信号に変わってしまう恐れがあります。
特に右折や左折する車が多い場所では、左側を歩いた方が安全なことが多いのです。少なくとも交差点の真ん中で立ち往生する危険は左側通行の方が減ります。
まあ、世の中には何とかダッシュとか、○○走りとか危険で交通違反なローカルルールも存在するそうなので油断できませんが、その手の危険は右側通行も左側通行も関係ありません。
皆さんも、日頃道を歩いていて、「ここは右側通行すると却って危ない」という経験の一つや二つあるのではないでしょうか?
さて、現実問題として、左側を歩いていて警察に掴まった人はまずいないでしょう。
法的にはどうなっているのか、ちょっと調べてみましょう。
「歩行者は、歩道又は歩行者の通行に十分な幅員を有する路側帯(次項及び次条において「歩道等」という)と車道の区別のない道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければならない。ただし、道路の右側端を通行することが危険であるときその他やむを得ないときは、道路の左側端に寄って通行することができる。」
(道路交通法第10条第1項)
つまり、歩行者の右側通行は、歩道と車道が分かれていない道路に限定されたルールです。
車道より一段高い歩道ができていたり、ガードレールや縁石ブロックや白線の外側に人の通れる幅があれば、歩行者はそこを通ればよいのです。
右側の歩道を通れとか、歩道の中で右側を通れと言った決まりは一切ありません。
また、歩道のない道路の場合でも右側を通ることが危険な場合は左側を通ることも認められています。
結構アバウトな法律ですが、歩行者の挙動を事細かく法律で規定するのは無理があるでしょう。
日本で歩行者の右側通行を知らない人はほとんどいないと思いますが、この辺りの細かい点までは理解していない人も多いのではないでしょうか。
右側通行は道路の右側の歩道を歩くことだとか、歩道内でも右側を歩かないといけないとか、道路交通法の対象外の公道以外の場所でも右側を歩かないといけないとか、思い込んでいた人はいませんか?
個人的には、歩行者の右側通行のルールは無くした方が良いと考えています。
歩行者が右側通行することが交通安全に大きく寄与するとは思えません。
右側を歩こうと左側を歩こうと、歩行者は背後から来る車にも気を付ける必要があります。
自動車の運転手からすれば、歩行者が右側通行だろうと左側通行だろうと注意を払わなければならないことに違いありません。
車の交通量の多い大きな道路ならば歩道が整備されているだろうし、そうでなければさっさと整備するべきです。
右側通行が適用される細い道ならば、右側通行で不都合が起こる諸事情も多いでしょう。
もちろん必要ならば法的に左側通行も認められていますし、歩行者の左側通行で逮捕された人はいません。(誰かいます?)
日常生活で右側を歩くことを意識する必要はあまりないでしょう。
それでも、歩行者の右側通行のルールを道路交通法から削除すべきと思う理由が二つあります。
一つ目の理由ですが、道を歩いていて交通事故の被害者になった場合のことを考えてみてください。
事故を起こした運転手は過失や悪質な行為があれば刑事罰が科せられますが、それとは別に被害者に対する損害賠償で示談交渉や民事訴訟になる場合もあります。
この時問題になるのは、過失割合です。基本的には加害者側の運転手が悪いのですが、被害者側に過失があればその分賠賠償額を減らすことになります。
もしも、被害者が道路の左側を歩いていて事故に遭ったのなら、加害者側は被害者の過失として主張するでしょう。たとえ左側通行が事故の原因と関係なくても、法律に違反していると言えば過失を問いやすいです。
もちろん、歩道を歩いている場合は左側通行も関係ありませんし、歩道のない道路でも右側を歩くのが危険だったり、やむを得ない場合は過失には当たらないでしょう。
しかし、加害者側が左側通行による過失を主張した場合、被害者側が過失でないことを証明しなければなりません。
歩道を歩いていたのならば簡単ですが、右側通行が危険なことややむを得ないことを証明するのは難しいこともあります。
例えば、「当日右側に車が停まっていて道を塞いでいたので左側を歩いた」ということを後から個人で証明するのは大変だと思います。
特に死亡事故で被害者が亡くなっていた場合は、本人に左側を歩いた理由を確認することもできません。
それに、法廷で争うのならともかく、示談交渉で法律に詳しい代理人を立てない場合には、被害者が左側通行をしていたことを過失として押し切られるかもしれません。
幸い私は被害者にも加害者にもなったことはないので実際のところは分かりませんが、「歩行者は右側通行」程度しか知らないことを利用して少しでも自分の過失を低くしようとする加害者はいるのではないでしょうか。
今の自動車はドライブレコーダーを搭載しておけば歩行者の過失を証明することは難しくないでしょう。
事実関係を立証する責任は、加害者側に多めに負わせた方が良いと思うのです。
もう一つの理由ですが、それは「子供になんと説明するか?」です。
幼い子供に対しては、細かい理屈を抜きにして、とにかくこうするものだとルールを教え込むことがよくあります。
知識も判断力も不足している子供が自由な発想で予想外の解釈を行ったあげく、とんでもない危機を呼び込んだら目も当てられません。
だから多少無駄や不便があっても確実に安全な方法を分かり易くルールとして守らせるのです。
しかし、歩行者の右側通行は確実に安全な方法ではありません。
先に上げた例のように右側通行に拘れば道を何度も横断する必要のある場合もあれば、片側にしか歩道のない道路もあります。
子供を危険にさらすわけにはいきませんから、右側通行が危険な場合は左側を通るようにさせるでしょう。
これって、「社会のルールなんて破って構わない」と子供に学習させることになりませんか?
安全のために道路を横断する回数を減らす行為は、歩く距離を短縮することでもあります。
つまり、「楽するためには社会のルールを破っても良い」ととられかねません。
そもそも、大人が守っていないルールを子供が守るはずもありません。
守れないルールを子供に与えて自分の都合でルールを破ることに慣れさせるよりも、歩道を歩くこと、道の端を車に注意して歩くことを教えるべきではないでしょうか。
歩行者の右側通行は対面交通と言って、歩行者と自動車が互いに相手を認識することで事故を防ぐという考え方なのだそうです。
しかし、沖縄で自動車が右側通行になった時のエピソードの一つに「対向車にライトの光を浴びせないために角度を調整する」という話がありました。
これ、逆に言うと歩行者にはヘッドライトの光を浴びせているのです。自動車側が歩行者を確認することが優先で、歩行者の目が眩んでもお構いなしです。
夜間に限ったこととはいえ、歩行者が自動車に対面する意味がありません。
自動車側が歩行者を認識していない方が危ないのだから仕方ありませんが、やはり交通安全の主体は自動車側にあります。
自動車からしたら、道の端を歩く歩行者が前後どちらに向かっているかなど些細な違いでしょう。車の進路上に飛び出してこなければ問題ないはずです。
歩行者に対して、向かって来る車を見て何か安全を確保する行動を取れというのも無茶な話でしょう。歩行者が避けることを期待するような運転は、禁止すべき危険運転だと思います。
接近する車を目視しても、歩行者にできることは、なるべく端によって動かないことだけです。
つまり、歩行者は自動車の邪魔にならないように端っこでじっとしていろと言っているようなものです。
歩行者が自動車の運転手とアイコンタクトを取って意味があるのは、道路を横断する場合などで先を譲る時くらいではないでしょうか。この場合、右側通行も左側通行も関係ありません。
歩行者が接近する車を認識することは良いのですが、それだけでは不十分です。車が近くを走っていなくても歩道や道の端などのなるべく安全な場所を歩き、急な飛び出しなどしないように注意しなければなりません。
自動車側は歩行者が気付いていようがいまいが、安全運転を心がけな蹴れればなりません。そうでなければ、歩行者が少しよろけただけで事故に遭っても仕方がないという危険な世界になってしまいます。
交通安全には歩行者の右側通行よりも、歩道の整備と自動車の安全運転にあると思うのです。
◇おまけ
軽く検索して調べた危険な車のローカルルールです。
詳しく調べるとこれ以外にもいろいろ危ないことをやっていたり、あるいはすでに撲滅されているかもしれません。
・名古屋走り
ウインカーを出さずに車線変更する。
・松本走り
交差点でウインカーを出すと同時に右折や左折する。
・岡山ルール
車線変更や右折左折時にウインカーを出さない。
・茨城ダッシュ
・伊予の早曲がり
交差点で青信号になった直後に直進車より先に右折する。
・阿波の黄走り
黄信号で速度を上げて交差点に突入する。
・薩摩道交法
交差点に先に入った車が優先される。
・山梨ルール
信号のない交差点で歩行者がいても止まらない。
いずれも危険な行為なので、ガンガン取り締まってさっさと撲滅して欲しいです。
歩行者の左側通行で逮捕されたり刑罰が科せられたりすることはないけれど、警察官に端を歩くように指示されたときに従わないと罰金刑の対象になるみたいです。




