人を信じることは愚かなことか?
よく物語では、悪役が「人を信じるなんて愚かなことだ」とか言って主人公を翻弄することがあります。
その人間不信の強大な悪役を仲間を信じる主人公が打ち破るというのが王道パターンなのですが、物語の場合悪役側の言葉にも正論というか説得力があるほうが盛り上がるものです。
それではこの、「人を信じるなんて愚かなこと」というのは正しいことなのでしょうか。ちょっと検証してみたいと思います。
そもそも、「信じる」というのはどういうことなのでしょうか。
ここで迂闊に感情論に走ると収拾がつかなくなると思うので、状況をビジネス上の人間関係に絞ってみます。
話を単純にするため、登場人物を二人に限定します。個人事業の事業主(上司)が部下となる人物を雇ったとします。
この場合、上司にとって部下を信じるとはどういうことなのでしょうか。逆に部下に裏切られたというのはどのような場合なのでしょうか。
まず、裏切られたと感じる場合を考えてみましょう。
他社の産業スパイだったとか、会社の金を持ち逃げしたとか、故意に会社に損害を与える真似をしたなど法律や雇用契約に抵触するものは論外と言うことで脇に置くとして。
ありそうなのは、仕事をさせて期待した成果が上がらなかった場合となるのではないでしょうか。
部下に仕事をさせる場合、だいたいどのような結果に終わるかを想定すると思います。そしてその想定の上で自分の仕事の予定を立てるでしょう。
部下の仕事の結果が想定の範囲外になると、自分の予定も狂うことになります。このため、部下に裏切られたと感じるわけです。
逆に言えば、「部下を信じる」ということは、部下が指示した仕事を想定した範囲内で終わらせることを期待する行為と言えると思います。
これを一般化すると、「人を信じるということは、相手がこちらの想定内の行動をすることを期待すること」であると言えます。
なんだか大切なものが抜け落ちているような感じがしますが、感情的なものを排除するとともに、人を信じた先にある人間関係とか絆とか行ったものを全部横に置いたところこうなりました。
さて、無理やりですが、「人を信じること」の定義ができました。それでは本命の、「人を信じることは愚かなこと」であるかどうかを検証してみたいと思います。
「愚かなこと」であるかどうかを判断するためには、メリットとデメリットを比較すればよいのです。メリットデメリットを考え易くするために、ここでも仕事上の上司と部下の関係で考えてみます。
まず、信じることのデメリットとしては裏切られるリスクでしょう。
しかし、ここで注意しなければならないことは、裏切られる、つまり想定外の結果に終わる原因は必ずしも「部下を信じた」からであるとは限りません。
どんな仕事でも想定外は付き物です。後になってみれば、誰がやっても同じ結果にしかならないという場合もあります。自分でやっても失敗するものを「部下を信じる」デメリットに入れることはおかしいでしょう。
また、部下の能力を勝手に常人の三倍くらいに設定して大量の仕事を割り振るとか、仕事を進めるのに必要な権限や環境を与えないままやらせて失敗したなどと言うのは、「部下を信じる」以前の問題でしょう。
それに、リスクは分かっていればある程度対策することができます。
先ほど論外ということで除外した、悪意を持って会社に損害を与える行為も法律や雇用契約である程度抑止できます。場合によっては裁判を起こして多少なりとも損害を回収することもできるでしょう。
少しずつでも部下の能力や得手不得手を把握して行けば予測の精度が上がって想定外が起きにくくなりますし、仕事中も連絡を密にしておけば何かあった場合にすぐに修正が効きます。
「報連相」と言うのは部下だけが心掛ける必要のあるものではないし、「部下を信じ」ていれば不要になるものでもありません。「報連相」が不要なのは部下の邪魔しかしない上司の場合くらいでしょう。
こうしてみると、部下に裏切られるリスクの多くは、部下がちゃんと仕事をすることのできる環境が整っているかということが大きな要因になると思われます。
十分に働き甲斐のある職場を作ったとしても、犯罪者になる覚悟で会社に損害を与えようとする人や、学歴等は良くても全く仕事のできない人を雇うリスクは残ります。しかし、これはかなりのレアケースであり、恐れていては何もできない類のリスクだと思うのです。
本当に愚かなことは、部下の手足を縛っておいて、「部下が全然働かない」と嘆くことではないでしょうか。
次に、信じることのメリットを考えてみます。これは、なぜ人を雇うかを考えてみればすぐに分かります。
部下として人を雇うことは、裏切られるリスクだけでなく、賃金を支払わなければならないというコストもかかります。
それでも人を雇うということは、かかるコストやリスク以上に大きくな利益が見込めるからにほかなりません。
一人だけででできる仕事には限度があります。これが、人を雇って二人になると、二倍の仕事ができる、だけではありません。これまで不可能だったことが可能になるくらい仕事の質を変える可能性があります。
例えば、店舗を経営していたとします。一人だけでは店番をしている間他の仕事はほとんどできません。客のいない間に裏方の作業くらいなら多少はできますが、例えばデリバリーサービスを始めるとかは無理でしょう。
しかし、二人になればこれが可能になります。一人が店番をして一人が出前に出かけることができます。
三人いれば、二十四時間営業だって不可能ではありません。かなり厳しいでしょうけど。
しかし、雇った部下を全く信じられなければ人員を有効に活用することができません。
売上金をちょろまかすのではないかと疑ったら、金回りの仕事を人に任せることができなくなります。
何か失敗したりさぼったりするのではないかと、四六時中部下を見張っていたら、上司は自分の仕事ができません。
部下の作成した書類が間違っていないかと、細かいところまで丹念にチェックしていたら、結局自分で作った方が早いということになりかねません。
もちろん間違いをチェックしたり失敗をフォローする仕組みは必要でしょう。しかし、部下を信用して仕事を任せられれば、自分一人では不可能な大きな仕事を回すことができるようになるのです。
この、一人ではできない大きな仕事ができるようになることが、部下を信じる最大のメリットとなります。
メリットとデメリットを比べてどちらが大きいか。世の中の状況を見てみれば一目瞭然です。メリットの方がはるかに大きいから、大企業から零細企業まで人を雇っと仕事をするのです。
ここまで話を単純にするために仕事上の上司から見た部下に限定して考えてきましたが、一般的な人間関係においてもそう変わらないと思います。
一人ではできないことも仲間がいれば可能になるというのは仕事だけに限ったことではありません。物語において、主人公が信じた仲間の力を借りて奇跡の大逆転、と言う展開はある意味正しいわけです。
また、人を信じなければ裏切られることもない、と言うのも正しくはあるのですが、信じなかったからと言って状況が良くなるわけではないのです。
他者を信じず、その働きを最初から当てにしていなければ裏切られて窮地に陥る心配はありません。けれども、代わりに全てを自分で行う必要があります。仲間を信じる主人公に対して、人間不信の悪役は一人で何人分もの仕事をしなければなりません。無茶苦茶有能な上、ものすごい努力家なわけです。
それに、裏切られるのには、信じる信じないとは別に、当人側の理由や事情があるはず。
そういった相手の都合も考えずにただ盲信したり、ちゃんとした信頼関係を築くことなく一方的に「信じている」と言って無理難題を要求すれば、期待した結果が得られなくても当然でしょう。
このような一方的に信じて裏切られる役回りは、ラスボスよりも中ボスやそれ以前の小悪党がふさわしいでしょう。そのような無能な部下ばかりで、なおかつ自分一人で何でもできるほど有能だったら、「他人を信じるなんて愚かなこと」になってしまうかもしれません。
結局のところ、重要なのは信じる信じないではなく、信じられるだけの関係を構築することなのだと思います。
十分な信頼関係も成立していないのに、口先だけで「信じる」などと言っても、それは愚かなことにしかならないでしょう。
逆に、ちゃんと信じられる関係を構築できれば、独りでは不可能なことを可能にする大きな力になるのです。