悪に関する考察
ふとこんなことを考えました。
Q.世界征服を行うために、最初に必要なことは何か?
A.それは、「正義」です。
ふざけているのでも、ひねくれ過ぎているのでもなく、意外と真理を突いているのではないかと思っています。
「世界征服」と言うと、悪の秘密結社の定番と言うイメージがありますが、実は純粋な悪にとって、表立って世界を支配する意味はあんまりありません。
「この世に悪の栄えた試しなし」という言葉がありますが、栄えてしまったら悪とは言い切れなくなるのです。
他にも、「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」というのは映画の中の台詞だそうですが、実際に日常では悪でしかない殺人も、戦場で敵相手に行えば英雄的行為と呼ばれることはあります。
荘子では、「コソ泥は人の物を盗って犯罪者になるが、大泥棒は国を盗って英雄になる。」みたいな話もあります。
そもそも悪とは何なのでしょうか?
物語の中では悪の秘密結社の悪行として「世界征服」は定番ですが、「世界征服」が成されることはほとんどありませんし、成ったとしてもすぐに覆ります。
正義が勝つ話の都合と言えばそれまでですが、なぜ悪の秘密結社が世界征服を目指すのでしょうか?
まず、「世界征服」とはまともな手段では成し得ない困難な課題です。その困難に手が届くほどに強大な力を持った敵であることを示すことができます。
次に、「世界征服」の過程で何らかの悪事を行うことは避けられません。
一国の支配くらいならば、政党でも立ち上げて支持を広げると言った合法的な手段で成し得る可能性もありますが、「世界征服」となると正攻法ではまず無理です。
平和で安定した社会であっても一度破壊して、その上に新しい秩序を構築するというプロセスが「世界征服」には必須になってきます。
何が悪であるかを明確に定義することは難しいですが、多くの場合は秩序を守る側が正義で、秩序を壊す側が悪になります。
つまり、世界征服が成るまでは既存の秩序を破壊しようとする悪となります。だから「世界征服」を目論む組織は悪の秘密結社等と呼ばれることになります。
しかし、ひとたび事が成れば話は変わってきます。
全世界と言わず、一国でも支配してしまえばもうただの悪ではいられません。自分たちが秩序を維持する側、つまり正義になります。
支配することは自分たちの定めた秩序、つまり正義を行き渡られることであり、支配される側の民を保護する義務を負います。
それができなければ、例えば「このまま支配されるくらいなら死んだ方がましだ」と思われたらあっという間に反乱が起こります。武力で反乱を抑え込んだとしても、何度でも反乱は起こり、その度に多くの人が死んでやがて支配を維持できなくなります。
安定して支配を維持できるならば、それは民草が受け入れられるだけの秩序を構築できたと言うことであり、単純に悪とは呼べなくなります。
栄えてしまったら、それは正義になるのです。
だから、世界を征服しようと考えるならば、最終的には正義になる覚悟が必要なのです。
そして既存の秩序を壊してまで実現すべき正義を掲げ、賛同者を集めなければ世界征服を目論む組織などは作れません。
つまり、世界征服を行うために最初に必要となるのは「正義」なのです。
さて、「悪」に関する話に戻ります。
ちょっと考えて欲しいのですが、「悪」の反対は何でしょう
やはり「正義」でしょうか?
世界征服の例でも出てきましたが、物語的には正義と悪の対立はよくある構図です。
でも、「正義」の対義語は「不義」なのだそうです。まあ、それでも正義が対峙するのは悪という構図は変わらないでしょう。
「悪」という言葉の対義語を調べてみると、「善」「良」あたりのようです。
もうちょっと調べると、「好」「美」「愛」なども挙げているサイトもありました。
ここまで、「正義」も含めると六個の言葉の逆を「悪」一つで受け持っているのです。ずいぶんと懐の広い言葉ではないでしょうか。
思うに、「悪」という言葉は、補完的な概念なのではないでしょうか。
「悪」の反対語に共通するのは、人から見て望ましい、こうあるべきと願うような状態です。その望ましい状態から外れた部分が「悪」なのだと思います。
このため、「悪」を明確に定義したり、確実な判定基準を作ったりすることが難しいのでしょう。
そもそも「悪」を測るための軸が複数あるのです。「正義」に対する「悪」か、「善」に対する「悪」か、「良」に対する「悪」か、すべて方向が微妙に違うのです。
そしてどのような軸を取るにしても、望ましくこうありたいと思う状態は人によって異なります。そして「悪」に入らない許容値というものもまちまちです。
一口に「正義」と言っても時代や場所、立場によっても「正しい義のあり方」は変わるものです。ある国では救国の英雄扱いされている人物が敵対する国では悪魔のごとく嫌われているなどと言うこともよくある話です。
同様に、悪に関しても純粋な悪そのもの、絶対悪のようなものは存在しないのでしょう。
世界中の誰もが認める悪人がいたとして、それは悪人であるというイメージが先行して、悪以外の側面を見ていないことが多いのではないでしょうか。
ちょっと視点をずらしたり、評価する軸を変えることで、「悪」が「善」になったり「正義」になったり、「良」「好」「美」「愛」に変わったり。
この価値観がひっくり返る面白さから、勇者に倒される魔王を主役にしてみたり、悪役令嬢ものが流行ったりしたのでしょう。
現実問題として考えると、「悪」は目的にはなりません。
ただ悪を為すためだけに意味もなく悪を行う、そんな悪の申し子のような存在は、子供向けの勧善懲悪の物語の中だけでしょう。
「悪」は目的を達するための手段、あるいは結果として現れるものなのです。
どのような理由や原因で「悪」になるのかは様々です。
世界征服の例のように、本人にとっては崇高な目的があったり、たとえ犠牲を出しても最終的にはより良く正しくなるという、本来の意味での確信犯の場合。
悪意のかけらもなく、不幸な偶然や能力不足、あるいは単なる考えなしで悪い結果を引き起こしてしまう場合。
中には「他人が傷ついたり不幸になるのを見るのが好き」などと言う、目的そのものが邪悪と呼ばれかねない人もいるかもしれません。
しかし、犯罪や悪徳商法などで多いのは、利益を得ることが目的である場合でしょう。
だから、犯罪の抑止には、犯罪によって利益が出ないようにすることが効果的です。
重い刑罰や高い罰金を科すのは、犯罪行為が割に合わないと思わせるためです。
国によっては麻薬を合法化している場合がありますが、あれは別に麻薬に害がないと判断したわけではなく、麻薬中毒患者を保護して犯罪組織に資金が渡らないようにする狙いがあったりします。
チャイルドポルノの規制も、犯罪組織に利益が出ないようにすることでチャイルドポルノの製造を止めさせ、子供を守るという目的があります。
理性ある犯罪者はある意味ビジネスとして犯罪を行っているので、儲けが出なければ手を引くのです。
逆に理性をかなぐり捨てた凶行とか、採算など気にしない狂信的な犯行などは防ぐことが難しいのです。
特に厄介なのは「正義」の名の下に行われる凶行でしょう。
「悪」とは逆に「正義」はそのものが目的となります。そして「悪」を見逃すことも「正義」に反することになるので、ある意味「正義」は妥協を許しません。
普通ならば「悪」と呼ばれる行為まで「正義」のために正当化されるともう歯止め効かなくなります。
暴走する「正義」による悪行は、理性的な「悪」よりも危険なのです。
同様のことは「正義」だけでなく、「善」でも「良」でも、「好」「美」「愛」などでも起こり得るのです。
最後に余談を一つ。
チャイルドポルノの規制に関する議論を聞いていると、時々思うことがあります。もっと実際に取り締まりを行っている警察等の意見を聞くべきなのではないか、と。
チャイルドポルノの規制の主旨は、子供を犯罪から守ることにあります。決して、子供を性的な目で見る変態を社会的に抹殺し撲滅することではありません。
この辺りの主旨を取り違えて、自分の趣味に合わないものを排除する感情論を混ぜるとおかしなことになります。
日本でもチャイルドポルノに関しては、単純所持の違法化や、非実在青少年などで、何度か話題にもなっています。しかしその議論が「表現の自由vs風紀の粛正」みたいな感じになってしまい、肝心の「子供を守る」部分が間接的で抽象的な概念論に終始しているように思えます。
聞いた話では、特に海外においてチャイルドポルノに関連する犯罪は深刻なものがあったそうです。子供がポルノを撮影されてかわいそう、で済む話ではなく、チャイルドポルノを撮影するために犯罪組織が子供を誘拐したり人身売買を行ったりするといったことが起こるのだそうです。
本来ならば誘拐されたり売買された子供を直接救出したいところですが、大きな犯罪組織が組織的に動くと厄介です。治安の悪い国や地域もあり、国境を越えて連れ去られると捜査の手もなかなか届きません。営利誘拐と異なり犯人側から接触してくることもありません。
だからこそ、全世界的にチャイルドポルノの流通・販売を潰し、子供を誘拐しても金にならない状況を作ろうとしているのです。
子供を守るという主旨からすれば、個々人の趣味嗜好の問題ではなく、子供を犠牲にして利益を得ようとする犯罪組織に金を渡さないことが最重要になります。
まず最初に行われるのが、チャイルドポルノの製造販売の禁止です。
もとより違法行為で稼いでいる犯罪組織が禁止されたくらいで止めるとは思えませんが、組織外のスタッフを雇ったり撮影スタジオを借りたりし難くなります。また、チャイルドポルノの撮影現場を発見したら、問答無用でしょっ引けます。
また、こっそりとチャイルドポルノを作成したとしても、販売を禁止されれば合法的な流通経路に乗せて売ることができません。いくら非合法な商品を作ったとしても、売れなければ金になりません。
この時点で手を引く犯罪組織もあるでしょうが、大きな組織ならば違法な品の流通ルートを独自に持っていても不思議ではありません。
そこで、違法な品が一般人の手に入る手前で摘発するのが警察の仕事です。
捕まるのが末端の売子とそれに引っかかった一般人だけだとしても、徹底すれば大本の組織に届く金は減り、チャイルドポルノの商品価値が下がります。
しかしそれだけでは間に合わない、摘発しきれない、子供の被害が無くならないという現実があるから新たな法規制などが必要になるのではないでしょうか?
例えば、売買の手口が巧妙になって売っている現場を押さえられないから商品を所持しているだけでも売子を捕まえたい。そういう現場の要請からチャイルドポルノの単純所持の違法化が議論されるのが筋ではないでしょうか?
よほど頻繁にチャイルドポルノを購入する常習者ならばともかく、単なる購入者をいちいち摘発するより販売ルートを潰す方が有益なはずです。そして可能ならばそこから背後の組織を探り、製造元を押さえたい所でしょう。
特に今は犯罪もインターネットを活用して国際的に行われる時代です。警察にしても、「これこれこう言うことが障害になって売り手や作り手にまで捜査の手が伸びない」という悩みを抱えているのではないかと思います。
本当に子供を守る気があるのなら、ただ捕まえやすい相手を捕まえて終わるのではなく、ちゃんと子供を守るために効果のある法律なり国際協力体制なりを考えるべきだと思うのです。
そして、作った法律や制度が子供を守るために役に立っていることを検証する必要があります。
この検証を行うプロセスが疎かになっていないでしょうか?
何がどう影響して効果があった/なかったを判定するのは難しいでしょうが、検証は必要です。
しかし、法律が作られたり規制が強化される時には話題に上っても、そうした規制にどれほどの効果があったかという話題はあまり聞いたことがありません。
チャイルドポルノの規制が行われるようになってそれなりに年月も過ぎています。真面目に評価と検証を行い、今後の方針を検討すべき時期なのではないでしょうか。




