何でも吸い込むブラックホール
ブラックホールというと、ともかく何でも吸い込むというイメージを持つ人が多いかと思いいます。
SFアニメ等でもブラックホールが出現して周囲のなにもかもを呑み込んで行くブラックホール兵器などが出て来ることもあります。魔法や異能で同様なことを行う場合もあります。
実際、強力な重力で光さえも出てこれないというのがブラックホールです。
しかし、出現すると周囲の全てを呑み込むというイメージは少々間違っているのです。
ブラックホールの大きさを示すものとして、シュワルツシルト半径と呼ばれるものがあります。
ブラックホールに限らず、天体に近付くほど重力は強まりますが、ブラックホールの場合、それ以上近付くと光速でも脱出できなくなる境界面があります。
ブラックホールの中心から、この光でも脱出できない境界面までの距離がシュワルツシルト半径となります。
一度シュワルツシルト半径の内側に入ってしまえば、光でも物でも二度と外には出られません。
しかし、シュワルツシルト半径の外から見れば、質量に比例し、距離の二乗に反比例する重力が作用するだけです。ブラックホールでもそれ以外の天体でも変わりありません。
シュワルツシルト半径はブラックホールの質量に比例します。実はどんな物質でもその質量から計算されるシュワルツシルト半径の内側に全質量を押し込めればブラックホールになります。
例えば、太陽を何らかの方法で半径3km程度まで圧縮してやればブラックホールになります。
しかし、太陽が突然ブラックホールになったとしても、地球が吸い込まれることはありません。質量が変わらなければ、太陽がブラックホールに変わったとしても地球に及ぼす重力の大きさは変わらないからです。
太陽がブラックホールになったからと言って、いきなり周囲の重力が強くなるわけではありません。重力が強くなる領域は、元の太陽の大きさよりも近付いた場所だけです。
また、ブラックホールの強力な重力に捕まったとしても、いきなりブラックホールに落っこちるわけではありません。
ブラックホールの重力に囚われた物体は、重力に引かれて加速します。そして、ピンポイントで直撃するコースでない限り、ブラックホールの横を通り過ぎてしまいます。
ブラックホールから脱出できなくても、その周囲を回る軌道に乗ります。もしも軌道を外れてブラックホールに近付こうとすれば、位置エネルギーが運動エネルギーに変換されて加速し、遠心力で遠ざかってしまいます。
宇宙空間でブラックホールに物が落ちるためには、何らかの形で位置エネルギーを外に放出する必要があるのです。地球が太陽に落ちないのと原理は一緒です。
実際、最初に見つかったブラックホールは白鳥座X-1という強いX線を放出する天体でした。ブラックホールに物質が吸い込まれる際にその位置エネルギーを強力なX線として放出しているのです。
ブラックホールの重力に捕らわれた物質はその周囲を廻る軌道に乗り、高速で回転する降着円盤を形成します。そして互いの摩擦で高温になり、強い電磁波を放出したり、弾き飛ばされてジェットという形で一部の物質が遠くまで放り出されることもあります。
何でも吸い込むというイメージに反して、ブラックホールの周囲からは放出される部分も多いのです。
以前、CERNのLHCでブラックホールができるかもしれないという話がありました。
その際、LHCの実験でブラックホールが生成されて地球がが滅んでしまう、などと言い出す人も現れ騒ぎになりました。これもブラックホールが何もかも吸い込むイメージが強すぎるからなのでしょう。
確かに、太陽の何十倍もの質量を持つブラックホールが地球に衝突したら地球ごと呑み込まれてしまうかもしれません。しかし、人間が地上でそんな大きなブラックホールを作れるはずがありません。
実のところ、LHCでもブラックホールになるほどの高密度を作り出せるわけではありません。ただ、ミクロの世界では重力の振る舞いが異なるのではないかと考える理論があり、その理論が正しければより低いエネルギーでブラックホールが発生する可能性があるという話なのです。
その辺りの理論はまだ仮説であり、正しいとする証拠が見つかっていません。むしろ、LHCでブラックホールの発生が観測できたら証拠になるという状況でした。しかも理論上の最大限許容される範囲がギリギリでLHCの出力できるエネルギーに引っかかっているだけなので、理論は正しくてもブラックホールが発生しない可能性も高かったのです。
そして、たとえブラックホールができたとしても物凄く小さいものです。
太陽の全質量がブラックホールになったとして、半径3km。
地球の全質量がブラックホールになったとして、半径9mm。
ビッグバン直後に作られたと考えられているマイクロブラックホールで、蒸発せずに今も残っていると考えられる最小サイズが、質量1.73億トンで半径0.256fm(フェムトメートル:10のマイナス15乗メートル)だそうです。陽子よりも小さいです。
LHCで加速して衝突させているのは陽子です。加速させて高いエネルギーを与えているとはいえ、素粒子レベルの反応です。陽子一個分の質量が丸々ブラックホールになったとしても、できるブラックホールも陽子よりも小さい素粒子サイズ以上になりえません。
素粒子サイズになると、物質の中はスカッスカです。原子の大きさから五桁くらい小さいのが原子核です。つまり直径1cmのビー玉が原子核だとすると、原子の大きさは直径1km。原子核の外には原子核よりもさらに小さな電子しかありません。
大きな岩石だろうと、金属の塊だろうと、ぎっしりとモノが詰まっているように見えて、素粒子サイズでは隙間ばかりなのです。
LHCでブラックホールが発生したとしても、原子核と原子核の間を余裕ですり抜けてしまいます。
陽子よりもさらに小さいのだから、下手をすると原子核ですらすり抜けます。
原子核を構成する陽子や中性子はクォークでできていますが、クォークの大きさは陽子の1000分の1以下だそうです。
つまり、陽子一個を直径10m――ガンダムの半分強の高さです――の球体とすると、その中には直径1cm以下のクォークが三個入っているだけです。バスケットボールくらいの大きさのブラックホールを投げ込んでも簡単にすり抜けそうです。
ここでも、「ブラックホールなのだから、強力な重力で吸い込んでしまうのではないか?」と考える人がいるかもしれません。
しかし、ブラックホールであってもシュワルツシルト半径の外側では、その質量分の重力しか働きません。
つまり、陽子一個分のブラックホールは陽子一個分の重力しかないのです。
ミクロの世界では、粒子間に働く重力は実質的に無視されます。他の力に比べて小さすぎるからです。
例えばブラックホールが頑張って陽子や中性子を二百数十個吸い込んでも、ウラン原子一個分程度の重力しか働きません。原子間くらいの距離では実質無視できます。
つまり、この小さすぎるブラックホールは周囲の物を吸い込みません。そんな力はありません。ただ、シュワルツシルト半径内まで入ったものだけが取り込まれます。
だから、素粒子サイズのブラックホールが周囲の質量を呑み込むには非常に確率の低い偶然に頼るしかないのです。ブラックホールが周囲の物質を吸収して成長するにしても非常に時間がかかります。
また、重力以外の力の方が強いのでその影響も無視できません。
例えば、LHCで陽子を元に作られたブラックホールはブラスの電荷を持っている可能性があります。
プラスに帯電したブラックホールは同じくプラスの電荷をもつ原子核とは反発して近付けません。逆にマイナスの電荷をもつ電子は引き付けますが、原子核に電子が落ちないのと同じように、ブラックホールの周囲を電子がまわる状態になるでしょう。これは原子核の代わりにブラックホールが存在する原子ができたようなものです。核融合は簡単には起こりません。
ブラックホールがマイナスに帯電した場合は、電子と反発して原子そのものに近付き難くなります。または電子の代わりに原子核の周囲を回ることになるかもしれません。
帯電していないブラックホールならば電場の影響を受けないでしょうが、陽子を吸収すればプラスの電荷、電子を吸収すればマイナスの電荷に帯電するでしょう。
少なくとも重力の力で周囲の質量を引き寄せられるほどに成長するまでは、どうやったら周りの粒子を吸い込めるのだろう? というほどに吸い込みません。
ホーキング博士の考えた、ブラックホールの蒸発という理論が正しければ、素粒子サイズのブラックホールが大きく成長する前に蒸発して無くなるでしょう。
ブラックホールが蒸発しなかったとしても、小さなブラックホールが地球に大きな影響を与えるほどに成長するまでには何十億年何百億年と非常に長い時間かかります。
十億トンくらいのマイクロブラックホールを地上に落として、質量が倍に増えるまでに一億年くらいかかるという計算をしている人もいました。
さらに言えば、LHCよりもよほど大きなエネルギーを持つ宇宙線が降り注いでいたりします。LHCの実験でブラックホールが発生するなら、自然発生したブラックホールも存在するはずなのです。それで地球が滅びるならば、とっくの昔に滅びているでしょう。
こういった話を、科学者はちゃんと言っています。CERNやLHCの関係者だけではなく、今でも「LHC ブラックホール」あたりのキーワードで検索すれば、LHCの危険性を訴える声に対する反論がいくつも掲載されています。
しかし、ニュースで話題になるのは「ブラックホールができて地球が滅びる」と言ったセンセーショナルなものばかりです。
反論する科学者は、間違ったことをいうわけにはいかないので正確に、しかし素人にも分かるようにかみ砕いて発言しなければなりません。また最先端の分かってないことが多いわけで、きっぱりと言い切れない部分も多いのです。
結果、地味で分かり難くて曖昧な説明になりかねません。時間をかけて丁寧に説明する科学番組は興味のある人でないと見てくれません。
すると「科学者が危険な実験で地球を滅ぼそうとしている」と言った過激な意見ばかり目立つようになるのです。




