七 男子会(じゃない)
昼食の弁当は、昼休みの開始と同時に配られる。
四限目後、教室前のテーブルに人数分の弁当と、クラス全員の名前の入った表が用意される。生徒は弁当を取り、表に受領のしるしの印を捺す。
七松は弁当の列に並び、後ろの生徒となにか喋っている。盛り上がっているらしく、自分の番になってもまだ後ろを向いたままだ。そのままの姿勢で弁当を取ると、指を立てて受領印を捺した。
七松の指から放たれた淡い光は、テーブルの表へとまっすぐに飛ぶ。
「うお」
廊下の壁際でそれを見ていた晃一は、思わず唸った。
「ぜんぜん見てなかったぞ。あんなんで捺せるんだ。すごいな」
「七松はねえ、手で見るからね」
隣の実嶋がこともなげにいう。手で?
「おまたせ」
七松が弁当を抱えてやってきた。五階だよな? といって、すたすたと先を行く。実嶋がそれに続いた。ふたりを追いながら、晃一はたずねる。
「あの、手で」
見る、って?
「ん?」
実嶋が振り向くが、いや、なんでもない、とだけいった。これは、後でゆっくりきいたほうがいい気がする。
テーブルの脇を通りすがりに、名前の表を覗き込んだ。「七松洋」の名前の横の升目に、止め印がちゃんとおさまっている。きっちりと、正確に。
「阿久都晃一」と「実嶋莞治」の欄にも目を走らせた。受領印はすでに捺してある。四角い升目のちょうど中央に、燃え跡のような褐色の、力強い止め印。ブレのないはっきりとした捺し方だ。誰が捺したんだろう。甲成先生か? だけど――
「甲成先生のじゃないね」
実嶋がいった。実嶋も受領印をチェックしていたようだ。晃一はうなずく。
「ああ。甲成先生の式はああいうんじゃなくて、たしか、なんてかもっと」
やわらかい、っていうか。
――誰だ?
考えながら、広い廊下を行く。
この学校の廊下はやたらと幅広い。教室も、クラスの人数のわりにえらく広いのだが、廊下の横幅はさらにその教室の三倍ほどもある。
廊下の各教室の前には、大テーブルにベンチや椅子、段差をつけた畳敷きのスペースなどが据えてある。授業やクラブ活動用の施設だが、休み時間には自由に使える。今も、いくつかのテーブルには生徒が集まって、弁当を広げはじめている。
五角形の校舎の角まで行き、階段を上がる。
四階から五階への踊り場のあたりから、空気の流れを強く感じた。五階に上がると、急に視界が広がった。
五階には壁がない。教室もなく、かろうじて業務用リフトの囲いがある以外には、なんの仕切りもない、行き通しの空間だ。支えているのは等間隔に並んだ柱だけで、内側の水庭の吹き抜けにも、外側の学校外部にも、完全に開けている。
五階の高さから、外に遮るものがない。怖いと感じてもいいようなものなのに、不安がまったくわいてこない。縁ぎりぎりを歩いても、きっとさほど怖くはないはずだ。どうやら式で封じてあって、転がり落ちようにも出られないのだろう。
ここは体育館であり、講堂でもある、いわば多目的スペースだ。他の階の廊下にあるようなテーブルや畳の間が、ところどころに散らばって置かれているのが見えた。
そのうちのひとつに目がいった。目が、いったというのか――その異様さにひきつけられた。
しかも、ひきつけられながら気を逸らさせられる。見えているのに、ちゃんと見えない。
「あれは……」
「あそこだね」
実嶋がそこへ近づいていく。その背中に
「俺、やめとくわ」
七松がいった。
「さっき、太郎がさ」
七松の後ろに並んでいた生徒だ。
「――四階の座敷で食べるつってたから、そっち参加する」
「わかった。じゃ後でね」
実嶋は引き留めない。七松はすでに踵を返して、階段を下りはじめている。ふたりとも、普段と違うものを感じたらしい。気楽な「男子会」みたいなもんじゃない、なにか特別な話でもあるのか。
晃一も、七松の後を追って行きたくなった。なんだか鳩尾のあたりがざわざわする。
実嶋はかまわず、奇妙な場所へと歩いていく。仕方がない。その後について行った。