十四 談話室
三人の姿が見えなくなっても、晃一はしばらく動く気がしなかった。
自室に行くには階段を上がらなければいけないが、遠野さんの行ったばかりの道をなぞる気分にはとうていなれない。
ふらふらと、二階の廊下を歩いた。階段から一番手前の談話室を覗く。寮内にいくつかある談話室のうち、この部屋は三回生の溜まり場になっている。
はたして、七松がいた。その隣には太郎。ふたりとも、もう私服に着替えている。
「よ!」
七松が晃一に気づき、手を挙げた。晃一はよろよろと進み、ふたりの座るソファに倒れ込んだ。
「ずいぶんおつかれじゃね? 下校中に道に迷ったか?」
迷おうにも、一本道だ。七松のくだらない冗談に、太郎がけたけたと笑う。その声と笑顔に、救われる気がした。
ソファの背に体を沈めて、真正面のテレビに向かう。今時古風な厚みのあるテレビには、地元ケーブル局のニュースが流れている。
「あ、手紙」
七松が、晃一の手の内を指した。
「親展印じゃね、私製の」
少し驚いた様子だ。ルームメイトの七松は、晃一のこれまでの環境を知っている。家族に式紙使いの類はいないはず、だが、
「あ、そっか」
思い出したようだ。
「あれか、お符札クラブの」
式紙部だけど。まあ名前はなんでもいいや。
見てもいいか? と七松が訊ねる。独学者の立式に興味があるらしい。中の手紙を抜き取り、封筒を手渡した。
差出人名に、女からだぞ彼女か? とひとしきりからかわれる。それから七松は封筒の親展印を見て、感心したように頷いた。
「ちゃんと捺せてる。たいしたもんだな」
「すごいじゃん! これ、おれより上手いかも」
太郎が横から覗き込んでいった。
んなわけねえよ、と晃一は笑う。が、太郎は真顔で、いやまじでまじで、と繰り返す。
太郎は名字を行方というのだが、みんな下の名前を呼び捨てる。教師までが彼のことだけは「太郎」と名前で呼んでいて、ちょうど瓜篠さんと逆の調子だ。なぜか誰にも初見から必要以上に親しまれてしまう人。
晃一は手紙を開いた。よく知る、萩原の字だ。
――部長、元気?
こっちはあいかわらず、立式ばっかの毎日を過ごしています(受験勉強? まだ先だよー)。問題の新入部員だけど、現在のところ二名! なかなかでしょ。この調子で勧誘を――
「これさ」
と、七松が急に言った。
なんだ? 振り返る。七松は封筒の親展印を食い入るように見つめている。
「これ――」
と、言いかけて、また見つめる。なにか、正解を探しているようだ。結局、結論は出なかったらしく、
「どうやって切った?」
質問された。
「え?」
「痕がついてる。ほら、ここ」
封筒のフラップを跨いでいた小さな符札には「親展」の文字がある。これは萩原の筆だ。
見慣れた字体の、とりわけかっちりした筆致。いつにも増して注意深く捺したんだろう。だが、特におかしなところは見られない。
「どこ?」
「や、そっちじゃねえ。こっち」
七松の指したのは、封筒の本体側。
親展印のついていた、剥がれた後の部分だ。七松の指が、そこをそっとなぞった。
指が触れて三秒ほど後、不意に、ギラッと光る。
「わ!」
驚いて、ソファの上でちいさく跳ねてしまった。
「だろ? なんでこんなことんなってんの?」
晃一は、首をぶんぶんと横に振る。
だって、わからない。
いままで式紙部のみんなで立てた封には、こんなしるしは付かなかった。親展印は送られた相手が開ける。それは自然なことだ。なんの痕跡も残さないのがあたりまえ。と、いうことは、さっきの……。
はっと、思い当たる。
きっとそうだ。力業で、無理に開けられたことで不自然な痕がついてしまったんだ。遠野さんの式が影響したんだ。そうに違いない。
七松に言おうか、迷った。ただでさえあの人に怯えている七松だ。余計に脅かしてしまうことになる。それに、
――訴えればいいよ
あの笑顔を思い出す。清々しい表情をしながら、人を嘲るあの様子を。
さっきの出来事をここで打ち明けるということは、チクるってことだ。他にはいうなと七松に口止めしたって、きっといつかは誰かに知れる。教師陣にだって。それはいやだ。あっちにいわれたとおりの行動なんてしたくない。
「おい!」
太郎が声を張り上げた。テレビを指している。
今日一日のニュースと天気予報の間の、特集コーナーがはじまるところだった。
――連続失踪事件を追う。
「F市周辺で発生した行方不明事件。新たな調査から、数年来に渡る大規模事件の可能性が見えてきました」
女性アナウンサーが深刻な面持ちでいった。背後のスクリーンに、一覧が表示される。行方不明者名と、失踪の日付とおよその時刻、失踪したと目される場所。ほとんどが、K県F市周辺で起きている。K県といえば御符学書院の所在地であり、そしてF市といえば、
「候天堂の本社があるとこだよね」
「あ、そういやそうだ」
晃一の指摘に、ふたりが頷く。
「さっすがお符札マニア! すぐ思いつくんだ」
太郎が感心したように言う。
当たり前だ。晃一のような地方在住の独習者には、候天堂の通販はきわめて重要な生命線だ。住所をそらんじるくらい、郵便物を何度も受け取った。
それにしても。
これって、もしかして。
「怪かな」
晃一がいうと、太郎が目を瞬かせた。
「え、知って」
七松が太郎に、「今日、説明があったって」という。そして
「わかんねえけど、なんか」
「うん……なんか、あんのかも」
七松と太郎は顔を見合わせて、それぞれに呟く。
ニュースを聞いた時、晃一の胸が疼いた。なんだかは、わからない。だが、なにかが。もしかしてこれが、みんなの言った「なんかわかってた」という感覚だろうか。