表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
式紙使い候補生、挑む。  作者: 久々椚
第一章  御符学
15/26

十三  親展印



 御符学書院の学生寮は、やはり水に囲まれている。寮の手前あたりで水路がしだいに深くなり、玄関のアーチの下では膝まで浸かる。そこから左右に分かれる階段を上がり、水を払うと寮内だ。


 木組みのアーチを潜ったところで、晃一の胸に報せが入った。式紙を出して見る。寮事務からの呼び出しだ。


「それじゃ、また明日」

「あ、瓜篠さん、明日は」


 右側の階段へと進む背中に、声をかけた。


「明日は、ってか明日も、ひとりで行きますから」


 瓜篠さんは振り返り、すこし首をかしげたが、


「そうか、じゃあがんばって」


 なんで? とは、今日は訊かない。そのまま水を払い、寮内へと入っていった。後には瓜篠さんの式紙の名残りの、野の花の清かな香りが残る。


 晃一は左側へ進む。階段を上がりきると、すぐ正面に寮事務室。式紙を呼び出して水を払い、護符を水に帰す。

 晃一の式紙からはなんの匂いもしない。これは扱う者が未熟なせいなんだろうか。そんなことを考えていると、


「編入生くん、阿久都くん」


 寮事務室の小窓から、おじいさんが手招きをする。痩せて総白髪なおじいさんの、名前は知らない。名前を聞いても、「おじいさんとでも呼んでおくれ」としかいってくれない。


「手紙が来ているよ」


 おじいさんは、おじいさん然としたやさしい笑顔を浮かべ、いかにもおじいさんな声で呼びかける。

 小窓から差し出された封筒を受け取り、指で受領印を捺す。と、


「おやおや、印、ずいぶん上手くなったねえ」


 受領書を掲げて、おじいさんはいった。


「すばらしい上達ぶりだ。うん、がんばっとるね」


 上達ぶりって、前にここで印を捺して見せたのはつい二日ほど前だし、そんな短期間で目に見えるほど上手くなるはずが……だが、誉められるとやっぱりうれしい。なんだか頬が熱くなる。ありがとうございます、と頭を下げると、おじいさんはおじいさんらしく目を細めて、「がんばれ、がんばれ」といった。


 事務室の脇には待合風の古びたベンチがあり、その先には長い廊下が続く。そこを進みながら、封筒の差出人名を見た。


 萩原 みどり


 式紙部のメンバーだ。小学校からの同級生。まだここに来て二週間だというのに、早速手紙を出してくれた。ちゃんと親展の印も捺して、封印してある。浮かれた気分で廊下の途中の螺旋階段を二階へと上がりかけた、その時。


 なにか、異様な空気を感じた。空気というか、これは。


 ――視線だ。


 感じた方向へ目を向けた。上だ。

 螺旋階段のすぐ上の、二階の吹き抜け側を囲う手すりに手をかけて、こっちを見下ろしている人がいる。

 あの人だ。昼休みに校庭にいた、あの「こわい」人だ。名前はたしか。


「遠野さん」


 口の中で、なにげなく呟いた。ごくひそかな声で、聞こえるはずがない。だがその人は、その通りだというかのように、晃一に向かってうなずいた。

 晃一は会釈をした。胸がどきどきしはじめた。遠野さんはたしかにこっちを見ている。どういうつもりなのかわからない。なにか用事でもあるんだろうか? いまのところ縁もないはずの、高等部の先輩が?


 階段を上がると、遠野さんはまだそこに立っていた。晃一を待っていた様子だ。その両側に、やっぱりもうふたりいる。昼と同じメンバーか、それとも違うメンツなのか、よく思い出せない。遠野さん以外のまわりの風景がぼやけたように見えてしまう。

 軽く頭を下げて、その脇を通りすぎた。と、


「編入生」


 背中に声がかかった。

 やっぱり、俺に用か。

 ますます心臓の鼓動が速くなる。


 だいたい、よく知りもしない上級生から声をかけられるのは、因縁をつけられる時だと相場が決まっている。いったい、なにをふっかけられるのか。


「……はい」


 観念して、振り返った。


「阿久都、晃一……っていったっけ?」


 予想に反して、ほがらかな声だ。思い切って顔を上げ、先輩の顔を見た。そして、


「はい」


 返事をしながら、拍子抜けしていた。遠野さんの表情は、声の印象通りにほがらかだ。にっこりと微笑み、大きな目をきらきらと輝かせている。


「普通校から編入してきたんだよな」

「はい」

「そうか、予備科から普通の中学に進学したのか?」

「いえ」

「え、式紙は独学で?」

「はい」

「自己流でやって、編入試験に挑んだわけか」

「はい」


 バカみたいに、ひとことの「はい、いいえ」でしか答えられない。だがどうしてこんな、尋問のようなことをするんだろう。


 遠野さんはにこやかで、質問の間ずっと口元の笑みを崩さない。ひとこと言葉を発するたびに、大きな目の中の黒い部分がきらきらと光る。その光は、とても強い。異様に光って強すぎる。


 だが、ほがらかな調子は変わらない。すこし不安を感じながらも、晃一はほっとしていた。


「ずっと自己流、予備科経験なし、ここまで専門の学習経験なし、か」

「はい」

「それじゃあ」


 遠野さんはいっそうにっこりと笑い、


「クズだな」


「え?」


 一瞬、なにを言われたのか理解ができなかった。

 聞き間違いか? 聞こえた言葉と、表情とが噛み合わない。


「それ、手紙?」


 遠野さんは晃一の手の中の封筒を指し示す。そして手のひらを上に向けた。晃一はその手に封筒を渡した。

 遠野さんが封筒を取り上げた時、やっと、しまった! と思った。

 どうして渡してしまったんだ。無意識だった。信じられない。術にかかったかのように、手が勝手に動いてしまった。


「へえ、ちゃんと親展印が捺してある。これ、局のじゃなくて自作だな」


 封筒を目の上に掲げ、封の上の印を眺める。


「素人にしちゃうまくできてる。なかなかやるな、君の知り合いは……でもな、式紙使いにとっては、こんなのは」


 と、遠野さんの右手が軽く印をかすめて、


「素人の遊びだ」


 印がはじけた。


 そして、封がゆっくりと開く。

 親展印だ。宛名の相手以外には開けないはずだ。

 いままで、式紙部のみんなで何度も試した。ほんとうに開かない、式紙の術はほんとうだって――。


「……クズだな」


 さっきにいった言葉を、遠野さんはもう一度繰り返した。今度こそ、意味をちゃんと理解した。

 そして、七松がいったことを思い出した。なんか、こわいんだもん、あの人。


「それ、親展印、は」


 晃一は必死で言葉を絞り出す。奥歯が鳴っているのを止められない。震えている。畏れか、怒りのせいか。


「……本人以外は、開けては」

「ああ、その通り。君は被害者だな。親告罪だから」


 遠野さんはやっぱり笑顔のままだ。とてもにこやかに、親しげな笑みを浮かべて、


「訴えればいいよ」


 晃一の耳に囁いた。


「そんな……」


 なにかをいいたい。だがなにがいいたいのか、自分自身でもわからない。言葉に詰まって、奥歯をぎりっと噛む。


 封の開いた封筒を晃一の手に押しつけ、遠野さんはそのまま晃一の横をすり抜けた。ふたりの生徒を引き連れ、螺旋階段を上がっていく。


 力を振り絞り、その後ろ姿を見上げた。睨みつけたが、遠野さんは振り返りもしない。


 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ