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式紙使い候補生、挑む。  作者: 久々椚
第一章  御符学
11/26

九  そういうものが、ある。

 


 式紙の文字の光が薄れていく。


「念は押す?」


 甲成先生がきいた。


「お願いします」


 甲成先生は頷き、手のひらを式紙に向けて押し込むように動かした。光が消えるかわりに、同じ形に焦げ付きのような文字の名残りが残る。


 ――()


 そういうものが、ある。なんだかわからないけど、あるんだ。

 それを、この人たちは教わるでなく気づいてしまった。それが、式紙使いというものなんだ。


「これねえ」


 甲成先生がいう。


「いままでおしえたことないから、どういっていいかわかんないんだよ」


「不測の事態だな。いろんなケースがあるもんだ。このトシになってもまだまだ未経験のことに出くわすんだな。いや何事も勉強。いくつんなってもな、ありがたいこった」


 五十野先生は、こほん、とひとつ咳をして、


「まあな、怪ってのは……」


 いいかけて、言いよどむ。


「……あんだろ、え?」

「ね、あるじゃん? わかんないかな、ほら」


 実嶋が晃一にいう。なにかを説明しようとしている。両手を空で掻くように動かし、口を開けて……だが、言葉が続かない。


「……えー、ねえねえ、こう、あるよね。ね、瓜篠」


 瓜篠さんは切れ長の目をさらに細めて、


「怪は」


 といったまま、止まってしまった。

 次の言葉は出てくるだろうかと、晃一は瓜篠さんを見つめる。だが、瓜篠さんはいつもの真顔で見返すだけだ。

 その隣で、甲成先生もいつもの笑顔で全員を見回している。


 説明すると言いながら、誰もなにも言ってくれない。からかわれているような状況だ。だがみんなが真面目にやっているのがわかるだけに、晃一にもどうしようもない。


 ――怪って、なんですか?


 訊きたいのだが、訊いたところで堂々巡りだろう。質問の糸口も見つからない。


「……しょうがねえや」


 五十野先生が肩を落としていう。


「せっかく集まってもらったのに、間抜けなことで申し訳ない。もうちょっと、作戦立ててから来るわ」


 ほっと、空気がほぐれるのを感じた。みんな困り果てていたのだ。


「次までにどう言ったもんだか考えとくから、今日はここらでお開きに……」

「失礼します!」


 突然、耳に大きな声が響いた。うわん、と奇妙に捩れた響きと共に、空気に圧がかかる。重い風に押されるような感触があり、瓜篠さんの背後の空間が割れた。


「ひゃっ」


 晃一は咄嗟に目を閉じた。ぶるっと体が震えて、軽い眩暈におそわれた。おそるおそる目を開く。空気や空間の捩れはおさまっていた。そのかわりに、瓜篠さんの後ろに人が立っていた。


「すいません、遅れました!」


 突然あらわれた人物は、ぴょこんと頭を下げる。女子だった。


 今朝の女生徒だ。ヒオキだ。


「なんだ?」


 ヒオキに、瓜篠さんが顔を向ける。


「そろそろ解散するんだが、なんの用だ?」

「代議の集会でしょ? 連絡あったっけ? あたしぜんぜん気がつかなくって」

 えへ、と笑って、


「ごめんね」


 えらく可愛らしい口調でいう。長卓を挟んだ晃一までがどきっとした。なのに瓜篠さんは、


「呼んでない。代議とは関係ない」


 まったく動じていない。


「えー? だって瓜篠に、ほら実嶋もいるじゃん……って、やだシバミとツルオイは? 彼らも遅刻?」

「だから代議とは関係ない」

「そうなんだ。てっきり集会の召集あったの見逃したかって。なわけないっか」


 いいながら、瓜篠さんの、甲成先生とは反対側の隣に座る。瓜篠さんがヒオキの笑顔に動じないように、ヒオキも瓜篠さんの真顔にまったく怖じない。ヒオキはくいっと首をかしげると、


「で、先生、こちらはいったいなんの集まりですか?」

「もうお開きにしちまうけどな」

「阿久都の生活報告の、スペシャル版みたいなやつ」


 実嶋がいった。


「だから他の級代議は参加しなくてよくって……でもヒオキ、なんでここでおれたちが集まってるってわかったの? 呼ばれてないのに」

「あたし、そこの座敷んとこでお昼食べてたんだけど」


 と、ヒオキは指を振った。晃一の後ろの煙った空間がぐにゃりと歪む。割られた結界の合間に、外の風景が見える。

 回廊の、ちょうど対角線側。水庭の吹き抜けを跨いだ向こうに畳敷きのスペースがあった。そこに女生徒が数人座っている。


「なにげに話してたらさ、ハルコが」

 ここでひと息溜めてから、

「そうゆうたらさいぜん、あそこの結界ぃんとこ先生やら代議さんやら入っていかはったわー、って」


 唄うような声色でいった。

 なぜか会話の再現部分だけ関西弁だ。ハルコとやらは関西の出身か? ヒオキは座敷の女子たちに手を振る。

 手を振り返す女子のうちのひとりに、遠目にも目立って小柄な、おかっぱ頭。なんとなくこけしを連想させる。あれが「ハルコ」だという気がした。


「でさ、てっきり代議委員の会議でもあったのかと思って」


 手を振ったついでのような、さりげないしぐさで結界の裂け目を塞ぐ。晃一に向き直り、


「あ、あたしは女子級代議なのね」


 知ってる。今朝、(たすき)で見た。

 と晃一が返す暇も与えず、ヒオキは瓜篠さんへ振り返る。


「で、その報告会は終了?」

「終了。次回持ち越し」

「持ち越しって、やだ、あらためての議決? なんか難しい議題なわけ?」

「決を取るような話じゃない」

「じゃあなによ」

「そうだ、なあヒオキよ」


 ヒオキと瓜篠さんの応酬に、五十野先生が割って入る。


「編入生くんに説明してやってくんねえかな」

「はい。何をですか?」

「怪」


 け?

 の形に、ヒオキの口が開く。


「怪がどうかしました? 説明って?」

「あのねえ、ほら阿久都は普通校から入ったばっかりでねえ」


 今度は甲成先生がいう。


「これまで身近じゃなかったから、そういうの知らないというか、接してないというかねえ」

「やだ」


 ぽかんと開いた口から


「怪がわかんないんだ」


 ため息のような、なぜか感心したかのような声が出る。


「おれら、なんとなくで理解しちゃってたじゃん」

「いざ説明といっても、どう言っていいか」

「どう言ってって、そのまんま言えばいいんじゃないの?」


 困った様子の代議男子どもに、ヒオキは言い放つ。そして晃一の目を覗き込む。


「あのねえ、これまで生きてて、ないはずなことがあるってこと、なかった?」

「……っていうと」

「あるでしょ?」


 晃一は黙り込む。意味が掴めない。ヒオキは目を細め、長い睫毛をぱちぱちと瞬かせる。


「そうだなあ、たとえば、なにもないはずなのに気配がしたり、聞こえないはずの音が聞こえたり」

「それは……誰もいないはずの部屋で物音が、とか、そういう」

「そう、それ」


 その場の全員が同時に頷いた。

 ヒオキは満足げにまわりの面々を見回し、続ける。


「それって、なんだと思う?」

「……気のせいじゃないかな」

「気のせいじゃないの。それ、怪のせいなの」


 また、全員が頷く。


「だからそういう、あるはずのないものをおさめるのが、あたしたちの目指すところなのね」

「え、そこまでいっちゃうの?」


 実嶋が素っ頓狂な声を出した。


「やだ。ダメだった?」

「いや、いい。続けてくれ」


 口を押さえるヒオキに、五十野先生が促した。


「もうあれだ、順を追って理解を深めて、とかいってると、いつまでかかるかわかんねえもんな」

「そおですねえ」


 甲成先生もいう。


「どうせぼくらは、彼の理解がどのへんか、なんて察しようもないですしねえ」

「ってなわけだ。ヒオキ、頼むわ」


 先生方の了承を得て、ヒオキは頷く。晃一に向かって、子供に言うように問いかけた。


「ここまで、わかる?」

「いや。ごめん、全然」


 そっかあ、そうだよね、とつぶやきながら、ヒオキはくるりと後ろを向いた。そしていきなり手を大きく振り、背後の空間を裂く。


 ざっ、と空気が一気に流れ、大きく割れた靄の間に一面の緑があらわれた。行き通しのフロアの外辺の向こう、学校の外の森だ。


「見ててね」


 言われるままに、晃一は森を見た。

 五階のここからは、森の木々のちょうど天辺あたりが見える。それが見渡す限り延々と続き、まるで緑の絨毯だ。それらはゆるい風に静かにそよいでいる。

 ただ、じっと見ていた。なにも起こらない。だが、なにかが潜んでいる。今の晃一にはそれが感じられた。なにかが起こるのを、待つ。あるはずのないなにかが起こるのを。


 その時。

 緑の一部がぐいっと動いた。

 枝の先が、変に傾いでいる。おかしな揺れ方だ。風はごく静かなそよ風で、枝を大きく揺らすほどじゃない。なんだ、あれは――気のせいか?

 いや、違う。気のせいじゃない。


「見えた?」


 ヒオキがいう。晃一は頷く。

 それを合図に、ヒオキが素早く右手を動かした。石榴(ざくろ)に似た匂いが鼻をかすめるのと同時に、ヒオキの懐から白いものが飛び出し、森へと走る。

 式紙だと理解した時には、それはもう揺れる枝へと届いていた。


 きゃん、


 と、高い鳴き声のような音が鳴る。同時に、そこできらきらと細かい光が散った。水だ。水が弾けた。

 水は森の緑に降り注ぐ。そしてまた、何事もなかったように木々はさらさらとそよぐ。

 しばらく緑を見ていた。見てはいるが、頭の中ではさっきの光景を反芻していた。あれが――

 ヒオキが振り返り、


「あれが、怪」


 といった。

 

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