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32 デウス・エクス・マキナ

 一瞬の出来事でした。本当に、言葉通りの一瞬の出来事であったはずなのに、とてもその一瞬を長く感じました。一瞬が、まるでスローモーションのようです。

 

 一瞬とは、永遠に似ている。


 この世界の、昔の哲学者がそんなことを言ったという記録がありますが、まさしくそのとおりです。


 グラジオラス様が剣を抜かれました。そして、その剣先は天井に向けられました。グラジオラス様は、仮面の男を上から下へと真っ二つに斬るおつもりだったのでしょう。


 しかし、そのグラジオラス様の剣が振り落とされる前に、仮面の男は前足を一歩前に出し、すうっ、と左手を伸ばしました。


 仮面の男の左手が、騎士の装備、甲冑を着ているグラジオラス様の胸に触れたと思うと、グラジオラス様は吐血されました。


 仮面の男は、猫を撫でるように、そっとグラジオラス様の胸に触ったように見えました。ですが、グラジオラス様が血を吐かれたということは、きっと何かの攻撃であったのでしょう。


 不思議です。グラジオラス様の吐かれた血滴が、ゆっくりと地面に落ちて行くのが見えます。まるで時間が進み方を忘れてしまったようです。


 グラジオラス様は、それにも関わらず反撃をされます。もしかしたら、仮面の男のその攻撃を予測していたのかも知れません。殿方の攻撃には、肉を切らせて骨を断つ、という恐ろしい極意も存在すると伺ったことがあります。


 グラジオラス様が鞘から抜いた剣は、草原を吹き抜ける風のように、仮面の男に向かいます。おそらく、その剣の速度というのは本来私などが見ることができないのでしょう。時間が止まっているかのようなので、その剣の刻印まではっきりと見えます。


 ですが、仮面の男のそれは、より速い。


私はそう思いました。仮面の男の右手にはいつの間にか剣がありました。仮面の男は剣など持っていたでしょうか。どうして右手に剣など持ったのでしょう。


 グラジオラス様の剣が折れ、空中を舞います。半分に折れた剣の先は、まるで竹とんぼのようにクルクルと空を舞います。


「け~~~ん~~~が~~~~お~~~ち~~~~る~~~ぞ~~~~」


 剣が落ちるぞ。気を付けろ! と叙任式の会場にいた方が注意喚起をしました。その声も、まるでスローモーションのようです。空中に舞う剣が落下しています。昔、妹と見に行った、サクラの花びらがゆっくりと地面に落ちて行くような、そんな光景です。


 グラジオラス様は、剣が折れても止まりませんでした。折れ残った剣を振りかざしました。その剣は、仮面の男に届きました。


 仮面が割れ、地面に落ちました。


 そして、再び時間が動き出したように感じます。ですが、仮面の男の正体は、私の騎士、ロバートだったのです。


 え? ロバート。どうして? 仮面の男の正体は、私の騎士、ロバートでした。どうしてロバートが、叙任式の会場にあらわれるのでしょうか。もう、貴族ではなくなった私が言うべきことではありませんが、叙任式に参加できるのは貴族だけです。ロバートに、騎士の叙任式に立ち会う資格はありません。

 それに、剣を持って会場に乱入するなど、不敬罪等もろもろの罪を含め、死罪は免れないでしょう。


「ロバート! どうしてあなたがこんなことを!」


 私は叫びました。騎士が主人に忠誠を誓い、忠義に殉ずるというのは夢物語です。甘い騎士物語にすぎません。それに、私はもう貴族ではないので、ロバート。あなたが使えるべき主でもなく、ただの平民なのです。


「ピアニー・シュピルアールよ。随分と頭が高いな。周りの者達が見えぬか?」とロバートは言いました。


「ロバート、あなたは何を言って? ここは王の御前でもあるのですよ」と、私は言いますが、「何をしている。跪くんだ!」という声が後ろから聞こえ、その声の主が強引に私のドレスの裾を引っ張りました。それにより、私はバランスを崩して地面に倒れ込みます。


「ピアニー・シュピルアールの騎士、ロバート。果たしてそんな人物が存在するのか。この騎士が不在であった国に。どう思う? ピアニー・シュピルアール。いや……」


『黒部春子……』


 ロバートは、おそらく私にしか聞こえない声で、そう呼びました。空耳ではありません。確かに「黒部春子」とロバートは言いました。


でもどうして私の名前を知っているのでしょうか。この世界に来てから、誰にも私は言っていません。私がピアニーであるのと同時に、私が黒部春子であるということは、誰にも言っていません。


 それを知っているのは……。


 そして、暗闇が支配する暗黒に朝日が差し込むように、私の頭の中の白いもやが取れました。


 どうして、私は、私に騎士がいるなどと思っていたのでしょうか。このティサリア王国において、自らの騎士を持つことができるのは、国王だけです。いかに、二大侯爵家のシュピルアール家であろうとも、騎士を自ら叙任することなどできません。

 それに、この国では騎士の称号を持つ人は長らく不在でした。平和である期間が長かったからです。

 

 もともと騎士ロバートなんて人物は存在しない。制度上もありえない。それなのに、ドラセナにも、そしてウィリアム王子にも、シュピルアール領の領主様も、シュピルアール領の領主夫人も、ロバートが私の騎士だと思っていた。


 いえ、そう思うようにされていた。記憶の操作でしょう。私も、黒部春子としての記憶を半年間失っていた。


 こんなことが出来るのは……


「ディオニュソス……」と私は言いました。


「その通りだ。そして、この黄金の剣を鞘から抜けるのも、私だけだ。なぁ、ティサリア王よ」と、ロバートは、いえ、ディオニュソスは、玉座へと悠々と歩いて行きます。


 ティサリア王国が建国された時に、ディオニュソス様が顕現され、初代国王に渡したとされる黄金の剣。

 そして、その黄金の剣は、王と言えど剣を鞘から抜くことなどできませんでした。国王が代々黄金の剣を所持しますが、本来の持ち主は、この世界の主神ディオニュソス様である。


 神話のような話です。


 ですが、それが目の前で起こっている。先ほどまで仮面の男を倒そうとしていたグラジオラス様も、跪いています。

 国王も、玉座から降り、臣下の席へと移動していきます。


 玉座に座るディオニュソス。そして、「国王よ。再び命じる。われが、先ほどの沙汰の取り消しを命じる。良いな?」


「御心のままに」と国王がディオニュソスに答えます。


 ディオニュソスが国王の宣言を取り消しました。私は、シュピルアールでいられるということでしょうか。


 しかし、なぜ、あの悪神がこんなことをするのでしょうか。


「それと、カトレア・アウンタールよ。そなたに詫びよう。そなたを階段から突き落としたのは私だ。私を責めるか?」


「きっとそれはディオニュソス様の深いお考えがあってのこと。ディオニュソスのお役に立てたことを光栄に思います」とカトレアも答えます。


 カトレアを階段から突き落としたのも、ディオニュソスであった。私はそんな気がしていました。

 ですが、犯人がディオニュソスであった。そのことを騒ぐ貴族は誰一人としていません。ただ、深く頭を下げているだけです。


「そうそう、国王よ。豊穣感謝祭にて私に捧げられた演劇、なかなか良かったぞ。これからも芸術振興に力を入れよ」


「御心のままに」


「来年は、私がこの国に再び顕現したことを記念して、豊穣感謝祭での演劇は無料にせよ」


「御心のままに」


 一体何が起こっているのでしょうか。国王様が「御心のままに」と、ただのYes・Manとなっています。


「さて、国王よ。これより、神託を下す。これより3年後、北方の騎馬民族がこの王国にアウンタール領より攻め入る。防塁を築き、国をあげて、防衛の準備をせよ」


「神託、確かに拝領いたしました。感謝します」と国王が言うと、貴族全員が声を揃えて「感謝します」と言います。


『これで、あなたの妹、カトレア・アウンタール、黒部秋子は死ぬことはないわ』


 私にしか聞こえない声でディオニュソスが言います。


<どうしてこんなことを?>と私は心の中でディオニュソスに言います。きっと伝わるはずです。


『さぁ、何故でしょう? まぁ、あなたはピアニー・シュピルアールとしてこれからも殿下とお幸せに』


<どうしてあなたは、この世界の神様なのに、最初から……あなたが全て解決しなかったのですか! 私を苦しめて、楽しんでいたのですか?!>


『それはどうでしょう。それに、良く勘違いをされるのだけど、私は、演劇の神様なの。私はディオニュソス。ご存じないかしら? デウス・エクス・マキナとも呼ばれているわ。どうしようもなくなった、解決策の見当たらない物語に、最後に神様が登場して、理不尽な力ですべてを解決するのよ。それが、デウス・エクス・マキナ。あなたも幸せになりなさい』



 ・


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 ティサリア王国に、ピアニーという王妃様がいました。国王であるウィリアム様と生涯を通して愛し合い、幸せに暮らしたそうです。また、ピアニー王妃は友人にも多く恵まれ、ネモフィラ・スタリールやカトレア・アウンタールと生涯を通じて交友があったと伝えられています。


 めでたし、めでたし。

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